
1975年春、半世紀ぶりの甲子園出楊を果たした東山高で二塁を守った上田さん。「自分への最初の打球がうまく収まって、ようやく落ち着いた。いかに早く平常心を取り戻せるかが鍵」と話す。当時の野球部は大所帯。「ベンチ入りと控えの選手の心を一つにして、本番に臨めるよう心がけた」
西脇さんは同年夏、桂高から出場。同高としては、現在までを含めて1度きりの快挙だった。出場が決まると即座に地元の期待が高まり、寄付も集まったという。「環境が変わり、異国へ行った気分だった。部員には注目が集まると思うが、自らを律して行動してほしい」と願った。
2人は共に初戦敗退だった。「力はある。頂点を目指して」と言葉を重ねた。
【 2018年01月28日 21時00分 】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます