たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

啄木歌碑めぐり(21)

2018年01月30日 | 啄木歌碑

(21)帰帆場公園歌碑(岩手県北上市幸町)     平成14年3月建立(『一握の砂』より)

 




                    わが恋を

                    はじめて友にうち明けし夜のことなど

                    思ひ出づる日

                                石川啄木

 

啄木は盛岡中学退学直前の明治35年10月初旬、盛岡高等小学校、盛岡中学と同級生の小沢恒一を黒沢尻(現・岩手県北上市)の実家を訪れ、節子との恋の悩みを相談しました。啄木は後日、このことを感謝の念を込めて、日記(明治35年11月14日)に綴っています。北上市では啄木と小沢の友情にちなんだこの歌を選んで歌碑を建立しました。

 

帰帆場公園




JR北上駅近から1kmほどのところにある公園「きはんじょう」と読み、かって船着場があったことでこの名前になっているようです。


啄木日記(明治35年11月14日、日記の一部)
時は十月の初旬、愁思たえ難くして兄を黒沢尻の郷に訪ひし時兄の情のああ如何許りかこの胸を慰めたりけんよ。九年橋上の月色、朧として兄の面てをてらす時、我れはただひたすらに友の胸のあたたかき血潮をぞ悟りし。吾の紛紜として胸乱るる時先づその情を探りて慰めの匕を投ずる者は友也。友よ尊い哉、兄ら抑も今郷に在りて如何の世をか観ずらん、? 兄らが我ためにせし送別の席上、(ああ思へば心躍るよ)そこに何らの城壁なくしてただただ一道に流淀する天地の和気のみぞ貫きたりし。






啄木歌碑めぐり(20)

2018年01月26日 | 啄木歌碑

(20)惣宗寺の歌碑(栃木県佐野市)                 昭和61年9月建立(『白羊会歌会草稿』より) 

 

        


 

夕川に葦は枯れたり

 血にまとう民の叫びの

 など悲しきや

 石川啄木


明治時代の政治家田中正造は天皇に足尾銅山鉱毒被害による農民の窮状を直訴しました。盛岡中学啄木はこの感動を「鉱毒」の題目で白羊会歌会草稿(明治35年)に発表しました。白羊会は啄木が盛岡中学の友人と結成した短歌研究会です。惣宗寺では、啄木生誕百年を記念して田中正造翁の墓の前にこの歌碑を建立しました


惣宗寺山門

 

惣宗寺(そうしゅうじ)JR佐野駅から10分ほどの所にあり、佐野厄除大師としてよく知られている寺院です。大師とは通常弘法大師(空海)さしますが、弘法大師を祀る寺院をさすこともあり、関東厄除三大師というと西新井大師、川崎大師、観福寺大師堂の三つの寺院を呼びます。一方、大師を厄除大師と呼ばれる元三大師(良源)をさし、元三大師を祀る寺院を指すこともあり、関東三大師というと佐野厄除大師、青柳大師、川越大師の三つの寺院を呼びます。


田中正造翁のお墓と啄木歌碑


 日本一大きな金銅(きんづくり)大梵鐘


寒い日がつづき大変ですね。東京の皆さんは寒さや雪に不慣れで混乱しているようですね。東京の最低気温が盛岡の最高気温のようで昨日も東京の最低気温が氷点下4度でしたが、盛岡の日中の最高気温が氷点下4度で最低気温は氷点下11度でした。気温が氷点下10度以下になると水道蛇口が凍る心配が出てきます。寒さもここ数日だと思いますので耐えましょう。


啄木歌碑めぐり(19)

2018年01月23日 | 啄木歌碑

(19)日和山公園の歌碑(宮城県石巻市)       平成元年3月建立(『啄木日記』より)   啄木 16歳




 砕けてはまたかへしくる大波の

 ゆくらゆくらに胸おどる洋

 啄木

 

この歌は、明治35年5月、中学5年の修学旅行で石巻を訪れ、長浜海岸を詠んだ歌です。明治35年11月5日の啄木日記(秋韷笛語)には42首が詠まれており、その中に「石の巻を懐ふ」と題した歌が2首あり、この歌と、もう1首は、次の歌です。 

  「くるゝ雲をはてを何所としらずして  洋覆ふ幕に想ひ入りぬる。」


石巻と盛岡は北上川で縁があり、北上川は盛岡駅前を通って石巻まで流れていきます。

日曜日(2018.1.21)から東京、熱海に行ってきました。日曜日は天気も良く暖かく、まず、ちゃんこ霧島で昼食をとりました。



食事後、国技館に行きましたが、当然でしょうが、当日券は売る切れでした。多くの人が並んでいたので聞いてみると、間もなく力士さん達が入館してくるというので、ちょっと待つて、力士さんたちに会うことが出来ました。





翌日、熱海に行きました。この日は寒くて大変でしたが、熱海はもう梅が咲いているのですね。


MOA美術館



熱海MOA美術館の梅(2018.1.22)


午後になって雪も降ってきたので、早めに帰りましたが、東北新幹線も30分ほど遅れました。この日は東京も20㎝ほどの雪が積もったようですね。盛岡ではうっすらと降っただけでした。





啄木歌碑めぐり(18)

2018年01月19日 | 啄木歌碑

(18)岩手公園の歌碑 (盛岡市内丸)            昭和30年10月建立(『一握の砂』より)        


   

 

不来方のお城の草に寝ころびて

空に吸はれし

十五の心

啄 木

 

啄木が教室の窓より遁げて、よく来ていた城址は盛岡中学の近くで、現在は岩手公園(不来方城跡)になっています。不来方城は盛岡城とは別ものですが、盛岡城の前身とか盛岡城の別名と呼ばれています。岩手公園は市民の憩いの場であり、平成18年、岩手公園開園100周年にあたり盛岡城跡公園と愛称を付けました。


岩手公園(盛岡城跡公園)


 


啄木歌碑


宮澤賢治詩碑


    岩手公園


   「かなた」と老いしタピングは、杖をはるかにゆびさせど、
   東はるかに散乱の、さびしき銀は声もなし。

   なみなす丘はぼうぼうと、青きりんごの色に暮れ、
   大学生のタピングは、口笛軽く吹きにけり。

   老いたるミセスタッピング、「去年なが姉はこゝにして、
   中学生の一組に、花のことばを教へしか。」

   弧光燈にめくるめき、羽虫の群のあつまりつ、
   川と銀行木のみどり、まちはしづかにたそがるゝ

                        賢治


 



教育記念像


水泳中に溺れた生徒を救い殉職した先生の事績を讃えるために建てられた碑です。




公園前の神社によったら数人の方がお参りしてました。厄年のお参りでしょうか。



水泳中に溺れた生徒を救い殉職した先生の事績を讃えるために建てられた碑です。


啄木歌碑めぐり(17)

2018年01月17日 | 啄木歌碑

(17)啄木・牧水 友情の歌碑(盛岡市立下橋中学校前)    平成9年5月建立(『一握の砂』より)



教室の窓より遁げて

ただ一人

かの城址に寝に行きしかな 

石川啄木

 

城あとの古石垣にゐもたれて

聞くとしもなき

瀬の遠音かな

 若山牧水

 

「教室の窓より遁げて・・」啄木の中学時代の様子を詠んでいます。啄木・牧水友情のこの歌碑は、啄木生誕111年(本名一(はじめ))を記念して建立されました。


啄木は東京小石川の地で短い生涯を閉じましたが、この時立ち会ったのは、父一禎・妻節子と若山牧水、そして5歳になる娘の京子でした。

 「君が娘は 庭のかたへの八重桜拾うつつともなし」    

 若山牧水 

 

若山牧水と石川啄木のつながりは、死の1年半前ぐらいからのようです その後牧水は啄木を偲び、盛岡を訪れて詠んだ一首が、この碑に刻まれています。

 

「城跡の古石垣にゐもたれて 聞くともなき 瀬の遠音かな」 

若山牧水

牧水には、次の歌もあります。

 

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく






啄木歌碑ひめぐり(16)

2018年01月14日 | 啄木歌碑

(16)十和田荘の歌碑(青森県十和田市)     昭和48年8月建立(盛岡中学校校友会雑誌』より)

明治34年7月、中学4年の啄木は、学友と十和田湖を訪れ、遊悲恋の伝説を取材し、ここでの歌2首を「蘋」のペンネームで友会雑

誌』(明治35年3月号)発表しました。


十和田荘の歌碑

 

                           啄木 

 夕雲に丹櫂はあせぬ 

 湖ちかき草舎くさはら 

 人しづかなり

  

この歌と、もう1首は次の歌です。 

「薨(いらか)射る春のひかりの立ちかへり市のみ寺に小鳩むれとぶ」


遊悲恋の伝説とは錦木塚伝説のことで、今から千数百年前のこと、錦木のあたりに政子姫という娘がいた。錦木を売る若者が政子姫を見て心の底から好きになってしまった。毎日毎日、男は求婚のしるしの錦木を姫の門の前へ立てた。若者は雨の降る日も風の吹く日も、雪の降る日も一日も休まず錦木を立てた。しかしあと一束で千束になるという日、体がすっかり弱っていたため門の前に降りつもった雪の中に倒れて死んでしまった。姫もその二、三日後、あとを追うように死んだ。姫の父は二人をたいそう哀れに思い、千束の錦木といっしょに一つの墓へ夫婦としてほうむった。その墓のことを錦木塚とよんでいます。

 

 

盛岡中学校校友会雑誌』明治35年3月号 署名 白蘋

 

1.曙に春の驕りの鑿(のみ)の香や奈良の木立に人想ひあり 

2.右手のべて扇にうけぬ藤棚の藤の滴の香に匂へとぞ 

.羊よぶ調みだれぬ野の中の古江のあたり桃の花散る 

.鞍壺(くらつぼ)に桜かつ散る森の下道塔(あららぎ)高く月出でにけり 

.森の水に墨染衣名を云はずうしや経の手涙にぬれぬ 

.夕雲に丹摺(にずり)はあせぬ湖(うみ)ちかき草舎くさはら人しずかなり 

.薧(いらか)射る春のひかりの立ちかへり市(いち)のみ寺に小鳩むれとぶ


 

 








啄木歌碑ひめぐり(15)

2018年01月11日 | 啄木歌碑

(15)「啄木出あい道」の歌碑(盛岡市開運橋上流)  平成11建立(『爾伎多麻』より)   啄木15歳

 『爾伎多麻』は啄木らが編集した盛岡中学の回覧雑誌で、啄木は、明治34年9月号に「翠江」のペンネームで30首詠んでいます。

 

 

 

花ひとつ

さけて流れてまたあひて

白くなりたる

夕ぐれの夢

石川翠江

 

啄木は明治34年の年末から35年の年始にかけて「麦羊子」のペンネームを用い、野村胡堂、金田一京助てた手紙の中で、次の歌を詠んでいます。 

  「争はむ人もあらずよ新春の春のうたげのかるたの小筐」




爾伎多麻  秋草  署名・翠江  明治34年9月号 

1.人けふをなやみそのまゝ闇に入りぬ運命(さだめ)のみ手の呪はしめ

2.日はおちぬ雲はちげれぬ月はいまだ夕のそらのさながら吾は

3.宵ひと夜あけの焔のもえて今朝冷えしの若血腕のふるひよ

4.ほそきほそき情のきづないや細く小雨さながら闇におくりぬ

5.を枕よこよひの夢はかたらざれなうらみうれたみさてはうれしの

6.世も人ものろはじさては怨みまじ理想のくものちげれてし今

7.さゝがにのそれより細き夢の糸たどるもよしな詫びしれし今

8.たまはれのみこゑよほそき春の宵を花より出てゝ歌ねびる神

9.見ずや雲の朱(あけ)むらさきのうすれうすれやがて下りくる女神のとばり

10聖歌口にほゝゑみうたふ若き二人二十歳の秋の寂しさをいはず

11 うかれ出て小道の闇をたどりたどり人のまがきに花を折りにき

12.ひかりありて野辺の闇路に光ありて姿の哀れ照らしゝの宵

13.火かげあかき御殿(おとど)の戸ぼそそとあけて琴ひくみ手をうかがひよりぬ

14.さらでだにただかりそめの惑ひよとそとほゝゑみし君や悶(もだ)えの

15二十(はた)とせを懸想(けさふ)になきし人二人江の東に暁(あけ)の月見る

16灯ともしてやがてまたよむ経のみ声尊(たふと)みてらの戸により聞きぬ

17紅ふくむみ袖やおもきらふたけのくろ髪おばしまの君

18さびしげの裳裾(もすぞ)やながき秋のみ神か細きこゑを松の梢に

19.もやの袖おぼろのそらの春の神歌やめすらむ月姫のみや

20.野の花(ゆり)の清きにしかぬ世の栄えよきたれや君の二十八宿

21.今日の秋かぜよあめよの野の中にすくせやなにぞ一本女郎花(ひともとおみなへし)

22.ゆりのそのにふと見てゑみし人よその紅絹(もみ)の袖口ただ紅(あか)かりき

23.十年朽(ととせく)ちて人ゆかざりし堂の戸の隙より洩るゝ白檀の烟

24夕照の紅きむらさき朱(あけ)の雲いろさまざまに思ひおもふ吾

25見ずや君そらを流れしうるはしの雲のゆくへの理想のみ国

26.花ひとつさげて流れてまたあひて白くなりたる夕ぐれの夢

27.なにか神のさゝやく如きこゝちしてそぞろ思ひにさまよひゆきぬ

28.あきの夜のそぞろの夢よおばしまにうすむらさきのもすその女神

29.今日の秋泉の水にもだへの子つきじのあまきなさけを知りぬ

30.野の月に冴えしや銀の笛の音の清しさびしのそぞろの調べ


 

 

 


啄木歌碑ひめぐり(14)

2018年01月06日 | 啄木歌碑

(14)釜石緑地植栽帯の歌歌(岩手県釜石市青葉通り)  平成27年10月建立 (『一握の砂』より)

明治33年の三陸旅行は、明治29年に発生した三陸大津波の4年後で、啄木は釜石にも来ました。三陸大津波では死者2万人を超える被害者を出しております。釜石では啄木の足跡を後世に伝えようと、東日本大震災から4年目にあたる平成27年10月に啄木歌碑を釜石市青葉通りの緑地植栽帯に建立しました。





ゆゑもなく海が見たくて

海に来ぬ

こころ傷みてたへがたき日に

啄木

 

釜石は鉄の街として栄えてきましたが平成にはいり高炉を止めたこともあり最盛期には9万人いた人口も今では半分以下になっております。昭和の時代にはラグビーの街ともいわれ全日本選手権で7連覇の偉業を達した時もあります。







 



新年

2018年01月01日 | 啄木歌碑

     

         新年おめでとうございます

平成30年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

盛岡市岩山の啄木歌碑

 

何となく

今年はよい事あるごとし

元旦の朝晴れて風無し

          啄木


 

 JR上野駅の啄木歌碑

 

ふるさとの 訛なつかし 

停車場の 人ごみの中に 

そを 聴きにゆく 

啄木