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モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

チェリーセージ③:S.ミクロフィラ“ホットリップス”の花と発見者のストリー

2009-05-10 07:11:34 | セージ&サルビア
連休後半から天気が悪くなり気温が下がったためか、本来の「ホットリップス」の姿が見られるようになった。
気温が高すぎると赤一色となり、サルビア・グレッギーと区別がつかないが、気温が下がると「サルビア・ミクロフィラ“ホットリップス”」らしく、花の上部が白で、下唇部分が赤というバイ・カラー(bi-color)の姿に近づく。

(写真)本来の姿が出てきたホットリップス・セージの花


「ホットリップス・セージ」と、その親「サルビア・ミクロフィラ」発見のストリー
この花は、最近では「ホットリップス・セージ('Hot Lips' Sage)」と呼ばれているが、「サルビア・ミクロフィラ」の園芸品種で、サンフランシスコの園芸雑誌の編集者リチャード・ターナ(Richard Turner, editor of Pacific Horticulture Magazine)によって発見され導入された。

その発見の経緯は、何と彼の新築祝いのパーティーにメキシコ人の家政婦がお祝いとしてメキシコのオアハカ州(Oaxaca State)にある自宅からプレゼントとして持って来たという。

この「ホットリップス・セージ」は、自己のユニークなところを知っていて、気づいて欲しいがために、そして雑誌に取り上げてもらいたいがために園芸雑誌の編集者のところに来たのかもわからない。
偶然には必然が隠されているのだろうか。


「ホットリップス・セージ」の親は、サルビア・ミクロフィラであり、キュー王立植物園の記録では、アメリカのナチュラリスト、プラントハンターのプリングル(Cyrus Guernsey Pringle 1838-1911)によって1885年にメキシコで発見された。
プリングルに関してはこちらを参照

セントルイスにあるミズリイ植物園(Missouri Botanical Garden)のデータを見ていると面白いものに気づいた。
プリングルの発見時期よりも早い1878年にメキシコ・サン・ルイス・ポトシで「サルビア・ミクロフィラ」が発見されている。
発見・採取者は、パリー(Charles Christopher Parry 1823-1890)とパーマ(Edward Palmer 1829-1911)。

二人とも英国生まれでパリーは1832年9歳の時に両親とともに移住。パーマは1849年彼が20歳の時にアメリカに移住し似たようなキャリアを経験するが、パリーが学歴エリートだとするとパーマはたたき上げという違いがある。

しかし二人の共通点は、学術的な名誉よりも生涯一プラントハンターでありたいというところにあり、ミクロフィラの公式的な発見者プリングル、グレッギーの発見者グレッグともども米国南西部からメキシコにかけてのフロンティアに魅せられた冒険者の意気込みが感じられて好感が持てる。

彼らは地位・名誉を得ようとしなかったが、数多くの新種の発見という魔物に取り付かれ結果としての植物の歴史への貢献は素晴らしいものがある。フロンティアを見つけたものだけが体験できる陶酔の境地なのだろう。

パリーは、オンタリオ医科大学の1846年の卒業生で医者だが、この当時のアメリカの植物学会をリードしていたトーリー(John Torrey 1796-1873)、その弟子で後に米国植物学会での第一人者となるグレイ(Asa Gray 1810-1888)、そしてグレッグも採取した植物を送っていたミズリイ植物園の創始者ともなるエンゲルマン(George Engelmann1809–1884)に医学及び植物学を師事して学ぶ。というめぐまれた経歴を有するエリートだが、師匠たちと同じ世界を目指さずロッキー山脈を走破し30,000ものユニークな種を採取し、その植物カタログを作る第一人者となった。

パリーは、山歩きをするにふさわしい姿しか撮らせなかったという。スタイルに主義・主張がある、或いは、主義主張がスタイルになったという確信犯的な生き方に共感を覚える。

1700年代中頃から1800年代は、このような実地探索・フィールドワークを経験しない限り象牙の塔に入れないというスウェーデンのリンネイズムも強烈な主張があるが、英国にもフランスにもそして米国にも、「フィールドワークがあってその先がある」ということがコモンセンスとしてあり、行動規範の柱となって毅然と存在したという感がある。
“書を捨てて野に出よ!”と言いたいが、いまはその前に書を読めということからはじめなければならないのだろうか?

(写真)ホットリップス・セージの葉と花
        

サルビア・ミクロフィラ‘ホットリップス’
・シソ科アキギリ属の小低木で2年目から木質化する。
・学名はサルビア・ミクロフィラ‘ホットリップス’(Salvia microphylla 'Hot Lips’)、英名は、'Hot Lips' Sage。
・原産地は、アメリカのテキサス州からメキシコに分布する。
・草丈  50~60センチ(摘心で大きさを作る。)
・開花期 4月~10月
・耐寒性 普通だが丈夫。(霜に当てなければ大丈夫)
・耐暑性 強い
・土壌  適湿(乾いたらたっぷりと)
・ふやし方 さし芽(5月頃に形を整えるために摘心を行うのでこの時期にさし芽)



<Contents of the last year>
ミクロフィラにまつわる歴史
真っ赤なチェリーセージサルビア・グレッギーは、1848年にグレッグ(1809–1884)によって発見されたが、サルビア・ミクロフィラは、1885年にアメリカのナチュラリスト、プリングル(Cyrus Guernsey Pringle 1838-1911)によってメキシコで発見された。
彼は、35年にわたりメキシコを中心とした北アメリカの植物調査を行い、おおよそ1200の新種を発見したという偉大な成果を残している。

また、サルビア・ミクロフィラにはいくつかの種があるが、その新種の名前には、大航海時代のスペイン統治の植物学者の名残りがある。
Martínとその盟友José Mariano Mociño(1756-1820)の名がついたミクロフィラの種(Salvia microphylla Sessé & Moc)がある。

Martín Sessé y Lacasta (1751-1808)は、スペインの医者でナチュラリスト。
彼は、スペイン国王カルロス三世にメキシコでの大規模な植物相の調査・探検を提案し実施することになった。

大航海時代は、香辛料・薬用植物・金を東洋に求めてはじまったが、重要植物は機密としてスペインが秘匿してきただけでなく、よく知られない植物が多々あった。

マーティンは、メキシコの植物相の調査・植物学の発展に貢献したが、彼が集めた植物のコレクション及び原稿はまた秘匿され、死後約2世紀後に世に出てくるという不思議なことになっている。

またということは、16世紀後半のフランシスコ・エルナンデスの植物調査の成果が公開されないという同じようなことが以前にもあったが、重要な情報は集めるが秘匿するだけで活用されないという体質が伺える。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuo_shiga/d/20080222
活用するために集めるという原点を忘れた体質が、頂点から滑り落ちたのであろうか?
スペインに取って変わったイギリスは、キュー王立植物園を植物情報を収集する戦略拠点として構築・活用していくことになる。

さて日本では??

<チェリーセージシリーズ>
チェリーセージ①:サルビア・ヤメンシスの花
チェリーセージ②:サルビア・グレッギーの花
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サルビア・リラータ‘パープルボルケーノ’と リンネの使徒

2009-05-02 08:43:36 | セージ&サルビア
(写真)  サルビア・リラータ、パープルボルケーノの立ち姿
        

花が咲いてみたら結構美人系かなと思ってしまった。

冬場は、地面にへばりつく赤紫の葉が光・重力とは無縁に秩序無く伸びていた。
それがいまは直立する茎をサポートする土台のようにバランスよく広がっている。

サルビア・リラータの園芸品種‘パープルボルケーノ’。
‘Volcano’は、噴火口とか火山という意味なので、なるほどというネーミングになっている。
親のS.リラータは、北米東部からテキサスにかけての日当たりの良い森林、野原や道端に咲いている。生命力にあふれ耐寒性・対暑性に強く半日陰でも育つというので、コンテナガーデンの寄せ植えの彩としても貴重な存在となる。緑の中に色違いがあるのは深みをつける。

4月末になると30cmくらいに直立した茎の頭部に、ピンクが少し入った白色の上品な小花が咲く。なかなかスリムでパワフルな感がある美人系と思ってしまった。これを一目ぼれというのだろうか?

(写真) サルビア・リラータ、パープルボルケーノの花
        

原種の発見者ピーター・カールと北米のプラントハンター
この植物の原種、「サルビア・リラータ」を発見し採取したのは英語表記ではカール(Kalm, Pehr 1716-1779)
スウェーデン、ウプサラ大学でリンネに学び、1748-1751年に北アメリカの植物相探検をしたリンネの偉大な使徒・弟子でもある。ツンベルクが日本に来たのは1775年なのでリンネの使徒としてはツンベルクの一世代先輩に当たる。

スウェーデン王立科学アカデミー及びリンネが派遣したカールの北米探検の目的は、スウェーデンの絹織物工業を振興するために北国でも育つ耐寒性の強い桑の木などの有用植物の採取が目的だったが、リンネの使徒として北米の植物をリサーチしてその体系を完成させることもあった。彼は、90種を採取しそのうち60種は新種であり、その中にめずらしいサルビアがあった。

1753年にリンネがこのサルビアに「サルビア・リラータ」と命名したが、この植物のコレクターがカールだとはなかなかわからなかった。
北米でカールが歩いたところは、フィラデルフィアに到着し、カナダを探索するように指示されているので、ニューフランス(現在のニューヨーク州のクラウンポイント辺り)まで移動し、この砦周辺で植物を採取した後にモントリオールに移動した。それからケベックに行き1750年3月にナイアガラ滝の周辺に探索に出かけた。

今ではナイアガラ滝は観光地として知られているが、このナイアガラの滝は彼が発見した。また、sugar maple(カエデ), walnuts(クルミ)など貴重な植物も採取した。

1750年頃のアメリカの奥地は未開拓そのもので、チェリーセージ、サルビアグレッギーの発見者グレッグが西海岸カリフォルニアに探検をし、太平洋に至るルートを開拓したのはちょうど100年後となる。

帰国後にこれらの経験を書いた旅行記「En Resa til Norra America」 (Stockholm, 1753–1761出版)は、英語・フランス語・ドイツ語・オランダ語でも訳され1770年頃に出版されて、北アメリカの地理・政治・経済・文化・風習・植物相などが広く知られるようになった。

この本は北アメリカの植民地の生活を知る重要な情報となり、特に、植民地を持つフランスを刺激し、植民地経営、植民地の資源探索などを考え直す貴重な情報になったという。

フランスのプラントハンター、アンドレー・ミッショー(Michaux, André 1746-1803)が北米探索を命じられてニューヨークに到着したのが1785年11月であり、

イギリスのプラントハンターフランシス・マッソンがニューヨークに到着したのが1797年12月で、この二つの点が線になって結びつくようになって来た。

フランス、英国のプラントハンターをつないだのは「カール、ピーター」の著作物で、フランス・イギリスの国策に則った植民地の資源探索だったということが新たに見えてきた。
いわば二人とも、国策を遂行した駒だったということが浮彫りになり、それに命をとられてしまった結果になってしまった。

しかし、リンネは植物資源小国のスウェーデンにあって、国策に乗りながら世界の植物の体系を構築するためにサイエンスを追求していった。この姿勢は駒になった使徒をも含めて驚きでもある。しかも、カール、ツンベルクともプラントハンティングの後は母国に戻り植物学の教授としてサイエンスに貢献し寿命を全うしている。

階級社会の下層から脱出する手段となったプラントハンター、誰でもがなれるわけではなく植物の知識と育成のプロでありかつ未開拓地で生きていけるタフな精神と生存のスキルを持っていないとなれそうもない。現代なら宇宙飛行士に匹敵するのだろうか?

フロンティアを求めたプラントハンターは、国策の駒であろうが無かろうがフロンティアで生涯を終え、夢を実現したことに満足したと思うがいかがだろうか?

(写真) ロゼット状の葉
          

サルビア・リラータ、パープルボルケーノ(Salvia lyrata 'Purple Volcano')
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草
・学名は、Salvia lyrata 'Purple Volcano'。英名は、リラのように見える葉を持つのでリラリーフセージ(Lyreleaf sage)。
・原産地はアメリカ東部、コネチカットからミズリーそしてフロリダ東部・テキサスの開けた森林・野原・道端に自生する。
・特色のある姿であり、根元から濃い赤紫の葉が分岐するロゼット状で、この中心から30cm程度の茎が直立する。
・茎の頭部に美しい白い花をつけ、草丈全体として円錐形を形作る。
・開花期は4月末から6月。
・コンテナガーデンに適した植物。カラフルな色の組み合わせが楽しめる。
・日差しの明るいところ、半日陰でも栽培可能。
・こぼれ種で増えるほど繁殖力が強い。

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ユリシキー・セージ(Salvia jurisicii)の花

2009-04-29 13:50:00 | セージ&サルビア
(写真)ユリシキー・セージの花


バルカン半島旧ユーゴスラビアが原産のサルビア・ユリシキー(Salvia jurisicii)。

英名では“Turkish Sage”つまり“トルコのセージ”と呼ばれているが、命名者の一人であるユリシキー(Jurišić, Zivojin J. 1863-1921)の名を冠した花なので、『ユリシキー・セージ』と呼びたいぐらいだ。イギリスでもターキーセージではなく“ユリシキーのセージ(Jurisici's Sage)”と呼ぶケースが出始めているようだ。

このユリシキー・セージは、セージの仲間としては実に不思議なフォルムをもっている。
全身に繊毛をまとい、葉は羽のように分岐し縁にのこぎりのような切れ込みがある。
そして、最大の不思議なフォルムは、花自体にある。

(写真)ユリシキー・セージの葉
          

まず葉の形だが、コスモスのような或いはセンテッド・ゼラニウムに近い葉をしていて、アキギリ属又はサルビア属の仲間にはあまりない形だ。
そして、葉だけでなく茎・花にも細かい白い小さな毛が無数についていて、全身を守るかのごとく被っている。

このフォルムは当然理由があってこうなっているはずで、リサーチしたが、なかなか文献自体も情報も無いにひとしい。

そこで、いまわかっていることから推理すると
原産地の環境は、高山であることがわかっている。
だから高山植物のように耐寒性が強く、強い風などにも耐えられるように低く生育し横に広がる傾向がある。
栽培してみると、真冬でもグリーンの葉を地上すれすれに出し、寒さに耐えていた。春になり茎を伸ばし始めたが、すべての茎が真横に360度方向に伸びていき、支柱を立て補強しようかなと思ったぐらいだった。
それがいつの間にか自己修正し、光に向かって直進する枝として成長した。

衣服のように身にまとっている細かい毛は、外的な環境およびその変化から自己を守る役割をしている。冬場は、寒さから身を守り、夏場は陽ざしから身を守り水分の蒸発を防ぐ役割を果している。

さらに、細かい毛があると動物が食べにくいということもあるので、食べられないように進化してきたのだろう。

特徴だけをつまむと、砂漠のサボテンのような印象がするが、高山植物の仲間で乾燥に強い植物であることは間違いない。

(写真)ユリシキー・セージの花の拡大
           

この花を見ていて、何かがおかしいと思う。なんか変だという直感が働く。
通常アキギリ属又はサルビア属の花は口唇型で、上唇と下唇があり、喉の奥に蜜がありその近くに雌しべがある。雄しべは上唇にあることが多く、昆虫が蜜を吸うために下唇に乗ると雄しべの花粉が昆虫につくことになる。

という既知の感覚で見ると、やっぱり変だということがわかる。

何が変かというと、“花自体が上下になっていない”ということに気づくのに時間がかかった。
横になっているのが多く、上下逆転も結構ある。
これが普通で、上下が正しいのがあったらこれがおかしい形状のようだ。

何故逆転したのだろう?
という疑問には答えられないが、自生地での環境ではこの形状が昆虫にとって便利だったのだろう。

サルビア・ユリシキー(Salvia jurisicii)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草
・学名:Salvia jurisicii Košanin ex Jurisic。英名はターキ・セージ(Turkish Sage)
・原産地はバルカン半島セルビア、ブルガリア、アルバニアの山岳地帯。
・-18℃までの耐寒性があり、高山植物のように草丈20~30cm程度と低く横に広がる。
・葉に特徴があり、サルビアとしてはめずらしい羽状複葉(pinnate leaves)で繊毛に覆われている。
・開花期は、6~8月と書かれているが、4月下旬から咲き始めた。
・直立する花穂を伸ばし薄紫色の小さな花を咲かせる。花にも細かい毛が密集している。
・乾燥に強いようなので、乾いたらたっぷり水をあげる。
・冬場は腐葉土・ワラなどでマルチングし戸外でも管理できる。(関東以西)

命名者は2名で、1926年に命名されているので、発見も比較的新しい植物のようだ。
Košanin, Nedelyko (1874-1934)
Jurišić, Zivojin J. (1863-1921)
両名ともプロファイルがよくわからなかった。ユリシキーは、ベオグラードの植物園の園長で大学教授のようだ。

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チェリーセージ②:サルビア・グレッギーの花

2009-04-24 08:15:09 | セージ&サルビア
(写真)チェリーセージ、サルビアグレッギーの花


園芸店でチェリーセージとして売られているが、この中は3種に分けられる。基本系は、学名ではサルビア・グレッギー、英名ではオータム・セージと呼ばれる。真っ赤な色のセージがこれにあたり、通常この種をチェリーセージといっている。四季咲きで、霜に当てなければ2月頃まで咲いている。
最近は、グレッギーの園芸品種が多く出回るようになり、S.ミクロフィラ、S.ヤメンシスなどの園芸品種との違いがわからなくなってきた。

このチェリーセージ=サルビア・グレッギーは、メキシコ・Saltilloで植物採集を行っていたアメリカの歴史学者で貿易商のグレッグ(Josiah.Gregg 1806-1850 )によって1848年に発見・採取された。学名は、Asa Grayにより1870年に発見者にちなんでグレッギーと名付けられた。英名では、オータムセージ(Autumn sage)と呼ばれ、森の賢人という意味を持つ。森の入り口辺りのブッシュに生え、何となく賢くたたずんでいるのだろう。オランウータンも森の賢人と呼ばれているが、考え深げなところが似ているのだろうか?

発見者グレッグ・ストリー
グレッグ(Josiah.Gregg 1806-1850 )は、多才な発展途上中の人だったようだ。
44歳でなくなっているが、彼が活躍していた時代は、日本では江戸から明治という激動の頃であり、米国では、東から西へというフロンティアスピリット真っ最中の時期でもあった。
彼を称して米国ではアメリカのフロンティアマンと呼んでいる。直訳すると「辺境の人」ということのようだが、イリノイ、ミズーリで育ち1824年彼が18歳の時に教師となったが、これ以降から「フロンティアマン(辺境の人)」として大きく人生が変わっていく。

彼は病弱で、25歳の時に医者から自然の多いところで療養すると良いと言われ、サンタフェ(Sante Fe、現在はメキシコのニューメキシコ、リオグランデの北にある町)に旅行に出かけた。ここで、商人の仕事を見つけ周辺地域に行商に出かけることになる。
西部劇で見る幌馬車に乗り点在する家々・村々を廻ったのだろう。自然の脅威だけでなくインディアンにも襲われたようでありまさに西部劇そのものだった。

健康も回復し商いも順調に行き10年後にはかなり成功したという。しかし、彼が非凡なのは、38歳の時の1844年にサンタフェでの経験をまとめた『Commerce of the Prairies(大草原での取引)』という旅行記を出版したことだ。
この本は大成功を収め、米国だけでなくイギリス、フランス、ドイツでも翻訳され出版されたというから、商人から一躍著述業・文化人となりサンタフェの地図、地質、木の種類、人々の生活、政治状況などの権威ともなる。いわば、米国南西部とメキシコの北部地域の博物学・文化人類学・植物学・政治経済学などの権威となったのだ。

翌年の1845年には、医学の学位をとるためにケンタッキー、ルイスビルの医科大学に入学し、1848年春まで一時医者を開業したというから幌馬車に乗って行商をしていた頃から薬・薬草などには通じていたのだろう。
この医者時代にドイツ生まれで米国に移住した医師・植物学者・ナチュラリストのFrederick A. Wislizenus(1810‐1889)と知り合い、植物学にも興味を抱くことになり、メキシコからゴールドラッシュで沸いている米国西海岸のフロンティアにスイッチを切り替えることになる。

そして、1848年は、メキシコ西部からカルフォルニア・サンフランシスコまでの探検旅行を行うことになる。
探検の目的は、太平洋に至るルートの発見とそのための地図作製、樹木・植物探索などで7人の探検隊を組織して出発した。道々緯度・経度を測ったり樹木植物の収集などを行ったので一日3~4km歩くのがやっとで、たちまち手持ちの食糧が底をつき飢餓との戦いでもあったようだ。ハーブといえば価値観があるが、野草を食べ飢えをしのいでいたという。
山を越え森林を抜け餓死直前に海に出会い、目的の太平洋に至るルート開拓が出来た。

がしかし、この探検隊はこの後仲間割れをして分裂してしまう。隊長グレッグと一緒に行動すると飢えてしまうということを知ったせいでもある。
グレッグはサンフランシスコに戻る途中に悪天候にあい落馬した。そして動けない彼は見捨てられ餓死した。1850年2月25日だった。

44歳の若さであったが、彼の名は、西部開拓史に残る探検家であり、採取した植物などは、セントルイスの著名な植物学者George Engelmann(1809–1884)に送っていたので、23種にグレッグの名前が残り、サルビア・グレッギーはそのうちの一つだが、1848年の探検旅行で彼が発見し、米国の大植物学者グレイによってその功績を讃えられ名付けられた。

さらに、サンフランシスコの南にフンボルト湾があるが、ここは1775年にスペイン人によって発見されたがそれ以降忘れられていた。グレッグ隊が再発見をしてそれを確認するために派遣されたモーガン将軍とローラヴァージニア達が1850年3月にフンボルト湾と名付けたという。

教師、行商の商人、雑貨屋の店主、医師、地図測量技師、探検家、ナチュラリスト、植物コレクター、作家などいくつもの顔を持つグレッグ。
好奇心がフロンティアを拡張しそれぞれに水準の高さを足跡として残していった。
サルビア・グレッギーは、フロンティアに咲いていた花であり、フロンティアをいくつも乗り越えていったヒトの花でもあった。

(写真)サルビア・グレッギー立ち姿
        

チェリーセージ(Cherry Sage)、サルビア・グレッギー
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia greggii.A.Gray (S.グレッギー)、英名がAutumn sage(オータムセージ)、和名はアキノベニバナサルビア。
・原産地は、アメリカ・テキサスからメキシコ 。
・1848年にメキシコ・SaltilloでJosiah.Gregg (1806-1850)が発見。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。
・花の時期は、4~11月。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す

命名者は、グレイ(Gray, Asa 1810-1888) で、1970年に発見者のJ.Greggにちなんでグレッギーと名付けられた。

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チェリーセージ①:サルビア・ヤメンシスの花

2009-04-21 12:40:55 | セージ&サルビア
チェリーセージが花咲く時期になった。
一般的に呼んでいるチェリーセージには三種類あるが、学名にするとこの区別がわかりやすくなる。

発見された順番に書くと次のようになる。
1.サルビア・グレッギー(Salvia greggii)1848年 グレッグが発見
2.サルビア・ミクロフィラ(Salvia microphylla)1885年 プリングルが発見
3.サルビア・ヤメンシス(Salvia xjamensis)両者の交配種で種類多い。1991年 コンプトンなどが発見

まずは、開花した三種類のサルビア・ヤメンシスをカラー展開で掲載する。

(写真)サルビア・ヤメンシス・イエロー


ヤメンシスは花色が豊富だ。イエロー、サーモン、サーモンイエロー、オレンジ、パープル、赤紫、ピンクなど7種を栽培しているが、30色以上ありそうで24色が基本のクレヨンなどの色彩よりも豊富でなおかつもっと花色が出現しそうだ。園芸店では、チェリーセージという名前で販売しているが、葉を見るとサルビア・グレッギーと異なることに気づく。ヤメンシスの葉は、小さくて緑色の光沢がある卵形の葉であり、シワシワがあるグレッギー及びミクロフィラの葉とは異なる。

(写真)サルビア・ヤメンシス・サーモンイエロー


サルビア・ヤメンシスの発見
サルビア・ヤメンシスの発見は、ジェームス・コンプトン(James Compton),マーティン・リック (Martyn Rix)、 ジョン・ダルシー(John dArcy)によって、メキシコのヤメ(jame)の町の近くで1990年に発見し1991年に採取された。彼らは、形が異なる30種を収集し、耐寒性が優れた7種の栽培品種を発表した。

このヤメンシスを発見した場所は、シエラ・マドレ東岸の2000~3000mの高地で、1500~2800mあたりには真っ赤なサルビア・グレッギーが咲き乱れ、その上の1800~2500mにはサルビア・ミクロフィラの赤・白い花が咲き乱れていた。この両者の交じり合った高度のところにカラフルなサルビアが咲いていて別種とは考えていなかったようだ。実際は、グレッギーとミクロフィラの自然交配種だとコンプトンなどが気づくまでに相当な時間がかかった。

ヤメンシス(Salvia x jamensis)の名前は、発見した場所のヤメ(jame)にちなんでいるが、発見者コンプトンのジェームス(James)をも踏まえて名付けている。
親であるサルビア・グレッギーが、アメリカの歴史学者グレッグによって発見されたのが1848年だから、約150年近くも遅れて発見されたことになる。

ジェームス・コンプトン(James Compton)は、英国の植物学者で、Chelsea Physic Garden,の最高の庭園管理者だったが、彼は、同じ1991年に真っ赤な花を咲かせるサルビア・ダルシー(Salvia darcyi)をも再発見し、英国の植物学者ウイリアム・ダルシーにちなんで名前をつけた。

本来的には、テキサスにある圃育園Yucca Do Nurseryの採取者が1988年にコンプトンよりも早く発見していたが、キュー王立植物園に信用がなかったので、コンプトン発見となったようだ。

身内でないものが信用を獲得することはいかに大変なことかがこのケースでわかる。信用という概念自体排他的であり、この獲得コストは尋常ではないが、信用を獲得に当たってのプロセスはグローバル性がありコモンセンスとして共有化できそうだ。

(写真)サルビア・ヤメンシス・サーモン


サルビア・ヤメンシス(≒チェリーセージ)
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia × jamensis J.Compton (S.ヤメンシス)。
・グレッギーとミクロフィラの交雑品種(Salvia greggii A.Gray × Salvia microphylla Sessé & Moc.)
・英名がAutumn sage(オータムセージ)、流通名がチェリーセージ(Cherry Sage)。
・原産地は、アメリカ・テキサスからメキシコ。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。
・花の時期は、4~11月。花色が豊富。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す。

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フルーツセージ(Fruit sage)の花

2009-02-01 07:50:13 | セージ&サルビア

厳しいニュースが多いこの頃ですが、フルーツセージの花でほのぼのとなっていただけたら幸いだ。
世の中には、まだまだ灯りをともすものがある。
くじけず、諦めず、この花を思い出して微笑むことが出来れば春が来る。
そんな、のどかな和みをくれる花のようで、セージの中でもめずらしいタイプだと思う。

(写真)美しいピンク色のフルーツセージの花


2年ぶりにフルーツセージの花が咲いた。
昨年は、カッティングでさし芽を作っただけで終わってしまったが、やっとつぼみをつけ開花した。

この花の原産地は中南米のホンジュラスで、暖かい環境で冬から春にかけて開花する。
日本では、冬場は室内の窓際で育て、5月頃からは外でたっぷりと陽にあてるとよい。その際にカッティングで来年の苗を作っておくと良さそうだ。

なんといっても、フルーツセージの特徴は名前どおりのフルーツの香りであり、
パイナップルorグレープフルーツの甘い香りがする。
室内に取り込んでいるので、水遣りがてらベルベット状の明るい緑色の葉を軽くこするとこの香りがしてくる。

フルーツセージの花も素晴らしい。
セージ特有の口唇形の花型で長さは4-5cmと大きめでつや消しされたピンクがかかり、トロピカルな雰囲気がある花だ。多少乙女チックかもわからないが、セージの花色としてユニークな花色だ。

こんな素晴らしい花なのに由来がよくわからない。インターネットで検索するとほとんど同じ内容が書かれていて、アメリカからセージの専門書を取り寄せてみたが同じ内容でありこの本が出典元のようだ。

この花が学名として最初に登録されたのが1950年であり、アメリカの植物学者で中南米の植物相の研究に貢献したスタンドレイ(Standley, Paul Carpenter 1884-1963)
によって命名されている。彼が発見・登録したものと思われる。これ以前にさかのぼることが出来ないこと自体不思議だ。

種小名のdorisianaは、ギリシャ神話の海の妖精Dorisから来ており、野性的なセージ類が多い中で女性的なところがある。しかもただの女性ではなく50人の妖精の母でもあり大家族を束ねるシンボルとなっている。

(写真)フルーツセージの立ち姿


フルーツセージ(Fruit sage)
・シソ科アキギリ属の耐寒性が弱い常緑多年草。
・学名は Salvia dorisiana Standley。英名は Fruit sage, Peach sage。種小名のdorisianaは、ギリシャ神話の海の妖精Dorisから来ている。
・原産地はホンジュラス。
・草丈100-120㎝で灌木状に育つ、現在は30cm程度。
・薄黄緑色のスペード型の大きな葉、葉の質は柔らかいベルベット状で触るとパイナップル、グレープフルーツのようないい香りが漂う。
・開花期は、原産地では2月から5月までだが、耐寒性が弱いため日本では室内或いは温室で育てる必要があるので多少早めに咲く。
・花色は淡いピンクの美しい花が咲く。香りとあいまってファンタジックな雰囲気をかもし出す。
・春以降は戸外で育てることが出来るので、日光にたっぷりと当てる。
・殖やし方は、わき芽をとり株を分けるかカッティングでさし芽で簡単に殖やせる。霜などでやられるので、どちらかの方法で必ず殖やしておいた方がよい。

命名者スタンドレイ(Standley, Paul Carpenter 1884-1963)は、アメリカの植物学者だが、メキシコの大学で学位を取得し米国の国立博物館勤務など経て、中南米の植物探索を行い1957年にホンジュラスに引っ越してそこで亡くなるまで住んだ。

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「セージ」と「ハーブ」を愉しむ本

2009-01-31 12:45:32 | セージ&サルビア
わずか4冊で1年が楽しめる本
セージ、またの名をサルビアを愉しむための2冊の本を紹介する。
どちらかといえば栽培者向けで鑑賞者用ではない。

1冊は日本語、もう1冊は英語版となる。
何処が違うかといえば、英語版のほうが収録しているセージの数が多いのでマニア向けとなる。

セージはハーブの中の一ジャンルになるので、最後にハーブの本2冊を紹介する。
1冊は、散歩で持ち歩き園芸店などでチェックするためのもの、
もう1冊は、自宅に置きハーブを愉しむためのガイドとなる。

この4冊があればあとはいらない。といっても良さそうだ。
どうせそんなに読めないので、何か1冊に絞り、書き込みをして充実させていく方が楽しみが倍加する。
料理の本も同じかもわからない。使い込んでボロボロになれる本が実用書として役に立った証と思う。


◎『よくわかる栽培12ヶ月 サルビア』
西川 綾子著 NHK趣味の園芸 ¥950
・主要なセージの育て方がわかる
・今何をすればよいかが大体わかる
・園芸の基礎がなくても大丈夫で日本の中では優れた1冊。


『The New Book of SALVIAS』
Betsy Clebsch著、Timber Press出版 $19.95
内容などはこちらを参照
・西川さんの本を卒業したマニアユース
・セージの専門書はあまり見かけないが、この本は収録されているセージの数が多いのが魅力。(200以上はあるのでは?)
・著者との気候格差があるので、ここは注意する必要がありそうだ。

昨年9月頃に2007年バージョンを注文したが、今年の1月になっても届かなかったので1月中旬にキャンセルした。その日にアマゾンを検索し新しいバージョンがあったので注文したら翌日届きました。一体これは何だ?というつまらない経験をしました。
円高なので、配送料コミで2000円を切りました。今は海外商品のお買い得ですね。


参考として、ハーブの本を


◎『ハーブ』
亀田 龍吉著 山と渓谷社 ¥1000
・コンパクトにハーブが数多く収められている。これが一番役に立った。
・外出の時に持ち歩けるので、庭にあるもの、欲しいものなどをチェックしておくと同じものを何度も買わないですむ。(私だけでしょうか?)
・花を愉しむだけでなくこのガイドを見るとその先にいざなうものがあり疑問という脳を活性化させるものがでてくる。


『ハーブ スパイス館』
小学館出版 ¥3990
・ヤマケイのハーブを補う本。
・自宅で趣味的に眺められるし、生活百科としての実用価値もある。
・料理、クラフト、香りの愉しみ方などが記載されている。
・ヤマケイのハーブで物足りなくなった方用。
・この領域は数多く様々な本が出ているので、無駄な本を買いがちですが、この1冊があれば十分です。


いつの間にか積んどくだけの本が増えてしまいましたが、役に立った本の紹介です。
◎は特にお奨めです。昨年は出版不況でつぶれる出版社も出てきました。インターネットが便利になり、無料で手に入る情報が多くなったのでその影響もありますが、書き込んで自分のオリジナルを作れる本は生涯の友となれるはずです。

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サルビア・ミニアタから 新年のご挨拶

2009-01-01 00:05:53 | セージ&サルビア
ミニアタが咲き誇っています。
いつの間にか、半年おくれで12月から定期的に咲くようになり、
耐寒性がないはずなのに
耐寒性もついてきたようです。

ミニアタにも出来たので、不可能はないということでしょうか?
暗くならないで、ミニアタのような桃色で行きましょう!!



サルビア・ミニアタ(Salvia miniata)
英名のベリーズ・セージ(Belize sage)は、生息地の国名であり旧英領ホンジュラスといった。ベリーズは、ユカタン半島の付け根にあるカリブ海に面した小さな国で1981年に独立した。マヤ文明が栄え、熱帯雨林もあるので多様な文化、多様な植物相に恵まれる。

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ディスコロールセージ(Andean silver-leaf sage)の花

2008-12-07 09:50:22 | セージ&サルビア
(写真)ディスコロールセージの花


黒とも思えるダークグレイの花、つや消しの薄い緑の葉、
茎と葉の裏側はシルバー色で、
シックとでもいっても良さそうな落ち着いたカラーバランスだ。

ペルーのアンデス山中に自生し、
英名では、アンデスのシルバー色をした葉を持つセージと呼ばれる。

耐寒性は弱いが、日当たりが良い軒下に置いておくと、12月から1月まで咲き、
一休みして晩夏にも咲く。
植物カタログでは、晩夏から晩秋の花と紹介されているが、
冬の花といった咲き方をする。

(写真)直立しないディスコロールの葉と茎


ディスコロールセージ(Salvia discolor)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草。
・学名 サルビア・ディスコロール(Salvia discolor)、英名 アンディアン・シルバーリーフ・セージ(Andean silver-leaf sage)、ベルビアンセージ。
・原産地はペルー。
・耐寒性が弱いので、霜の降りる場所では越冬できない。軒下、又は室内で管理。
・陽に当てれば冬でも開花。
・対暑性は比較的強い。
・草丈は30cm程度だが、つるのように横に広がるのでヒモなどでとめる。
・葉は、薄い鮮やかな緑だが裏側が灰白色。茎は粘着質。
・開花期は、夏場から晩秋だが、日当たりがよいと冬場でも咲く。
・花の色は、黒色に近いダークグレイ。淡い灰緑色の顎と対照的。
・増やす時は、さし芽で増やす。
・花後に思いっきり剪定しても大丈夫。

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アンソニーパーカー・ブッシュセージ(Anthony Parker Bush Sage)の花

2008-11-16 08:36:31 | セージ&サルビア
メキシカンブッシュセージから枝分かれした新種
メキシカンブッシュセージの新種を調べている時に気になった2品種があった。
学名ではSalvia leucantha 'Santa Barbara' (S.レウカンサ‘サンタバーバラ’)
Salvia 'Anthony Parker'(S.‘アンソニーパーカー’)だった。

サンタ・バーバラは、ロスアンゼルスの北西にある園芸が盛んなリゾート地で
S.レウカンサ‘サンタバーバラ’は、
サンタバーバラに住むブラウン(Kathiann Brown)の庭で1999年に発見された新種で、
メキシカンブッシュセージより草丈が低くパーブルの萼にパープルの花が咲く。
メキシカンブッシュセージを小型にしたもので、庭植えとして人気が出るだろう。
欲しい一品でもある。

S,アンソニーパーカーは、
1994年にサウスカロライナの造園家フランセス・パーカー(Frances Parker)の庭で発見され、
彼女の孫息子の名前がつけられた。

この品種は、メキシカンブッシュセージと、真っ赤な花が咲くパイナップルセージの自然交配種で

ひょっとしたらわが庭でもハチドリの協力を得て出来るかもしれない。
といった期待でワクワク感があった。

しかしハーブ園にあったので、ないものは欲しいという欲望で手に入れてしまった。

(写真)アンソニーパーカーブッシュセージの花


葉は、パイナップルセージに似た静脈を盛った濃い緑色で、
花は濃い青紫で両親に似るよりもラベンダーセージに似ている。

晩秋まで咲くので、花が少ない時期としては貴重でもある。

(写真) アンソニーパーカーブッシュセージの葉と花


アンソニーパーカー・ブッシュセージ(Anthony Parker Bush Sage)
・シソ科アキギリ属のー6℃程度の耐寒性がある多年草。
・学名は、Salvia 'Anthony Parker'
・メキシカンブッシュセージ(S.レウカンサ)とパイナップルセージ(S.エレガンス)の自然交配した品種<Salvia elegans_ × _S. leucantha_ 'Midnight'>
・草丈100㎝程度だが株張りもこの程度あり、両親の血を引いている。夏場までに摘心をし丈と株張りを抑えないとスペースを取ること間違いない。
・開花期は10月から12月で、ラベンダーセージ、パープルマジェスティに似た濃い青紫の花が咲く。

【参考:過去掲載コンテンツ】
メキシカンブッシュセージ

メキシカンブッシュセージ‘ミッドナイト’

パイナップルセージ

ラベンダーセージ


(写真)11月中旬のメキシカンブッシュセージの花


(写真)11月中旬のパイナップルセージ

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