(写真)サルビア・レプタンスの花
「サルビア・レプタンス」は、英名では“コバルトセージ(Cobalt Sage)”と呼ばれ、
コバルトブルーのような色合いの花が咲く。
この濃いブルーの色はなかなかない。渋めで重いようなブルーであり、冬の海を連想するほど重い。
この“コバルト”という金属元素は1737年に発見され、ドイツ語で“地の妖精”を意味する“Kobold”に由来するという。
顔料としてガラスの原料にコバルトを入れるとブルーに染められるが、コバルトの量が多いほどブルーの色が濃くなるという。
なるほどという納得がいくネーミングだ。
原産地は、テキサスからメキシコの2000m前後の高地で石灰質の乾燥した荒地であり、
細長い葉の先に花穂を伸ばし1㎝程度の口唇型の小花が下から上に向かって多数咲きあがる。
匍匐性のものもあるようだが、これは立ち性で、摘心しなかったので1mぐらいまでになってしまった。
この花に、「サルビア・レプタンス(Salvia reptans Jacq.)」という学名を1798年につけたのが
オランダ・ライデンで生まれ、神聖ローマ帝国の首都ウィーンに移住した医者・植物学者のジャカン(Jacquin ,Nikolaus Joseph von 1727-1817)だった。
日本ではまだ珍しい品種でもあるが、1800年代初頭には、園芸品種としてヨーロッパの庭に導入され普及し始めたようだ。
命名者ジャカンの時代 : ハプスブルグ家とリンネとモーツアルト
オランダ・ライデンで生まれたジャカンがウィーンに行ったのは、
直接的には中部ヨーロッパを支配したハプスブルグ家の財産を相続したオーストリアの女帝マリア・テレジア(Maria Theresia 1717-1780)から宮廷の医師兼教授の職を提供されたので、1745年に移住することになった。
彼が18歳の時なので、早くから才能を認められていたようだ。
フランス革命でギロチン刑にあったルイ16世の王妃マリー・アントワネット(Marie Antoinette1755-1793)は、このマリア・テレジア女帝とその夫である神聖ローマ帝国皇帝フランツ一世(Franz I. 1708-1765 )との15番目の子供にあたる。
この二人は当時としては珍しい恋愛結婚のようであったが、
ハプスブルグ家の財産を引き継いだマリア・テレジアが頑強に政治を主導したので、気の優しい夫であるフランツ一世はうしろに引き、財政・科学・文化・芸術などに傾倒し、
ウィーンのシェーンブルン宮殿の庭造りなどをも趣味としていた。
現代でも婿養子は同じような構造のようでもあるが、王家の家臣からは主人として扱われず客以下でもあったようだ。
ジャカンはこの庭でフランツ一世と出会い、1755-1759年の間、カリブ海の西インド諸島及び中央アメリカに植物探索の旅に派遣され、植物・動物・鉱物などの膨大な標本を収集した。
ジャカン28‐32歳の時だった。
「サルビア・レプタンス」との出会いはこの探検旅行であったのだろう。
リンネ(Carl von Linné、1707-1778)は、この探検のことを聞きおよびお祝いの手紙を出し、ここから生涯のメール友達となった。
もちろん、未知の植物を知りリンネの植物体系を完成させるだけでなく自分の体系を普及する戦略的な意義もあったのだろう。
ジャカンは、1768年にはウィーン植物園の園長、大学教授となり、1774 年にナイト爵に叙され、1806年には男爵になり名誉だけでなく豊かさも手に入れた。
モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)との出会いは1780年代で、
ジャカンの娘のピアノ教師としてジャカンの邸宅に出入りし、ジャカンの息子Emil Gottfried (1767–1792)とは友人でもあり彼のために二つの歌曲(K520、K530)を作曲したが、版権を売るほど貧乏をしていたので“ゴッドフリートの名で出版された。
また、かなりの作品をジャカン家に捧げたという。
モーツアルトには毒殺されたという謎があるが、“でる釘は打たれるという” 諺どおりに才能のわりには恵まれず35歳という若さで死んだ。
天才少年と誉れ高かったモーツアルト6歳の1762年に、ウィーン、シェーンブルン宮殿にてマリア・テレジアの前で演奏をし、
この時7歳のマリー・アントワネット(正しくはマリア・アントーニア)と出会い愛をささやいたという早熟なエピソードがある。
フランツ一世、モーツアルトとも“妻”という存在に悩んだようだ。
夫のほうから見るとこれを悪妻というが、ここから逃れるためにか功績を残すことになる。
フランツ一世は、ハプスブルク家がもうちょっと長持ちする財政基盤と文化・芸術そしてジャカンを残し、
モーツアルトは数多くの楽曲を残した。
(写真)サルビア・レプタンスの葉と花
サルビア・レプタンス(Salvia reptans)、コバルトセージ(Cobalt Sage)
・ シソ科アキギリ属の落葉性多年草で半耐寒性。
・ 学名はサルビア・レプタンス(Salvia reptans Jacq. )、英名がコバルトセージ(Cobalt Sage)、別名はWest Texas cobalt sage。
・ 原産地は北アメリカ、テキサスからメキシコの乾燥した荒地。
・ 草丈は、80-100cmで、花が咲く前に摘心をし、丈をつめ枝を増やすようにする。
・ 開花期は、9~11月で、美しいコバルトブルーの花が咲く。
・ ほふく性と立ち性のものがある。これは立ち性。
・ やや乾燥気味でアルカリ性の土壌を好む。
・ 関東では、冬は地上部が枯れるが腐葉土などでマルチングをして越冬できる。
・ さし芽、或いは、春先に株わけで殖やす。
命名者:
Jacquin, Nicolaus(Nicolaas) Joseph von (1727-1817)、1798年
コレクター:
Harley, Raymond Mervyn (1936-)
Reveal, James Lauritz (1941-) 1975年10月13日採取
「サルビア・レプタンス」発見の不思議
キュー植物園のデータベースでは、「サルビア・レプタンス」は、1975年10月にメキシコで発見されている。
発見者は二人で、一人は、キュー植物園の Harley, Raymond Mervyn (1936~) と
もう一人は、メリーランド大学の教授を経てメリーランドにあるNorton Brown 植物園の名誉教授 Reveal, James Lauritz (1941~) となっている。
これが公式なのだろうが、 「ウエストテキサス・コバルトセージ」と呼ぶほどテキサスの花としての誇りを持つ人たちは、自国の発見者ストーリを展開している。
発見時期は明確ではなかったが、「サルビア・レプタンス」を発見したのは、
テキサス生まれのパット・マクニール(Pat McNeal、Native Texas Plant Nursery)で、西テキサスにあるデイビス山脈(the Davis Mountains)で発見したという。
デイビス山脈のマニアのサイトを読んでいると、多様な植物相を持ちえる気候環境化にあり魅力的と感じた。
ここなら、もっと様々なセージなどの目新しい植物があるのではないかと思う。
(写真)デイビス山の光景
(出典)ウイキペディア
もっと暗い色です。
一瞬、日立グループの広告”気になる木”の巨大な木かと思いましたが、これは、別種で、「モンキーポッド」というそうです。
オートグラフツリーは、以下のサイトをご覧ください。
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/guttiferae/autograph_tree/autograph_tree.htm
熱帯性植物なので、温室がある植物園になると思いますが、バニヤンは世界一の巨木に成長するので無理ですね。南西諸島だとありそうですが・・・・