たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

啄木生誕乃碑

2021年08月04日 | 啄木歌碑

啄木は明治19年、日戸村(現・盛岡市日戸)の常光寺で生まれ、翌年、渋民村(現・盛岡市渋民)に移り、明治24年、渋民尋常小学校に入学しました。卒業後には、盛岡に行き、盛岡高等小学校、盛岡中学に入学します。しかし、明治35年、盛岡中学を退学、文学で身を立てようと上京しましたが、体調を崩し、渋民村に戻ります。体調も回復した、明治37年再び、東京に向かい、詩集『あこがれ』の刊行に努めます。明治38年節子と結婚、盛岡帷子小路の新婚の家で3週間暮らし、盛岡市加賀野に転居、ここで『小天地』を発行します。翌年、渋民村に戻り、斎藤家に間借り、渋民尋常小学校の代用教員を1年勤め、明治40、北海道にわたります。北海道では、函館、札幌、小樽、釧路で生活、明治41年、東京に渡ります。東京では朝日新聞社、亡くなる明治45年まで勤めました。渡り歩いた各地には歌碑が建立されていますので載せていきます。

 

(1)石川啄木生誕乃碑(常光寺 盛岡市日戸)

 

 

明治19年2月20日、啄木は岩手県日戸村の常光寺で石川家の長男として生まれます。常光寺では、啄木が生まれた部屋を当時のままに復元保存しています。下記の歌は常光寺の案内板にありましたが、令和になり案内板は書き換えられました。なお、常光寺は銀河鉄道渋民駅から10kmほどの所にあります。

 

たはむれに母を背負ひて

 そのあまり軽きに泣きて

 三歩あゆまず

 

日戸村は盛岡市と合併、現在、盛岡市日戸になっています。日戸には、次の啄木の歌碑があります。

 

(2)旧玉山公民館の歌碑(盛岡市日戸)   

       旧玉山公民館の歌碑

 

     ふるさとの

     山に向ひて

     言ふことなし

     ふるさとの山は

     ありがたきかな

           啄木

 

旧玉山公民館は玉山中学校のすぐ傍です。歌碑は、玉山公民館が庭園を造ったときの記念として建立されました。近くにはホルモン鍋で人気の支所前食堂もあります。ここは、盛岡バスセンター・好摩駅間の路線バスの利用が便利です

 

(3)玉山小学校の歌碑(盛岡市日戸)

 

 

    或る時のわれのこころを

    焼きたての

    パンに似たりと思いけるかな

                啄 木

 

玉山小学校は旧日戸村にあり、旧玉山公民館から啄木が生まれた常光寺方面に向かって進むと途中1㎞ほどの所にあります。この歌碑は、啄木生誕118年に建立されました。玉山小学校から、啄木生誕の常光寺までは1kmです。常光寺から渋民駅までは約10kmありますので、旧玉山公民館に戻り、路線バスを利用が便利です。

 

 

 


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