フランシス・マッソンの最大の功績は、ゼラニウムの発見といっても良さそうだ。このゼラニウムについては、かつて記載したものがあるのでこれを再編集した。
南アフリカとゼラニウム
センテッド・ゼラニューム或いはニオイゼラニュームといわれているグループは、
葉・花に独特の香りがあり、四季咲き性がない。
花は春だけのものだが、葉からの香りは年中楽しめる。
(写真)早春の花ジンジャーゼラニウム
ゼラニュームは南アフリカが宝庫であり、陽射が強く乾燥した冷涼なところが適地となる。この南アフリカ喜望峰が発見されたのは、大航海時代の1488年のことであり、ポルトガル人のバルトロメウ・ディアス(Bartolomeu Dias, 1450頃 - 1500年)が発見した。
これにより、1497年にはポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama, 1469頃-1524)がインドに海路到着することが出来た。
ポルトガルは香辛料を求めインドに向かい、スペインは黄金を求め逆周りでジパングを目指しアメリカ大陸に着いた。しかし、南アフリカ、アジアの植物をヨーロッパに持ってきたのはイギリスであり、このゼラニュームがヨーロッパに伝播したのは18世紀のことだった。
イギリスのプラントハンター、フランシス・マッソン(1741-1805?)によるところが大きく、18-19世紀はイギリスの時代であり、南アフリカ・東アジアからの植物を
イギリス・キュー王立植物園に移植するプラントハンターが活躍した。
日本へは、江戸時代末期にオランダから伝播され、外国(唐天竺)から来たアオイに似た葉を持つ植物ということで、テンジクアオイと命名された。
ゼラニュウムを見つけたのは、キュー王立植物園のプラントハンター第1号マッソン
ヨーロッパを彩る鮮やかなゼラニュウムの赤は、ジメジメしていない澄んだ空気を突き抜けて目に飛び込んでくる。この花がなかったらヨーロッパの街並みは殺風景になり、魅力もチョッとは下がったことだろう。
南アフリカ原産のゼラニュウムがヨーロッパに、そして世界に広まったのはカナダで植物採集の途上に凍死した一人のプラントハンターの活躍があった。
フランシス・マッソン(Francis Masson1741-1805) だ。
1759年に宮殿付属の植物園としてスタートした後のキュー王立植物園。マッソンは、そこのプラントハンター第一号でもあった。キュー王立植物園は、世界の新しい植物を組織力で集め世界の植物情報センターとして今では存在しているが、マッソンなどの冒険者の活躍がその基盤を作った。
1772年南アフリカ喜望峰の地にたったマッソンは、それから約3年強の期間に50種類のゼラニュウムをキュー植物園に送った。
その園芸種が今では世界の庭と窓を飾っている。キューの責任者ジョセフ・バンクス卿は「ゼラニウムに関しては、マッソンの尽力が大きい」と評価している。
マッソンは、年100ポンドの給料で、世界の植物をハントするプラントハンターであった。彼は、アフリカの奥地では鎖でつながれた脱走囚人に追いかけられたり、西インド諸島のグレナダではフランスと戦う地元の軍の捕虜になったり、北アメリカへの航海中にフランスの海賊に捕まったり、
最後にはカナダに向かいそこで1805年のクリスマスの日に凍死した。
彼は引っ込み思案の人間のようで、現世での名誉を求めなかったようで
彼の名前が残っているのは、マッソニアという珍しい品種のユリ科の植物だけとなる。
http://www.botanic.jp/plants-ma/maspus.htm (参考:ボタニカル・ガーデン)
だが、ゼラニュウムの歴史には、マッソンの種名が刻まれていないが、彼が発見した事実は永久に記憶に残される。
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