たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

陸中八十八カ所霊場(51番 薬師堂)

2014年06月29日 | ぶらりぶらり
51番 薬師堂  本尊薬師  臺湯(現花巻市湯本台)

温泉神社といわれており、花巻の台温泉街に入り、さらに進んで行くと右側に神社があり、薬師堂と呼ばれている。台温泉は花巻温泉から車で5分ほどです。
  










御詠歌
西方(さいほう)をよそとは見まじあんやうの寺へまいりてうくる十らく

なお、四国八十八ケ所霊場の五十一番は「石手寺」です。

石手寺御詠歌
西方をよそとは見まじ安養の寺に詣りて受くる十楽



「高野山開創」1200年記念事業として、四国八十八ヶ所「お砂踏み」岩手大会がアピオ(岩手産業文化センター)で開催されております。会場内には一番から八十八番までの札所のご本尊(掛け軸)をおまつりし、八十八ケ所のお砂を踏みながらの参拝となります。明日30日が最終日になります。なお、四国八十八ケ所お砂踏みとは、四国八十八ヶ所各霊場寺院の御本尊をお祀りし、各寺院の「お砂」を集め、その「お砂」を それぞれの正面に敷き、札所と考えて、「お砂」を踏みながらお参りすることです。


  
岩手産業文化センター会議棟



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啄木の歌

山に居て海の彼方の潮騒を聞くとしもなく君を思ひぬ

釧路新聞  明治41年2月27日 釧路詞壇(4首、その3)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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盛岡市保存建造物(第18号 老梅院茶室 )

2014年06月26日 | ぶらりぶらり
W杯サッカー残念でしたね。よく、自分たちの試合をすれば勝てると言われるますが、どのスポーツでもいえますが、相手が弱い時は思い通りなりますが、強い相手だと思うようには進みません。自分たちの試合ができないのは、相手が強いからです。相手が強い時、どのように運ぶかが、自分たちの試合になるのでしょうね。

第18号 老梅院茶室  盛岡市大慈寺町7番18号 

ここは大慈寺小学校のすぐ傍です。解放されませんので、茶室は見れませんが、盛岡市の説明書によると、次のうようになっています。「茶室は、書院造りの茶室と小間茶室の2つから構成されている。外観は、小間茶室は妻、軒を見れば茶室とわかる構想で、母屋、垂木は竹で造られ、野地板に相当するところは細竹を敷き並べてあるが、屋根材は現在は鉄板一文字葺きで修理され、以前、何材料で仕上げたかさだかではない。この小間茶室は、書院造りの茶室より遅く建てられたものというが、外部壁、建具は相当いたんでいる」とあります。




茶室のある屋敷







盛岡の日中の気温は28度ぐらいになり、暑い日がつづいております。岩手山は4月には雪に覆われていましたが、今は消えてしまいました。



岩手山(6月25日)



岩手山(6月1日)



岩手山(5月25日)



岩手山(4月22日)




岩手山(4月1日)



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啄木の歌

春に山うぐひす鳴けば一しきり花散りすぎて日こそかぎろへ

釧路新聞  明治41年2月27日 釧路詞壇(4首、その2)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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盛岡市保存建造物(第17号 東顕寺本堂)

2014年06月20日 | ぶらりぶらり

第17号 東顕寺 盛岡市名須川町2番1号

盛岡の北山と名須川町の堺ははっきりと分からず、ここは北山と思ってましたが名須川町のようです。この地区は多くのお寺が存在し寺町として知られています。東顕寺は古い歴史を持ち、案内板によると、”本堂は、文化3年(1806)の建立であり入母屋造り本瓦葺屋根、向拝天井の組み物、内部の海海老虹梁や扇垂木など木造建築美が随所にみられる建物である” とあり昭和54年に盛岡市の保存建造物に指定されています。、本堂前には屋根が本瓦葺き(現在は銅板葺き)だった時の鬼瓦が保存されていて、さらに以前は柾葺きだったそうです。又、東顕寺には様々な寺宝を有していて、中でも十一面観音菩薩座像と大黒天立像は盛岡市指定文化財となっています。



本道





山門


以前使用されていた鬼瓦





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啄木の歌

雪のごと桜花散る日なりけり君と手をとり山路ゆきしは

釧路新聞  明治41年2月27日 釧路詞壇(4首、その1)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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陸中八十八カ所霊場(50番 三嶽堂)

2014年06月16日 | ぶらりぶらり
50番 三嶽堂  本尊薬師 宮野目(現花巻市西宮の目11)

三嶽観音堂といわれ盛岡の方から行くと花巻空港・花巻市内に入る信号を花巻方向に進み、浜木側に入るとすぐのところです。 



観音堂










御詠歌
萬(よろづ)こそはんたなるとも怠らず諸病なかれと望み祈れよ

なお、四国八十八ケ所霊場の五十番は「繁多寺」です。

繁多寺御詠歌
よろずこそ繁多なりとも怠らず諸病なかれと望み祈れよ





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啄木の歌

春日なる若草山の若草の萌え出し頃と君を訪ねぬ

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その8)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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盛岡市保存建造物(第16号 円光寺本堂)

2014年06月12日 | ぶらりぶらり
第16号 円光寺 岩手県 盛岡市南大通3-11-49

本堂は、元禄年間中に再建されたといわれている。寺院本堂としては珍しく妻側に正面向拝を持つが、安定した形で威圧感はなく、正面左右の夫婦かつらと相まって優れた正面性を有している。山門と本堂主要部構造は、江戸時代の地方寺院建築らしい統一感を持つ建物である。といわれている。



本堂








本堂正面の夫婦カツラは推定樹齢300年で、盛岡市指定天然記念物に指定されています。





境内には観音堂があります。南部藩の奥女中に蓮子という娘がいた。父が禁制のキリシタン信者ということで斬首となったが、蓮子はその夜、闇に紛れ、父の首を盗み、円光寺に回向を依頼、住職は寺の運命を思ったが、回向は僧の勤めと、ひそかに読経し埋葬した。蓮子は翌朝、自首をしたが、藩主はその親孝行に胸を打たれ、蓮子を側室にした。後に蓮子は父の菩提を弔うために観音堂を寄進、観世音菩薩を安置した。これが眼病に霊験あらたかであるため、「生目観音」といわれている。




観音堂



また、境内には盛岡市出身の内閣総理大臣「米内光政」の墓碑もあります。






円光寺の梵鐘はタイマー付きになっており、朝6時、正午、そして夏時間は夕方6時、冬時間は夕方5時の、一日3回セットされているようです。私が訪れた時にも朝6時に鳴っていました。


タイマー付き梵鐘





6月の第2土曜日の14日は南部盛岡「チャグチャグ馬コ」があります。9時半に蒼前神社をスタートし材木町、盛岡駅前、県庁・市役所前を通り盛岡八幡宮に午後1時半に到着します。材木町では12時5分から20分ほど休憩します。材木町は盛岡駅から旭橋を渡るとすぐで、歩いて5分ほどです。蒼前神社に行かれる人は盛岡駅(東口16番バス停)からシャトルバスが7時から5~10分おきに出ます。帰りは9時50分から盛岡駅までの運行です。



材木町で休憩中(2013.6.9 12時16分)



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啄木の歌

北の海鯨追ふ子等大いなる流氷来るを見ては喜ぶ

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その7)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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東京の啄木歌碑

2014年06月09日 | 啄木歌碑
梅雨に入りどんよりした天気ですね。7日の土曜日に東京で用事があり、翌日曜日は東京にある啄木の歌碑めぐりをしながら、ぶらぶらし、盛岡に帰ってきました。


(1)銀座の啄木歌碑



京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな



(2)本郷の旅館太栄館前の啄木歌碑



東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる



(3)湯島天神切通しの啄木歌碑




二晩おきに、 夜の一時頃に切通(きりどほし)の坂を上りしも――勤めなればかな。


(4)上野駅前商店街入口の啄木歌碑




ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく



(5)上野駅構内の啄木歌碑




ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく



(6)その他、浅草等光寺にも啄木歌碑がありますが、今回はたずねませんでした。

浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心
 




上野駅前の「あゝ上野駅」の歌碑

啄木もよく上野駅に来て "ふるさとの訛なつかし、そを聴きに」きたのでしょうね。








一、どこかに故郷の 香りを乗せて
入る列車の なつかしさ
上野は おいらの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
二、就職列車に 揺られて着いた
遠いあの夜を 思い出す
上野は おいらの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を
止めて聞いてる 国なまり
三、ホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野は おいらの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある




陸中八十八カ所霊場(49番 正蔵寺)

2014年06月07日 | ぶらりぶらり
49番 正蔵寺 本尊釈迦 立花(現 北上市黒沢尻町立花3-25)

明治24年の黒沢尻の大火災により焼失し、民家を仮の寺としていたが、大正3年に現在の本堂を建立している。明治時代に「学制」が布かれた時には本堂が「立花学校」として使用されていました。











御詠歌
十悪の我が身を捨てずそのままに浄土の寺へ参りこそすれ

なお、四国八十八ケ所霊場の四十九番は「浄土寺」です。

浄土寺御詠歌
十悪のわが身を棄てずそのままに浄土の寺へまいりこそすれ



盛岡は昨日(6月6日)あたりから梅雨入りとなり雨が降ったり止んだりと不安定な天候です。4月の今頃は岩手山も雪に覆われていましたが、今は頂上付近にいくらか残っている程度になりました。



岩手山(2014.6.1)



岩手山(2014.4.13  高松の池)



岩手山(2014.4.13  四十四田ダム)




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啄木の歌

「君よいざ死なまし」かくも我酔ひて物思ふ人の膝に枕す

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その6)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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盛岡市保存建造物(第15号 大泉寺本堂)

2014年06月03日 | ぶらりぶらり

第15号  大泉寺   盛岡市本町通一丁目14番1号

本堂は文政年間に再建といわれる。独特の宝形式反り屋根と、車寄せ屋根は起り(むくり)破風になっており、この建物の特徴となっている。大泉寺には木造阿弥陀如来坐像、木造十一面観音菩薩立像、紙本着色阿弥陀三尊来迎図屏風があり、盛岡市指定文化財となっています。



本堂






山門






おかんの墓



案内板によると「福岡城主九戸政実が南部信直に亡ばされ、家臣畠山重勝は自刃、その1人娘おかんは家来の三平と夫婦になって盛岡へ来た。夫は盛岡城築城の人夫となって働いていたが、工事中重症を負い再び哀れな運命に追い込まれた。組頭である高瀬軍太はかねてから気品の高いおかんに思いをよせていたが、三平の災難をきっかけにますます露骨になり、夫の運命にも危機が追ったので、困ったおかんは夫を殺害するなら従うと組頭を欺き、その夜、返送して夫の身代になって貞死した。軍太はまもなく仏門に入り、遺族の生計を助けた。現在の墓碑は、いまなおカンカンと不思議な音がするといわれている。」と書かれている。








墓石を叩くための石が置かれており、石が置かれている部分は、叩かれたために、自然のうちにくぼみができている。多くの人々がこの墓石を叩いてきたのでしょう。




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啄木の歌

天地(あめつち)にすがる袖なしおのづから手は汝(なれ)にゆく、あはれ盃

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その5)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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