あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

彦根藩井伊家中屋敷庭園を鑑賞

2014-06-05 10:49:13 | 東京散策
大名は、参勤交代が制度化されてからは江戸に屋敷を持つことが義務づけられた。江戸には1000を越える大名屋敷があったと言われている。
大名屋敷には上屋敷、中屋敷、下屋敷があり、中屋敷は隠居した藩主や世継ぎが住む屋敷で、上屋敷よりは江戸城から離れた場所にあった。
また、彦根藩上屋敷は現憲政記念館に、下屋敷は現大隈会館庭園と明治神宮の場所にあった。
          

          
ここは江戸時代初期、加藤清正の下屋敷があったため、清泉池は、通称「加藤清正公の泉」と呼ばれ、清正当時からの大木の化石が置かれている。清正は、地元熊本では「せいしょこ(清正公)」さんと親しまれている。
          

          

庭園内を小川として流れ、やがて江戸城の外堀・弁慶堀に注がれていく。夏には、小川周辺でホタルが飛び交うという。
          

井伊家の歴史を見つめてきた、樹齢220年といわれるイヌマキとカヤの木が残っている。江戸時代の樹木が殆ど残されていない千代田区にとっては、皇居以外にあっては最も古く貴重な樹木で、区の天然記念物に指定されている。




庭園には、たくさんの灯篭があるが、そのなかに春日灯篭と寛永寺灯篭がある。
寛永寺灯篭には、「東叡山 大猷院殿(だいゆういんでん) 尊前  従五位下井伊兵部大輔」と刻まれている。
大猷院殿とは徳川三代将軍家光の法名で、徳川四天王のひとり、井伊直政の嫡子・直継が家光法要で徳川家菩提寺である東叡山寛永寺に奉納した燈籠なのであろう。



寛永寺灯篭                             春日灯篭

                  

滝の落差およそ6m、土地の高さの違いを活かして1974(昭和49)年に設けたもの。
滝壺からの景観は迫力があり、現在の庭の最大の見どころとなっている。
滝の上部である清泉池は、こんこんと水が湧き、大滝となって流れ落ちる。
          

                               

桜の季節、名所の千鳥ヶ淵から靖国神社、そして外堀に出て市ヶ谷から四谷を歩いて最後にこの庭園の桜を眺めると千代田の春を堪能できるという。
この庭園の桜は多くの種類を植え、50本ほどの桜が2月末から4月末まで楽しむことができる。
          

          

井伊家のルーツは、静岡県西部・遠江(とおとうみ)国を治め、今川家の配下である国人武士であった。
戦国の世、井伊家の一人娘がいいなずけとの悲劇の果てに、出家から女当主・直虎となる。
直虎は生涯独身で、いいなずけの忘れ形見を養子と育て、その後、遺児寺の藩祖直政は徳川家に仕え、譜代大名の筆頭にまで上り詰め、幕末まで国替え、廃藩にもあわず脈々と続く名家として歴史に名を残している。
先週、NHKヒストリアでたまたま井伊直虎が取り上げられたので付け加えた。




コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 暑さの下 2014丹沢ボッカ開催... | トップ | 横浜泉区石仏・石塔115箇所巡... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

東京散策」カテゴリの最新記事