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モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’の花

2009-07-04 08:42:21 | セージ&サルビア
(写真)スプレンデンス ’ヘレンディロン’の花


「サルビア・スプレンデンス」は、耐寒性が無いため一年草の扱いがされているが、無事に越冬し一年中花を咲かせている。一年草というよりも四季咲き一年中草といいたいほどだ。
日当たりが良い霜の降りない場所を確保して、花後の追肥,週に一回の液肥、咲き終わったら切り戻すことをしていただけなのに良く咲いてくれる。

この「サルビア・スプレンデンス」は、ブラジルの高度2000-3000mの一年中を通じて温暖なところに自生しているので、気温の変化を少なくしてあげたのが咲き続けることにつながったのだろう。

と多少自慢したかったが、緋色のスプレンデンスに対してパープルの花色なので違った品種か園芸品種であることを疑いチェックすべきだった。

よくよく調べてみると園芸品種の「ヘレンディロン‘Helen Dillon’」であることがわかり、その特色は多年草だった。だから、越冬してもおかしくはない。
今日まで気づかなかったのが“おかしい”ということなのだろう。
ちょっと反省!

「ヘレン・ディロン‘Helen Dillon’」は、実在の人物がいる。アイルランドの著名な女性ガーデナーで、“the Dillon Garden”のオーナーでもある。確認できなかったが、この庭園で作出されたか、作出者が彼女に献じられたかのいずれかだろう。

後述するが、緋色の「サルビア・スプレンデンス」は、1817年に学名が登録されているが、この前後にロンドンに入ってきて、“Lee’s scarlet sage”として人気を博しているので、英国が品種改良の拠点になってもおかしくはない。

(写真) サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’の葉と花
        

サルビア・スプレンデンス‘ヘレンディロン’(Salvia splendens ‘Helen Dillon’)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草だが、越冬が難しいため1年草として扱う。
・1817年に登録された学名は、Salvia splendens Sellow ex Roem. & Schult。英名はscarlet sage。別名bonfire salvia(大きなかがり火のようなサルビア)。和名はヒゴロモソウ(緋衣草)。
・その園芸品種で学名は、Salvia splendens ‘Helen Dillon’。
・原産地はブラジル。2000-3000mの高地で気温が温暖なところ。
・草丈30cm程度。
・開花期は6~10月で花と顎のツートンのダークパープルが美しい。花が散っても顎だけでも様になる。
・花が咲き終わったら切り戻しておくと秋に2番目の花が咲く。
・冬場は、霜のあたらない日当たりが良い軒下で管理。

命名者
レーマー(Roemer, Johann Jakob 1763-1819):スイスの医者・植物学の教授、
シュルテス(Schultes, Josef (Joseph) August 1773-1831):オーストリアの植物学者
二人で、リンネの野菜の体系第16版を出版した。

命名者・コレクター
セロウ(Sellow, Friedrich 1789-1831)は以下に記載

        

S.スプレンデンス発見者の話
サルビア・スプレンデンスは、ドイツ生まれの植物学者セロウ(Friedrich Sellow 1789-1831)によってブラジルで発見された。

セロウはポツダムの王立庭園の庭師の子供として生まれ、庭師の勉強を積み、ベルリン植物園で働きながら勉強をし、1810年にはパリで当時に最高の植物学者であるラマルク(Jean-Baptiste Lamarck)、キュヴィエ(Georges Cuvier)から教えを受け科学的な植物学に接した。

1811年には、フンボルト(Alexander von Humboldt 1769-1859)の支援を得て、オランダとイギリスで勉強をしたが、ナポレオン戦争が始まりドイツに戻れなくなり、縁あって1814年にはリオデジャネイロに行った。

そこでセロウは、ブラジルを中心に植物探索を行い900以上の新種を発見しており、ブラジルの植物研究への貢献は素晴らしいものがある。

セロウが採取した植物は、スポンサーがいるロンドンにも送られており、そのうちの一つがS.スプレンデンスだった。
この花は、当時“Lee's Scarlet Sage”と呼ばれ、イギリス、ドイツでの夏の園芸商品として人気を博したようだ。
このLeeは、ジョゼフィーヌも愛用した世界No1ナーサリー“リーアンドケネディ商会”の二代目Lee,James(1754-1824)であろう。セロウ=プラントハンターの活動を支え保証するナーサリーの勃興と薬用などの有用性だけでなく花の美的価値を発見した園芸の普及がこの頃から加速した。

1831年彼は42歳の若さで亡くなった。なんと川で溺れ死んだようだ。

ポツダムの庭師の子供が、当時のヨーロッパ最高の植物学者たちの知遇をえてこれを吸収し、植物学的な真空地帯であったブラジルで花開き、駆け足で一生を走り抜けていった。
その1輪が緋色をしたスカーレットセージ(Scarlet sage)を残して。

すでにその機会を失した私は、緋色をしたセージを嫌い、ダークパープルなセージを楽しむことにした。

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ウッドセージ(Wood sage)の花

2009-06-18 07:45:58 | セージ&サルビア
(写真) ウッドセージの花


ウッドセージは、ヨーロッパ南部の森林、荒地、草原などの乾燥したところに自生し耐寒性がある丈夫な植物だ。
名前にセージがついているが、セージ(アキギリ属)ではない。ニガクサ属に所属し、近縁にはウオールジャーマンダーがある。

しかし、葉にしても、花にしてもセージらしい。

ウッドセージの花は、セージ特有の口唇形であるが、良く見ると口の中の筒状が長い。
ミツバチがもぐりこむと自家受粉するが、下唇が役に立っていない感がする。でも、この下唇が愛嬌があって印象的だ。

オレガノもホップの代わりにビールの味付けに使われたが、ウッドセージもホップの変わりに使われ、ピリッとした苦味が特色だ。ただ、常用は避けたほうが良さそうだ。

耐寒性が強く乾いた用土が適しているので、ローックガーデンの植え込みに似合う。繁殖力があるので、春先に株分けで増やす。

(写真)ロックガーデンに似合いそうなウッドセージ


ウッドセージ(Wood sage)
・シソ科ニガクサ属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Teucrium scorodonia L.。英名はウッドセージ(Wood sage)、ガーリックセージ(Garlic sage)、ガーリックジャーマンダー(Garlic germander)
・原産地は、ヨーロッパ南西部の乾燥した草原。
・草丈、30cm程度で、葉の縁がチリチリと縮れている緑色の美しい葉
・開花期は6~9月に白色の小花を多数つける。
・日当たりが良く水はけが良い土壌で乾燥気味に育てる。
・ホップに似た味覚。ティーなどでの継続飲用は肝障害の危険がある。

名前の由来
・属名のTeucrium(テウクリウム)は、トロイの王テウクロスの名前にちなみ、王が利尿・消炎・殺菌作用を発見したという。ウオールジャーマンダーと近縁種で、ハーブティーなどでの長期使用は避ける。
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サルビア・パテンス‘ケンブリッジ・ブルー’の花

2009-06-10 08:55:25 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・ケンブリッジブルーの花


サルビア・パテンスには約14種の園芸品種があるが、「ケンブリッジブルー」はそのうちの一つで、美しいライトブルーの花が咲いた。

名前の由来は、ライトブルーの花の色がケンブリッジ大学のスクールカラーに似ているのでつけられたという。
このライトブルーのカラーは、1836年のオックスフォードとの対抗ボートレースで舳先にライトブルーのリボンを結び付けたのが初めてつかわれたことのようだが、オックスフォード大学のボートでは、その後“オックスフォードブルー”となるダークブルーを使用するようになる。
原種のサルビア・パテンスよりもっと濃いブルーなのだろう。


「ケンブリッジブルー」の由来?
原種のサルビア・パテンスは、メキシコ原産の花であり、1838年に園芸市場に登場したというが、「サルビア・ケンブリッジブルー」はいつ登場したかが良くわからない。わずかに、1998年に英国に本社がある国際的な種苗会社“Thompson & Morgan”からこのタネが提供されたとある。

この「ケンブリッジブルー」は、1994年の英国王立園芸協会の賞を受賞しているので、この頃に作出されたという推測が成り立ちそうだ。

全般的にメキシコ原産の植物は由来が良くわからない。宗主国のスペインに美しいだけの花の価値がわからなかったのか、記録に残す執着が無かったのか、とにかく記録にぶち当たらないことが多い。

原種が発見されてから150年間もたった頃にこの素晴らしいサルビアが作出されたようだが、謎を解く鍵は、1855年に設立された英国の種苗会社“Thompson & Morgan”にあるかもわからない。

この個人会社は、英国Ipswich, Suffolkにあるパン屋の息子 トンプソン(William Thompson 1823-1903)が、裏庭で植物を育て、趣味が高じて大学で植物学をマスターし、ナーサリー(育種園)を持つところから始まった。この頃の英国は、世界の物資が集まる世界No1の国でもあり、彼は、めずらしい植物を集め、タネ・苗を販売する事業を行った。

さらに成長させるために、植物学はあまり知らなかったがマーケティングに優れているモーガン(John Morgan)をヘッドハンティングし、共同経営の“Thompson & Morgan”となり、世界の植物をカタログで販売する英国でも優良な企業となった。
創業者二人の死後もカタログでの販売は順調に続き、1982年に米国ニュージャージ州ジャクソンに進出し世界を視野に入れた。

サルビア関係のバイブル『The New Book of SALVIAS』では、この件については何も触れていないが、「ケンブリッジブルー」は、1990年代の前半に品種改良の交雑がなされ誕生した比較的新しい品種のようだ。

ネーミングにしても英国らしさがあるので、“Thompson & Morgan”が絡んだとしか思えない。

(写真) サルビア・ケンブリッジブルーの葉と花 (奥の濃いブルーが原種パテンス)
        

サルビア・パテンス‘ケンブリッジブルー’(Salvia patens 'Cambridge Blue')
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名は Salvia patens Cav. 'Cambridge Blue' 。英名はゲンチアンセージ‘ケンブリッジブルー’(gentian sage 'Cambridge Blue')、和名ソライロサルビア
・原産地はメキシコで、サルビア・パテンスの園芸品種。
・耐寒性は強いが耐暑性は弱い。梅雨の時は花を出来るだけ雨に当てない、夏場は風通しの良い半日陰で育てる。
・草丈50~60㎝
・開花期は6~10月、大柄なライトブルーの花が数少なく咲く。
・夏場は無理に花を咲かせないようにすると秋に咲く。
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ブラジリアンセージ、サルビア・ガラニチカ(Salvia guaranitica)の花

2009-06-03 08:02:48 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・ガラニチカの花


サルビア・ガラニチカは、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイなど南米に広く生息し、その生息地からブラジリアンセージ、花の色とアニスのような香りからブルーアニスセージ、或いはアニスセンテッドセージ、その美しいブルーの色からサファイアセージなどと呼ばれている。

明るい大型の緑色の葉と、初夏から霜が降りる晩秋まで美しいブルーの花が長期間咲くので今では庭の定番として認められるようになって来た。園芸品種も出始めていて、花の色が異なる種類が10種ほどある。濃いブルー、明るいブルー、パープル、空色などゾーンで育てる魅力も増している。

春先に1~2回摘心すると、草丈を1m以内におさえられ花穂を増やすことが出来る。また、サルビアの中では風に強く丈夫な茎なので形を整えやすい。

耐寒性・耐暑性とも強いが夏場は根元を腐葉土などでマルチングをして水枯れに注意するだけで育てるのも簡単だ。
殖やし方もいたって簡単で、さし芽か株分けがよい。さし芽は今年の元気な枝をカットして今(5~6月)が最適で、株分けは成長が進む春先に行う。

このブラジリアンセージ、サルビア・ガラニチカ発見については、昨年の原稿に修正を入れ手直しをした。

(写真)サルビア・ガラニチカの立ち姿
        

サルビア・ガラニチカ(Salvia guaranitica)=ブラジリアンセージ
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある常緑低木。但し、冬場は、地上部から切り戻しを行う。
・学名は、Salvia guaranitica A.St.-Hil. ex Benth.。英名はBlue anise sage, Brazilian sage、anise scented sage、流通名がメドーセージ。
・原産地は、ブラジル、アルゼンチンを含む南米。
・花弁が3cm級のブルーの花を6月から秋まで多数咲かせる。
・咲き終わった花穂は切り戻す。
・草丈50~150cmと大柄で、増殖力が強い。5月までに摘心を行い丈を調節し、花穂を増やす。
・夏場に乾燥させないように根元を腐葉土でマルチングすると良い。
・さし芽、株分けで殖やす。

命名者
Saint-Hilaire, Auguste François César Prouvençal de (1779-1853)
フランスの博物学者・探検家のサンチレールは、1816-1822年に南アメリカブラジル北東部のリオデラプラタから奥地に調査に出かけ、24000種の植物標本、2000種の鳥類、16000種の昆虫標本などを採取した。この標本はパリの自然史博物館に保存されていて、これらを元にブラジルの博物誌を著作する。

Bentham, George (1800-1884)
ジョージ・ベンサムは英国の植物学者。裕福な家庭に生まれるが大学などの学校教育は受けずに独学で学習した天才。1世紀以上も学生によって使われた『英国植物ハンドブック』(1853年1版)を出版。彼の死後は友人でキュー王立植物園の園長フッカー(Sir Joseph Dalton Hooker)が改訂版を編集し、“ベンサムとフッカー”として呼ばれる名著を著作する。

Dusén, Per Karl Hjalmar (1855-1926) 1903年に命名された。
スウェーデンの植物学者・探検家。アフリカ、南米などを探検したプロのプラントハンターといった印象がするがいかんせん情報が少ない。ニューヨク植物園には、彼が収集したコケ類の貴重な標本コレクションがあるので、依頼されて収集したという感じがする。

Regnell, Anders Fredrik (1807-1884) 
サルビア・ガラニチカの採取者・プラントハンター。(以下に説明)

            

<Contents of the last year>
ブラジルのセージ 発見者の物語
S.ガラニチカは、1833年に学名が登録されており採取日はこれより前になる。
その学名は、「Salvia guaranitica A.St.-Hil. ex Benth.」であり、命名者の一人が、英国の植物学者 ベンサム(George Bentham 1800-1884)だった。彼は、サルビアが属するシソ科の権威であり中南米の植物の体系を整理していたことがこれでわかった。

もう一人の命名者は、フランスの植物学者サン=チレール(Saint-Hilaire, Auguste François César Prouvençal de 1779-1853)で、1816年から6年間ブラジルの北東にあるリオデラプラタ(Rio de la Plata)の奥地まで入って植物調査を行い、多くの動植物の標本をパリに持って帰った。現在はパリ自然史博物館のコレクションになっていて、これらをベースにブラジルの植物相についての著名な著作物もある。

このブラジルに咲くセージを採取したのは、コペンハーゲン生まれで病弱なレグネル(Regnell, Anders Fredrik 1807-1884)だった。彼は、裕福だが家庭的には恵まれない家に生まれ、17歳の時に医学校に合格し、ウプサラ大学のリンネ学派の先生の影響もあり植物学に興味を持つようになった。

1837年に卒業し1840年にはブラジルにわたった。
肺からの出血が止まらず健康的にすぐれないので、スウェーデンから遠い南国への転地療養でもあった。だがこの病は、ブラジルへの船旅中に太陽と潮風などにより回復したというから転地療養がうまくいったことになる。

リオデジャネイロの医学校に入学し、カルダスという小さな村に生涯住むことになる。
ここに、土地とコーヒー園を取得し、コーヒーが順調に伸びて財を形成することになる。この財産を一生の道楽である植物の調査探索と研究のために使った。
膨大な植物と標本を収めるハーバリウムを作り、多くの植物学者がここに滞在した。カルダスという小さな村でのレグネル植物館は察するに相当目立ったことだろう。

これだけなら単に植物好きの偏屈な独身金持ちで終わったが、母国スウェーデンにブラジルの植物研究を進める基金をつくり、植物調査などを支援する“Regnellian Herbarium”設立の資金提供を行った。
設立された“The Regnellian herbarium”には、中南米カリブ海などアメリカの植物標本40万件が集約されているそうだ。

今では世界の科学振興の基金となっている“ノーベル賞”は、1901年にノーベル(1833 – 1896)の遺言ではじまったが、これよりチョッと前に、南米の植物の範囲で、レグネルの研究支援が始まっていた。
ノーベル賞は、贖罪的な要素もあるが利益を社会還元するスケールの大きさに感心するが、的を絞ったレグネルのドネーションも素晴らしい。

ブラジルのセージ S.ガラニチカは、採取日不明だが、レグネルの標本館にあったという。このセージは、健康と勇気と社会貢献を教えてくれるセージでもあり、不老長寿の伝説を創る1話となっても良さそうだ。
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サルビア・パテンス(Salvia patens)の花

2009-05-30 07:52:59 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・パテンスの花


昨年は、“自然が創った完璧なそらいろ”と表現したが、的を射ていることを今年も実感した。
ちなみに昨年のコメントを振り返ってみるとこうなる。

パテンシスの花は、サルビアの中ではとても大柄で4~5cmはある。
その巨体をキャンバスに
空の色を思わせる鮮明なブルーでやってきた。

日常見慣れないスカイブルーな色であり、
この花の色を表現するボキャブラリーのなさを痛切に感じてしまう。
非のうちどころのない色と形の調和。

            

ウイリアムス・ロビンソンの自然で野性的な庭
私と同様に感じたかどうかはわからないが、アイルランド生まれのガーデナーで園芸著作家としても世界的に知られているウイリアム・ロビンソン(William Robinson 1838 – 1935)が「英国のフラワーガーデン」1933年版で“園芸品種の中で最も素晴らしい植物のひとつ”とサルビア・パテンスを絶賛していた。

ウイリアム・ロビンソンの絶賛が何故今日でも語り継がれているかを理解するには、彼の庭造りの考えを知る必要がある。
ロビンソンは、様式化された人工的な庭造りを完璧に否定し、自然で野性的な庭造りを提唱し実践した。当時としては革命的な発想のようで、イタリア庭園、フランス幾何学庭園などの形式化された人工的な庭を嫌った。
ロビンソンが実践したのは、①ロックガーデンに高山植物を使う。 ②裸の土が見えないように多年生の植物とグランドカバーで庭を覆いつくす。 ③耐寒性の多年草と野生の自生している植物(原種)を使う。 ④自生しているように多年生植物の大きなかたまりをつくる。
などで、日本庭園を見慣れている現代の我々にはどこが革命的なのかピンと来ないが、東京駒込にある「旧古河庭園」の庭園入り口すぐにある洋風庭園を否定し、奥にある日本庭園を推奨していると解したいような気がする。

「旧古河庭園」を素晴らしいと感じたのは、ロビンソンが否定しそして推奨する対極的な新しい庭があるがゆえにこのギャップが素晴らしいと感じたことに改めて気づかされた。

ヨーロッパでは、野生の植物を庭に取り込む考え自体が新しく、その提唱者がサルビア・パテンスの花を賞賛し、この考えが今でも支持されているということだろう。

サルビア・パテンスは、大きな花を咲かせるがゆえになのか花数が少なく、1-2日で落花する。耐暑性に強くなく夏場は半日陰の場所が望ましい。しかも少し湿り気味の土壌が良い。
開花期は初夏から秋までと長いが、夏場は無理に花を咲かせないように、開花後の枝は切り落とした方が良い。
耐寒性はある程度あるはずだが、一昨年の株からさし芽で作った株が今年の冬にダメージを受け全滅してしまった。いま咲いている株は、三代目にあたる。

(写真)サルビア・パテンスの立ち姿
        

サルビア・パテンス(Salvia patens)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名は Salvia patens Cav. 。英名はゲンチアンセージ(gentian sage)、和名ソライロサルビア
・原産地はメキシコ。
・耐寒性は強いが耐暑性は弱い。梅雨の時は花を出来るだけ雨に当てない、夏場は風通しの良い半日陰で育てる。
・草丈50~60㎝
・開花期は6~10月、大柄なブルーの花が数少なく咲く。
・夏場は無理に花を咲かせないようにすると秋に咲く。


サルビア・パテンスの歴史
メキシコ原産の花であり、英名でのゲンチアン・セージ(gentian sage)は、リンドウ色をしたサルビアということだが、1838年に園芸市場に登場したようだ。この説は、「The New Book of SALVIAS」に書かれていて、Web上ではこの引用が多く出典がよくわからない。

ミズリー植物園のデータベースに記録されているコレクター(発見・採取者)で最も早いのは、1863年に場所は不明だがメキシコで採取したエンゲルマン(Engelmann, George 1809–1884)で、パリー(Charles Christopher Parry 1823-1890)とパルマー(Edward Palmer 1829 - 1911)のパーティは1878年にSan Luis Potosíで採取している。

ということは、謎の或いは空白の25年間がある。

エンゲルマン、パリーはメキシコ原産のサルビアで何度が登場しているが、パリーの植物学の師匠の一人がエンゲルマンで、サルビア・グレッギーを発見したグレッグが太平洋までのルートを開拓するための探検で採取した植物を送ったのがエンゲルマンでもありミズリー植物園を創設した人物でもある。
<参照>
グレッグ、エンゲルマンに関しては:チェリーセージ②:サルビア・グレッギーの花
パリーに関しては:チェリーセージ③:S.ミクロフィラ“ホットリップス”の花と発見者のストリー

明快なのは命名者であり、サルビア・パテンスの原産地メキシコの宗主国スペインの植物学者Cavanilles, Antonio José(Joseph) (1745-1804)に献じられている

カバニレスは、僧侶でもあり、ラテンアメリカ、西インド諸島、オーストラリアの多数の植物の命名者となる。彼が命名したものは、パテンスのように「Lamiaceae Salvia patens Cav.」で“Cav.”と表記される。

パリ(1777-1781)での滞在の間に、彼はフランスの植物一家として著名なジュシュー家のロラン・ド・ジュシュー(Laurent de Jussieu 1748-1836)と勉強を一緒にしている。
ジュシューは、リンネの植物分類体系をより自然に近づけた「自然分類」を発表した。発表年がフランス革命の1789年であったため「植物学革命の書」とも呼ばれた。

パリから帰国後の彼は、メキシコ原産のダリアを1791年にヨーロッパで初めて開花させたことでも知られていて、1801年にマドリッドの植物園の責任者になり1804年に亡くなった。
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サルビア・ウリカ(Salvia urica)の花

2009-05-23 08:24:42 | セージ&サルビア
株が古くなると生育が悪くなるので、一昨年さし芽で新しい株をつくった。
昨年立派に花開いたが残念なことに冬を越すことが出来なかった。霜でやられたのか冬場の過湿で根ぐされしたのかどちらかだろう。
サルビア・セージの定番の一つなので、今年も新しい株を入手したが早くも開花した。

(写真)サルビア・ウリカの花


「ウリカ」は初夏を告げる花で、春の終わりの目安となる。また暑い夏には長い夏休みをとり秋の兆しを感じると二度目の開花をする。
こんな季節の変わり目を知らせてくれるので、いわゆる季節の兆しアンテナとなる。

しかし「ウリカ」の花の命は短く二日程度で散ってしまう。が次から次へと咲くので見ごたえがある。

枝ぶりは直立に伸びないで斜めに延び100cm以上の大きさになるので、咲き終わった枝をカットする際には思い切ってカットし、元気な枝をさし芽で使用するとよい。
コンパクトに育てる場合は、開花前の5月初旬に一回摘心をしておくと良い。

真夏には、暑さに耐え切れないためか、夏休みをとる。この時期は、半日陰で水を切らさないように大事にすると、そのご褒美としてか涼しくなると又花をつける。

            

サルビア・ウリカの歴史
「サルビア・ウリカ」は、メキシコ・グアテマラ・ホンジュラスの暖かく湿った山腹に自生し、美しいディープ・ブルー・バイオレットの花を咲かせる。この美しさに気づいたのはつい最近のことで、1939年にエプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)が新種として命名・登録したというから、1900年代になって発見されたのだろう。

エプリングは「サルビア・ムエレリ」の命名者でもあり、「ムエレリ」と同じように誰が最初に採取者したかはわからない。

「ムエレリ」「ジャーマンダーセージ」そして「ウリカ」とも中南米原産の美しいブルーの花が咲くサルビア・セージだが、薬効があるハーブでないと見向きもされない時代が長く続いたためか、気にもされないで山野・草原にただ咲いていた時間が長かったとしか考えられない。

野に咲く雑草の美しさが発見されたのは20世紀になってからといっても良さそうだ。サルビア・セージの多くは野に咲く雑草であり、品種改良された園芸品にない洗練されていないけど生きかたが明快で雑な魅力がある。

とはいえ、雑草も自然交雑するので氏素性・由来に関しては謎がまだありそうだ。
「ムエレリ」の氏素性が疑問になっており、この「ウリカ」も同じような状況にあるかもわからない。

「ウリカ」が日本にいつ入ってきたか定かではないが、現時点でもポピュラーではないようだ。これは日本に限らず世界的にもまだポピュラーでないのかもわからない。なるほどと感心する情報が少ないことからも想像できる。

審美眼は人によって異なるが、育てるのがさほど難しくはなく、深いブルーの美しい花は、晩春から咲き、夏休みをとって暑さが過ぎ秋の気配とともにまた咲き始める。
美しいだけでなく、休むことの大切さを気づかせ、こころのケアーに役立つ花でもある。

(写真)サルビア・ウリカの葉と花
        

サルビア・ウリカ(Salvia urica)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草。
・学名は、Salvia urica Epling。英名はブルーブッシュセージ(Blue Bush Sage)。
・原産地は、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスの暖かく湿った山腹で自生。
・草丈は50cmぐらいで株張りが50cmと旺盛。
・耐寒性が弱いので強い霜に当てないようにする。
・日あたり、水はけの良い肥沃な土で、あまり乾燥させないように育てる。
・夏場は風通しの良い半日陰でそだてる。
・開花期は初夏と秋で、5月末~6月、9月~10月で夏場は休む。
・10~20cmぐらい育ったところで、摘心(1~2回)を行い枝を増やす。
・株が古くなると弱くなるので、3年目ごとにさし芽で増やす。

命名は、エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)が1939年に命名。

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サルビア・スペルバ・ローズクィーン(Salvia superba ‘rose queen’ )の花

2009-05-20 08:52:23 | セージ&サルビア
(写真) サルビア・スペルバ・ローズクィーンの花


シワシワがある縮れた葉、横に広がってから様々な方向に向かう茎、その先に花文字の“L”のようなピンクの口唇形の小花が下から上に駆け上がって咲く。
雑草そのもののような容姿から、まったく似つかわしくないかわいい花が咲くので、この意外性が気に入っている。
花が咲くと、野性味がある葉がマッチしてくるから不思議だ。

この花は、「サルビア・スペルバ(Salvia superba)」の園芸品種‘ローズクイーン’(Salvia superba ‘rose queen’)」だが、同じハーブ園芸店で「サルビア・ネモローサ」を購入したところ同じ花が咲いた。

二個並べてみると様になり群生した景色は“桃源郷”の入り口といっても良さそうだ。
それにしても、“桃源郷”にはいるには、謎という未解決の現実が待ち構えている。

(写真)S.スペルバとS.ネモローサのはずが
     

サルビア・スペルバの謎解き
昨年もこの謎にぶち当たり解決していないが、私だけでなく、まだ議論の余地があるということがわかった。
「サルビア・スペルバ」の学名は、“Salvia superba Hort. ex Vilm”で、命名者の最初の“Hort.”は、学名が正式でない場合に使われる。スタートから怪しいということを示している。

二番目の“Vilm.”は、フランスの植物学者・生化学者ルイス・デ・ビルモラン(Vilmorin, Louis de 1816-1860)で、植物の遺伝子を研究し今日の遺伝子工学を使った育種産業を創出する基礎を作った。
また、祖父のPhilippe André de Vilmorin(1776-1862)は、1800年代前半に英国を旅行し、家業として引き継いだ農園を穀物・野菜・外来の花卉植物・樹木に的を絞ったファミリー植物企業「Vilmorin-Andrieux」を構築し孫よりも長生きした。

そして、「サルビア・スペルバ」には、こんな記述があった。
Salvia × superba
Parentage: Salvia sylvestris_ × Salvia villicaulis
Common name: HYBRID SAGE

「サルビア・スペルバ」は雑種であり、その親は、S.シルベストリスとS.ビリカウリスの交雑によって生まれたようだ。

S・シルベストリスは、S・ネモローサと同じであり、
原産地は、バルカン半島を中心とした南欧からアジアにかけての原野で、草丈40cmでたたずむ姿は森の賢人(woodland sage)といわれている。

S.ビリカウリスは、S.アンプレクシカウリスと同じであり、
原産地、トルコ、東南欧の温暖なところでネモローサと同じ地域で生育している。

この2種が交雑したのが「サルビア・スペルバ」ということなのだが、遺伝子を調べない限りこの関係はわからないところまで来ているようだ。
命名者ルイス・デ・ビルモランが遺伝子の専門家であり、皮肉なことになっている。

(写真)サルビア・スペルバ‘ローズクイーン’の花
        

サルビア・スペルバ・ローズクィーン(Salvia superba ‘rose queen’ )
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名はSalvia×superba Stapf 。英名はハイブリッドセージ(Hybrid Sage)
・S.スペロバは、S.シルベストリスとS.ビリカウリスとの交雑種。(S. sylvestris_ × _S.villicaulis)
・原産地は、ヨーロッパからアジアで交雑種が多い。
・草丈は、20~30㎝で、群生させると美しい。
・開花期は5~11月と長く、開花後に切り戻すと秋に再度咲く。
・水はけのよい土で乾燥気味に育てる。
・耐暑性および耐寒性はー10℃と強いが、梅雨に弱いので開花後に切り戻す。

            

<Contents of the last year>
<交雑の謎>
ハーブ園では、“サルビア・ローズクィーン”とタッグが付いていたが、“サルビア・スペルバ”の沢山ある園芸品種の一つの“ローズクィーン”であること。
“サルビア・スペルバ”自体、ハイブリッド(異種交配した品種)であり、親の特定が混乱している。

調べれば調べるほどわからなくなってくるが、いくつかの説があり、方程式風にして比較すると以下の説がある。

① サルビア・スペルバ(S. superba)=S. nemorosa × S.virgata (注1)
② サルビア・スペルバ(S. superba)=S.sylvestris × S.amplexicaulis (注2)
③ サルビア・スペルバ(S. superba)=S.sylvestris × S.villicaulis (注3)
(注1)西川綾子著 「サルビア」(NHK出版)
(注2)米国農務省 Germplasm Resources Information Network (GRIN)
(注3) The Royal Horticultural Society(英国王立園芸協会)

さてここで、
(イ)ネモローサ(nemorosa)とシルベストリス(sylvestris)は同種であるという説
(ロ)アンプレクシカウリス(amplexicaulis)の別名は、villicaulisという説
があり、前述の3つの方程式は、ほとんど“≒(ニアイコール)”のようだ。

そうすると、親の性質を確認しなければならない。

サルビア・ネモローサ(≒シルベストリス)は
原産地は、バルカン半島を中心とした南欧からアジアにかけての原野であり、草丈40cmでたたずむ姿は、森の賢人(woodland sage)というにふさわしい。

サルビア・アンプレクシカウリスは、
原産地、トルコ、東南欧の温暖なところでネモローサと同じ地域で生育している。

これらのハイブリッド(異種交配)である“サルビア・スペルバ”には様々な種類があり、“サルビア・スペルバ・メルローブルー”は、2003年度のフロロセレクトにてゴールドメダル受賞した世界的な品種だ。

「フロロセレクト」(Fleuroselect)は、
1970年に花の新品種開発振興や育成者の権利保護を目的に設立された国際的な非営利機関で、世界の主要な育種会社・種苗会社が会員となっている。中心はヨーロッパです。


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サルビア・ビナフォア レッドバイカラーの花

2009-05-18 09:16:28 | セージ&サルビア
(写真) サルビア・ビナフォア レッドバイカラーの花


ちょっと暗い赤紫のチェリーセージ。ひときわ艶やかに咲いている。

パープル系のチェリーセージが出まわるようになってきたが、この鮮やかさが無く意外に弱いので1年でダメにしてしまうことが多い。

この花は、夏でも元気な花で水枯れにも強い。四方八方に伸びきったので昨年晩秋に思い切って枝を落としコンパクトにした。
育てるのが簡単で、季節になるとその艶やかさで咲き誇るありがたい花だ。


この「サルビア・ビナフォア レッドバイカラー」は、埼玉県深谷市の小林孝之氏が自分の育圃園で2000年に作出し、2006年に品種登録したオリジナルの園芸品種。
この品種は、サルビア・グレッギーとサルビア・ミクロフィラ‘ミニローズ’との交雑種で、サルビア・ヤメンシスの園芸品種に当たる。

日本でもサルビアの品種改良がされているようであり頼もしい限りだが、開発者が少ないようで小林さんが突出しているようだ。

(写真) サルビア・ビナフォア レッドバイカラーの葉と花
        

サルビア・ビナフォア レッドバイカラー
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia × jamensis J.Compton (S.ヤメンシス)。その園芸品種。
・S.グレッギーとS.ミクロフィラ‘ミニローズ’の交雑品種(Salvia greggii A.Gray × Salvia microphylla Sessé & Moc.)。2000年に埼玉県深谷市の小林孝之氏が作出。
・ヤメンシスの原産地は、アメリカ・テキサスからメキシコ。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。
・花の時期は、4~11月。花色は赤紫でパープルよりは鮮やか。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す。

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ジャーマンダーセージ(Germander sage)の花

2009-05-14 08:41:41 | セージ&サルビア
(写真)ジャーマンダーセージの花


ジャーマンダーセージとして知られているサルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides Cav.)は、晩春5月頃からブルーの渋い花を咲かせる。
葉は銀灰緑色で、ブルーの花と一体になって“落ち着き”という調和をもたらしてくれる。

ブルー系の花でも昨日掲載したサルビア・ムエレリは、“ときめき”感があるが、ジャーマンダーセージのほうは、興奮を鎮める“沈静”感があり、枯れた大人の雰囲気がある花のようでもある。


メキシコの植物の主要な地域とシェラ・マドレ・オリエンタル山脈

    
1. Sierra de Baja California
2. Llanura Costera del Pacífico
3. Sierra Madre Occidental
4. Altiplanicie Mexicana
5. Sierra Madre Oriental
6. Llanura Costera del Golfo
7..SistemaVolcánico Transversal
8. Depresión de Balsas
9. Sierra Madre del Sur
10. Sierra Madre Oriental
11. Sierras de Chiapas
12. Plataforma Yucateca

このジャーマンダーセージは、メキシコのシェラ・マドレ・オリエンタル山脈に自生し、1878年にチェリーセージの仲間のミクロフィラ、そしてムエレリなどを発見したパリーとパルマーによって採取された。

メキシコには二本のレールのように南北に走る山脈がある。大西洋側にある山脈がシェラ・マドレ・オリエンタル、太平洋側がシェら・マドレ・オキシデンタルと呼ぶ。この二つの山脈が亜熱帯地方のメキシコに多様な環境をもたらし南アフリカ、ケープ地方と同じように植物の豊かな宝庫となっている。採取地の高度が記録されているのも気候条件に関係するメキシコならではだろう。

シェラ・マドレ・オリエンタルは、メキシコの北部から南に1000㎞もある長い山脈で、米国よりにNuevo León、San Luis Potosíがあり、パリーとパルマーはSan Luis Potosíでサルビア・ミクロフィラ、サルビア・ムエレリ、そしてジャーマンダーセージを発見・採取した。

このジャーマンダーセージは、サン・ルイス・ポトシの1800-2400mの山中の砂漠化した乾燥したところに自生していたという。
それにしても、真っ赤なサルビア・グレッギーとこのジャーマンダーセージの交雑して誕生したのがサルビア・ムエレリという説があるが、ありえると思ってしまうほど近くに自生している。

(写真)ジャーマンダーセージの葉と花
        

ジャーマンダーセージ(Germander sage)
・シソ科アキギリ属の常緑の多年草。
・学名は サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides Cav.)。
・英名は、ジャーマンダーセージ(Germander sage)、メキシカンブルーセージ(Mexican blue sage)。
・原産地は、メキシコ北部からテキサス。発見された場所はメキシコ、シェラ・マドレ・オリエンタル山脈(Sierra Madre Oriental)の2100-2800mに自生している。
・-5℃以上の半耐寒性で、日当たりの良い乾燥した土壌を好む。
・草丈は、30~50cm程度で横に広がる。
・開花期は、5月から晩秋までと長く、濃い目の青紫の花が咲く。
・半日陰では花が減少するので日当たりが良い乾燥気味の土壌。
・銀白色或いは灰緑色の葉が美しい。ロックガーデン向きの植物。

命名者
Cavanilles, Antonio José(Joseph) (1745-1804)
カヴァニレスは、18世紀のスペインの著名な植物学者、1801年からはマドリッド王立植物園の園長で、メキシコ原産のダリアを1791年にヨーロッパで初めて開花させたことでも知られている。また、メキシカンブッシュセージの命名者でもある。

ジャーマンダーセージの主なコレクター
・Schaffner, Jose Guillermo(1830-1882)、1876年9月に San Luis Potosi でchamaedryoides var. isochroma を採取。
・C.C. Parry & Edward Palmer 、1878年にSan Luis Potosí の1800-2400mの山中で採取。
・C.G. Pringle(1838-1911)、1890年9月にMexico Zacatecasで採取。

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サルビア・ムエレリ(Royal purple sage)の花 と 出自の疑問

2009-05-13 07:30:01 | セージ&サルビア
(写真)サルビアムエレリの花


「ムエレリ」は、朝陽・夕陽に映え、その名のごとく“ロイヤルパープル”に輝く。
陽に当たると赤味が入ったパープルとなり、かげると青が強まるパープルとなる。

花のサイズは小さく1.5㎝程度でチェリーセージの小型版のようでもあり、明るい緑色の小さな葉とついになり、夏場は一休みするが5月から秋まで楽しめる。 変色した枯れ葉をつまんでやるとセージ特有の薬臭いにおいが手にうつり、ちょっとした気分転換をしてくれる。

この「サルビア・ムエレリ」は、「ロイヤルパープル・セージ」「ムエレリ・セージ」「ロイヤルパープル・オウタムセージ」そして「パープルサルビア・グレッギー」などと呼ばれていて、おやと思わざるを得ない。とくに、最後の二つは三種あるチェリーセージの呼び方に近い。

           

サルビア・ムエレリの歴史とその出自の疑問
メキシコ原産のサルビア・ムエレリ。
米国との国境近くにあるメキシコ・ヌエボ・リオン(Nuevo Leon)の山中で1938年に発見され、学名にSalvia muelleri Eplingというように、この時代のアメリカ大陸でのサルビア属の権威でUCLAの植物学教授 エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)が命名する。
発見し採取した人物は確認することが出来なかった。

さらに不思議なことがおきている。ムエレリの発見以降、その後誰も見たものがいないし生息地の報告もないという。
『The New Book of SALVIA』の著者Betsy Clebschによれば、「1987年以前には育苗園や植物園でも見かけたことがない。しかし、ロイヤルパープル・セージは良く知られている。サルビア・ムエレリは本当にあるのだろうか?」と疑問を提示していたが、出版直前であり締め切りまでにわからなかったようだ。

確かに、サルビア・ムエレリという学名は、世界の主要な品種データベースに詳しい情報が載っていない。

推測ではいくつかの説がある。
1.S.ムエレリは、S.グレッギー(Salvia greggii)とS.セルピリフォリア(Salvia serpyllifolia)の交雑種という説
・ムエレリの新種として登録されているのはこの1品種だけで、S.セルピリフォリアは、1878年にメキシコ、サン・ルイス・ポトシ(San Luis Potosí)の1850-2460 mの山中でS.ミクロフィラを発見したパリーとパルマによって同じ時期場所で発見採取された。
・当初は「パープルのミクロフィラ」と思われていたが、1900年に別種として米国の植物学者フェルナルド(Fernald, Merritt Lyndon 1873-1950)によってクリーピングタイム(Thymus serpyllum)に似た葉をしているのでserpyllifoliaと命名された。
・そして育苗園では1990年頃に種から栽培されるようになったというが、パリー達に発見されてから大分時間がたっている
(このタネを採取したのは、Southwestern Nativ SeedsのSallyとTim Walkerといわれている。)

2.S.ムエレリは、S.グレッギー(Salvia greggii)とジャーマンダーセージとして知られているS.カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)の交雑種という説
・ムエレリの命名者Eplingの説といわれる。
・ジャーマンダーセージ(Salvia chamaedryoides)も、1878年にメキシコ、サン・ルイス・ポトシ(San Luis Potosí)の山中でパリーとパルマによって発見採取された。

3.S.マセラリア(Salvia macellaria)と同じという説
・さらにS.マセラリアはS.ミクロフィラと同じという可能性もある。

以上三つの説の共通していることは、米国に接するメキシコ北東部のあたりで、S.ミクロフィラ、S.セルピリフォリア、ジャーマンダーセージ(後日掲載予定)が自生し、S.グレッギーとS.ミクロフィラの交雑からS.ヤメンシスが誕生したように交雑していたのかもわからない。しかもこれらを発見採取したのはパリーとパルマだった。

まだムエレリとの関係は良くわからないが、「パープルのミクロフィラ」といってもおかしくないほどいわゆるチェリーセージの仲間というスタイルを持っている。

      サルビアの宝庫メキシコ、その北東部San Luis Potosí(緑の部分)
          

学名にこだわるわけ
ちょっと前までは学名などどうでも良く、現実に美しい花を咲かせ元気でいるので問題はないと思っていた。しかし、一つの品種に一つの名前があるメリットは、共通に話せる前提であり、トラブル、カッティングなど未体験のことをする場合に間違いを防げる。日向で育てるのがいいか、水をやってはいけないのか、肥料は、病害虫はなど品種が異なると対応も異なる。
ということで学名は重要な世界での共通語となる。それに、種を発見したドラマが付きまとうので歴史ロマンが楽しめる。

命名者エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)
エプリングも、UCLAの准教授の時に1933年、1035年とメキシコで植物探索の旅行をしていて、いくつか新発見もある。

彼は、100以上の科学的な業績を残しているが、その中で著名なのは、覚醒効果があるサルビア・ディビィノラム(Salvia Divinorum)の研究である。
メキシコの原住民が神との交信でタバコを使っていたが、サルビア・ディビィノラムの葉もシャーマンによって使われていたという。

古来より薬草として珍重されてきたハーブだが、シャーマンのような薬草使用に関する専門家が存在しなくなったこともあり、注意しなければならないものがある。

(写真)サルビア・ムエレリの立ち姿
      

サルビア・ムエレリ(Salvia muelleri)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名はSalvia muelleri Epling。英名はロイヤルパープルセージ(Royal purple sage),ムエレリセージ( Mueller's sage)。
・他には、purple Salvia greggii(パープル色のグレッギー)、Royal Purple Autumn Sage(ロイヤルパープル色のオウタムセージ(=チェリーセージ))。
・原産地はメキシコ、ヌエボ・リオン(Nuevo Leon,)
・半日陰でも育つ
・花の時期は長く、5月~11月。
・鮮やかな紫色の花で、チェリーセージに形態が似る。
・草丈は30~70㎝程度で横に広がる。

1938年 Epling, Carl Clawson (1894-1968)が命名。
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