埋蔵文化財セミナーが23日、京都府向日市寺戸町の市民会館であった。「京都の中世社会を解明する」をテーマに、2013年度に実施した府内の中世遺跡の発掘調査で明らかになったことが報告された。
府教育委員会と府埋蔵文化財調査研究センターが催した。同センターなどは市文化資料館(同市寺戸町)で、昨年度の調査成果を紹介する「小さな展覧会」も開いている。
セミナーには歴史ファンら約70人が参加した。同センター総括主査の伊野近富氏が「中世のムラ・館(やかた)~京都・北から南から」と題し、土器や陶磁器に着目して話した。
伊野氏は、日本の首都だった中世京都は、他の地方のように土師(はじ)器皿の生産で回転台を使わず、古代からの「手づくね」で成形していたと説明、「京都 は技術の発展からは遅れていたが、逆にそれが『京都ブランド』として価値を持った。地方の有力者は他者との違いを明確にするため、京都産と分かる品を使っ た」と語った。
一方、舞鶴市の大川遺跡と宮津市の中野遺跡では、地元産の土器に加え、中国製陶磁器や高麗青磁などが多数出土したことを紹 介。丹後への物流は瀬戸内海から陸路の交易ルートだけでなく、日本海航路を活用した別のルートがあったと考えられるとし、「出土品の種類が多いほど流通の 中心地で、地域の中心『館』であったことが分かる」と話した。
【 2014年08月24日 11時02分 】
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