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近くの町の節分祭

2013-02-03 21:37:12 | 散策
2月4日は節分。各地で豆まきが行われた。
成田山新勝寺や総持寺などの有名な寺社だけが豆まきじゃない、近くで豆まきの行事が行われないだろうか。
それで探してみた。
         
裃、袴こそつけてはいないが、町に根付いた神社の氏子たちが行う豆まきである。
         
        
節分とは、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日(せちにち・季節の変わり目にあたって祝事をする日)を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日にあたる。そこで年に4回あったものだが、日本では立春は1年のはじまりとして、特に尊ばれるため、節分といえば春季の節分のみを指すようになっていったようだ。
                            
節分には豆をまくが、これは中国の習俗が伝わったものとされている。豆は魔を滅する(退治する)「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があるといわれる。
自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われている。
              
              
また、最近では恵方巻を家庭で食べる風習がある。
これは、諸説あるが、江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとされた説がある。
戦後廃れていたが、大阪の大阪鮓商組合や大阪海苔問屋協同組合が販売促進の為に大々的に宣伝をし、これにスーパーやコンビニが便乗して広がったようだ。
恵方巻というから方角も関係していて、今年は南南東に向かって願い事を浮かべながらかぶりつくと叶うとされる。
                           

この神社、瀬谷区二ツ橋にある天照大神と素戔鳴命(すさのおのみこと)を祭神とする二ツ橋神明社である。
         
         

創建は、この辺りの瀬谷野新田が検地された年である1725(享保10)年といわれる。
明確ではないがと注釈が入る慶安から元禄の頃(1648~1703)という説もある。
1873(明治6)年に二ツ橋字広町にあった津島牛頭天王社を合祀した。理由はお祭り費用の関係というが。

豆まきで福を呼ぶと共に春を呼び込みたい。久々の寒い冬となったので特にそう願いたい。
さっ、ご一緒に「福は内、福は内!春もうち」。
コメント
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