コーヒータイム③ なぞに満ちたコーヒーの起源
スーフィと呼ばれる羊の毛を織った白いマントをまとう修行僧は、
8世紀末ごろのメソポタミア・クーファに出現している。
(このクーファは、今では、イスラム教シーア派の聖地の一つとなっている。)
その中で、コーヒーに深くかかわっていたのは、
アル・シャージリーによって開かれたシャージリーア教団のスーフィだ。
この教団は、1258年 シャージリー死後に設立され、神秘主義の教団といわれている。
夜の行を勤めるスーフィたちは、眠気防止のために“カフワ”を飲んでいたという。
ということは、13世紀中頃以降のどこかの時点で、
イスラムの寺院に“カフワ=コーヒーの煮汁”があったということだ。
コーヒー起源での疑問
コーヒーはいまや世界で愛されている飲料となっているが、この発展の基礎は3つに集約される。
この3点がコーヒーの由来の謎そのものなのだ。
Q:コーヒーノキを、原産地エチオピアからコーヒー栽培の地イエメンに誰がいつ持ってきたか
Q:コーヒー飲料はいつ誰が発見したか
Q:焙煎はいつ誰が発見したか
ということだが、謎は埋まらない。ますます謎になる。

欠けた記録を埋める二つの伝説
コーヒーに関する記録が少なく、生い立ちがわからないためか、
“コーヒー起源伝説”として、おおよそのイメージを後世が作ったようだ。
しかも先を見越した2つの説があり、
イスラム教徒オマール発見説とキリスト教徒にも受け入れられるエチオピア高原由来説の2つだ。
オマール発見説は、1258年にオマールが発見し、イエメンのモカがコーヒー発祥の地だと言っている。
この1258年は、冒頭の教団の創設者アル・シャージリーがエジプトに行く砂漠で死亡した年であり、
伝説自体がコーヒー起源を、シャージリーア教団のスーフィを指し示している。
もう一つはコーヒーノキ及びコーヒーの原産地がエチオピアだといっている。
いずれも後付け的な物語で起源がよくわからない。
ちなみに、オマール発見説は、1587年に書かれた『コーヒー由来書』に記載。
エチオピア説(カルディの物語)は、1671年ファウスト・ナイロニ『眠りを知らない修道院』に書かれている。
ノアの方舟伝説
それならば、こんな起源伝説というのも素晴らしいと思うが如何だろうか?
大洪水がおさまった後、ノアの方舟がついたところは高い山頂であり、
船から降りたノアが真っ先にしたことは、ワインのためのぶどう作りだった。(旧約聖書創世記)
イスラムでのワインは“カフワ”と呼ばれ、コーヒーも“カフワ”と呼ばれた。
そして、この高い山にはいくつかの説があり、
・トルコのアララト山(5165m)
・イエメンの古都サヌアの近郊ノビ・チェアッペ山(3760m)。
このサヌアの山麓で、コーヒーの栽培が始まり、
またサヌアは、ノアの息子セムが住んだ街という伝説がある世界最古の街の一つである。
コーヒー伝説は、伝説だからこそ、ノアの方舟伝説までさかのぼっても似合いそうだ。
謎は解けない
このように、
アラビカ・コーヒーノキの原産地はエチオピアだが、
コーヒーは、アラビアのイエメンで飲用されていたようであり、
神秘主義のイスラム球団のスーフィが覚醒の秘薬として宗教儀式で使用し、
秘匿されてきたところまでは良さそうだ。
しかし、コーヒーノキが、コーヒー豆の主生産地イエメンまでに来た動きがよくわからない。
コーヒーノキは繊細で、移植するのが難しい。
それなのに、伝説ではこの点が説明されていず、古文書にも残されていない。
一説では、1470年にエチオピアのアビシニア高原からイエメンに移植されたという。
これではちょっと遅すぎるのではないかと思う。
1454年には、アデンの僧院でコーヒーが公開され、秘密として秘匿することが
出来ない状態になっている。この頃には、コーヒーの需要は急増していると思われる。
コーヒーが最初に記録された歴史への登場は “薬” だった。
(Next)
スーフィと呼ばれる羊の毛を織った白いマントをまとう修行僧は、
8世紀末ごろのメソポタミア・クーファに出現している。
(このクーファは、今では、イスラム教シーア派の聖地の一つとなっている。)
その中で、コーヒーに深くかかわっていたのは、
アル・シャージリーによって開かれたシャージリーア教団のスーフィだ。
この教団は、1258年 シャージリー死後に設立され、神秘主義の教団といわれている。
夜の行を勤めるスーフィたちは、眠気防止のために“カフワ”を飲んでいたという。
ということは、13世紀中頃以降のどこかの時点で、
イスラムの寺院に“カフワ=コーヒーの煮汁”があったということだ。
コーヒー起源での疑問
コーヒーはいまや世界で愛されている飲料となっているが、この発展の基礎は3つに集約される。
この3点がコーヒーの由来の謎そのものなのだ。
Q:コーヒーノキを、原産地エチオピアからコーヒー栽培の地イエメンに誰がいつ持ってきたか
Q:コーヒー飲料はいつ誰が発見したか
Q:焙煎はいつ誰が発見したか
ということだが、謎は埋まらない。ますます謎になる。

欠けた記録を埋める二つの伝説
コーヒーに関する記録が少なく、生い立ちがわからないためか、
“コーヒー起源伝説”として、おおよそのイメージを後世が作ったようだ。
しかも先を見越した2つの説があり、
イスラム教徒オマール発見説とキリスト教徒にも受け入れられるエチオピア高原由来説の2つだ。
オマール発見説は、1258年にオマールが発見し、イエメンのモカがコーヒー発祥の地だと言っている。
この1258年は、冒頭の教団の創設者アル・シャージリーがエジプトに行く砂漠で死亡した年であり、
伝説自体がコーヒー起源を、シャージリーア教団のスーフィを指し示している。
もう一つはコーヒーノキ及びコーヒーの原産地がエチオピアだといっている。
いずれも後付け的な物語で起源がよくわからない。
ちなみに、オマール発見説は、1587年に書かれた『コーヒー由来書』に記載。
エチオピア説(カルディの物語)は、1671年ファウスト・ナイロニ『眠りを知らない修道院』に書かれている。
ノアの方舟伝説
それならば、こんな起源伝説というのも素晴らしいと思うが如何だろうか?
大洪水がおさまった後、ノアの方舟がついたところは高い山頂であり、
船から降りたノアが真っ先にしたことは、ワインのためのぶどう作りだった。(旧約聖書創世記)
イスラムでのワインは“カフワ”と呼ばれ、コーヒーも“カフワ”と呼ばれた。
そして、この高い山にはいくつかの説があり、
・トルコのアララト山(5165m)
・イエメンの古都サヌアの近郊ノビ・チェアッペ山(3760m)。
このサヌアの山麓で、コーヒーの栽培が始まり、
またサヌアは、ノアの息子セムが住んだ街という伝説がある世界最古の街の一つである。
コーヒー伝説は、伝説だからこそ、ノアの方舟伝説までさかのぼっても似合いそうだ。
謎は解けない
このように、
アラビカ・コーヒーノキの原産地はエチオピアだが、
コーヒーは、アラビアのイエメンで飲用されていたようであり、
神秘主義のイスラム球団のスーフィが覚醒の秘薬として宗教儀式で使用し、
秘匿されてきたところまでは良さそうだ。
しかし、コーヒーノキが、コーヒー豆の主生産地イエメンまでに来た動きがよくわからない。
コーヒーノキは繊細で、移植するのが難しい。
それなのに、伝説ではこの点が説明されていず、古文書にも残されていない。
一説では、1470年にエチオピアのアビシニア高原からイエメンに移植されたという。
これではちょっと遅すぎるのではないかと思う。
1454年には、アデンの僧院でコーヒーが公開され、秘密として秘匿することが
出来ない状態になっている。この頃には、コーヒーの需要は急増していると思われる。
コーヒーが最初に記録された歴史への登場は “薬” だった。
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