(写真)ウエストリンギア・フルーティコサ’バリエガータ’(Westringia fruticosa 'Variegata')の花
オーストラリアの東海岸の崖の上で育つ『ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)』は、 「オーストラリアン・ローズマリー」といわれるようにその灌木の立ち姿と葉の形はローズマリーによく似る。
本来のローズマリ(Rosmarinus officinalis)は、地中海周辺の海岸近くに生育し、属名のRosmarinus は、“海の雫(しずく)”を意味するように、ブルーの花は地中海の一滴の雫のようだ。
(写真)ローズマリー(Rosmarinus officinalis)の花
これに対して、オーストラリアン・ローズマリーの花は、古代からの神々の物語とか神秘性とは無関係であるがごとく、明るく健康的でスッキリとしていて、地中海原産のローズマリーとまさに対極的なポジションにいるような印象を受ける。
温暖で乾燥したところが適地なので、梅雨時期には軒下、夏場は半日蔭、冬場は室内または霜の当たらないところが良い。ということは 鉢植えで育てることになり、地植えの場合は木陰等場所を選びたい。
開花期が 初春から初夏までと比較的長く、剪定をうまくやれば1mぐらいの高さのブッシュを作れそうだ。
【学名にある過去の記録】
学名のウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)は、1917年に英国の植物学者ドルース(Druce, George Claridge (1850-1932))によって命名された。
ドルースは後にオックスフォードの市長となるが、私生児として生まれ薬局の見習いからスタートし、試験に合格し薬剤師となりオックスフォードで薬局を経営するようになる。また、植物学に興味を持つようになり、ロンドン・リンネ協会、王立協会のフェローにも選ばれたというので趣味の領域を超えた活動であることは間違いない。
ところで、オーストラリア東岸の海岸線に育つこの植物が1917年に命名されること自体が遅すぎるので、この疑問を調べると・・・・
オーストラリア大陸にヨーロッパ人が初めて到着したのは1606年であり、オランダ人の航海士ウイレム・ヤンツーン(Willem Janszoon Blaeu 1571–1638)がオーストラリア大陸の北部に到着した。
一方、ウエストリンギア・フルーティコサの原産地であるオーストラリア東海岸に初めて到着したヨーロッパ人は、エンデバー号で世界一周航海をしていたイギリスのジェームズ・クック(James Cook 1728-1779)であり、1770年にオーストラリア東海岸、シドニーの南方のボタニー湾に上陸した。
なお、このクック船長の第1回の世界一周航海には、後の英国科学界の重鎮でプラントハンターを世界に送り出した27歳のサー・ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks 1743− 1820)がこの探検隊の博物学者という役割で乗船していたので、バンクス卿達が採取した可能性もある。
つまり、ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)は、1770年代にオーストラリア東海岸で採取され命名されても良さそうなことが分かる。
このヒントは、学名“Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917”の中の“(Willd.)”にある。
1917年にドルースによってウエストリンギア・フルーティコサと命名されたが、それ以前に“(Willd.)”によって別名で命名されている。ということを意味する。
“(Willd.)”は、ドイツの植物学者カール・ルートヴィヒ・ヴィルデノウ(Carl Ludwig Willdenow、1765-1812)であり、1797年にCunila fruticosa Willd. と命名している。
この属名のCunilaは、北米・南米原産の植物に1759年に名付けられた。
ヴィルデノウは、南米を探検したフンボルトの師匠であり、フンボルトたちが収集したアメリカ大陸の植物の調査研究をし植物地理学を創設した人物であったが、北米・南米原産の属からオーストラリア原産のウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)が分離された。
単純なことだったが、植物地理学を構築したヴィルデノウが北米・南米の植物グループにオーストラリア原産の植物を入れたことは良くなかったが、誰がオーストラリア原産の植物をヴィルデノウに持ち込んだんだろうかということが気になり始めた。この人物が最初の採取者かもわからない。
(写真)直立型でなく横に広がるウエストリンギア・フルーティコサ
ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)
・シソ科ウエストリンギア属の半耐寒性常緑の低木。
・原産地はオーストラリア東部のニューサウスウェールズ州の海岸近くに生息し、日本では、オーストラリアンローズマリーとして流通している。
・学名は、ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)で、1917年に英国の植物学者ドルース(Druce, George Claridge (1850-1932))によって命名された。
・属名のWestringiaは、スエーデンの医師でコケ類の専門家Johan Peter Westring (1753-1833)を称して名付けられ、オーストラリアの低木25種が属する。種小名のfruticosaは、shrubby=生茂る低木を意味する。
・開花期は春から初夏
・樹高は1~1.5mで横幅も同じぐらいをみる。
・常緑で夏場は半日蔭で育てる。冬場は半耐寒性なので霜の当たらないところで育てる。
・水遣りに注意する。乾燥気味に育て、土が乾いたらたっぷりと与える。梅雨時は軒下などで育てる。
・生け垣などに使われるようだが、横に広がるので狭い庭には不向きだろう。
オーストラリアの東海岸の崖の上で育つ『ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)』は、 「オーストラリアン・ローズマリー」といわれるようにその灌木の立ち姿と葉の形はローズマリーによく似る。
本来のローズマリ(Rosmarinus officinalis)は、地中海周辺の海岸近くに生育し、属名のRosmarinus は、“海の雫(しずく)”を意味するように、ブルーの花は地中海の一滴の雫のようだ。
(写真)ローズマリー(Rosmarinus officinalis)の花
これに対して、オーストラリアン・ローズマリーの花は、古代からの神々の物語とか神秘性とは無関係であるがごとく、明るく健康的でスッキリとしていて、地中海原産のローズマリーとまさに対極的なポジションにいるような印象を受ける。
温暖で乾燥したところが適地なので、梅雨時期には軒下、夏場は半日蔭、冬場は室内または霜の当たらないところが良い。ということは 鉢植えで育てることになり、地植えの場合は木陰等場所を選びたい。
開花期が 初春から初夏までと比較的長く、剪定をうまくやれば1mぐらいの高さのブッシュを作れそうだ。
【学名にある過去の記録】
学名のウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)は、1917年に英国の植物学者ドルース(Druce, George Claridge (1850-1932))によって命名された。
ドルースは後にオックスフォードの市長となるが、私生児として生まれ薬局の見習いからスタートし、試験に合格し薬剤師となりオックスフォードで薬局を経営するようになる。また、植物学に興味を持つようになり、ロンドン・リンネ協会、王立協会のフェローにも選ばれたというので趣味の領域を超えた活動であることは間違いない。
ところで、オーストラリア東岸の海岸線に育つこの植物が1917年に命名されること自体が遅すぎるので、この疑問を調べると・・・・
オーストラリア大陸にヨーロッパ人が初めて到着したのは1606年であり、オランダ人の航海士ウイレム・ヤンツーン(Willem Janszoon Blaeu 1571–1638)がオーストラリア大陸の北部に到着した。
一方、ウエストリンギア・フルーティコサの原産地であるオーストラリア東海岸に初めて到着したヨーロッパ人は、エンデバー号で世界一周航海をしていたイギリスのジェームズ・クック(James Cook 1728-1779)であり、1770年にオーストラリア東海岸、シドニーの南方のボタニー湾に上陸した。
なお、このクック船長の第1回の世界一周航海には、後の英国科学界の重鎮でプラントハンターを世界に送り出した27歳のサー・ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks 1743− 1820)がこの探検隊の博物学者という役割で乗船していたので、バンクス卿達が採取した可能性もある。
つまり、ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)は、1770年代にオーストラリア東海岸で採取され命名されても良さそうなことが分かる。
このヒントは、学名“Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917”の中の“(Willd.)”にある。
1917年にドルースによってウエストリンギア・フルーティコサと命名されたが、それ以前に“(Willd.)”によって別名で命名されている。ということを意味する。
“(Willd.)”は、ドイツの植物学者カール・ルートヴィヒ・ヴィルデノウ(Carl Ludwig Willdenow、1765-1812)であり、1797年にCunila fruticosa Willd. と命名している。
この属名のCunilaは、北米・南米原産の植物に1759年に名付けられた。
ヴィルデノウは、南米を探検したフンボルトの師匠であり、フンボルトたちが収集したアメリカ大陸の植物の調査研究をし植物地理学を創設した人物であったが、北米・南米原産の属からオーストラリア原産のウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)が分離された。
単純なことだったが、植物地理学を構築したヴィルデノウが北米・南米の植物グループにオーストラリア原産の植物を入れたことは良くなかったが、誰がオーストラリア原産の植物をヴィルデノウに持ち込んだんだろうかということが気になり始めた。この人物が最初の採取者かもわからない。
(写真)直立型でなく横に広がるウエストリンギア・フルーティコサ
ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)
・シソ科ウエストリンギア属の半耐寒性常緑の低木。
・原産地はオーストラリア東部のニューサウスウェールズ州の海岸近くに生息し、日本では、オーストラリアンローズマリーとして流通している。
・学名は、ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)で、1917年に英国の植物学者ドルース(Druce, George Claridge (1850-1932))によって命名された。
・属名のWestringiaは、スエーデンの医師でコケ類の専門家Johan Peter Westring (1753-1833)を称して名付けられ、オーストラリアの低木25種が属する。種小名のfruticosaは、shrubby=生茂る低木を意味する。
・開花期は春から初夏
・樹高は1~1.5mで横幅も同じぐらいをみる。
・常緑で夏場は半日蔭で育てる。冬場は半耐寒性なので霜の当たらないところで育てる。
・水遣りに注意する。乾燥気味に育て、土が乾いたらたっぷりと与える。梅雨時は軒下などで育てる。
・生け垣などに使われるようだが、横に広がるので狭い庭には不向きだろう。
花に関わる仕事をしています。ヨーロッパの中世の植物について調べていましたらこちらを見つけました。調べはじめたばかりですがオススメの文献、書物など教えていただけますか?
ディオスコリデス「薬物誌」、李時珍「本草網目」等は訳本があります。
Yukomさんの関心が花のようですので、この観賞価値は中世以降の価値感となります。中世を調べる場合は、薬草、食(アピシウス、ローマの料理本)、修道院の庭で栽培されているもの等の切り口になるかと思います。