たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

彫刻のまち盛岡(36)

2021年06月26日 | ぶらりぶらり

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。盛岡彫刻シンポジウムは1975年岩手大学において開催され、街のなかに彫刻を置くことを目的に、テーマを「彫刻のある街と市民文化の推進を願う」と掲げ盛岡市を中心に彫刻を設置してきました。

 

① 起伏のある形   藁谷収   桜台しらかば公園












 




② 大地と空をつなぐもの  盛岡彫刻シンポジウム実行委員会1997(平成9年) 津志田近隣公園
















③ 極     菊池誠      羽場小学校    1983











 

 

 


盛岡まち散歩(11)

2021年06月07日 | ぶらりぶらり

奥州街道を行く

奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。街道沿いには一里ごとに塚が設置されました。盛岡に入ると、「見前一里塚」です。ここは、日本橋から137番目の一里塚で、ここは、現在の道路では東京からの距離が526kmなので、526÷3.93≒134になり、一里間隔で塚が設けられたことがわかります。見前一里塚の次が、「鍛冶町一里塚」です。今日は次の「上田一里塚」、「小野松一里塚」まで進みます。
 
 
前回は高松の池まできました。今回は高松の池からのスタートです。池から奥州街道に戻り、進んで行くと間もなく、高松神j社があります。
 
 
高松神社
 

高松神社は、藩政時代(江戸時代)から「お庚申さん」として親しまれて来ました。高松神社境内には、二基の「庚申碑」が現存しており、高松神社が「庚申信仰」に由来する古いものである事を示しています。「庚申信仰」は、中国道教に渕源を持ち、「藩政時代(江戸時代)」に入って、広く庶民の間に広まったものです。「修験道」との関連が深く、神仏混淆の信仰であり、神として「猿田彦命」を、仏として「青面金剛」を祀り崇めて来ています。明治時代に入り「神仏分離令」が施行され「お庚申さん」は神格を強調し「高松神社」となりました。高松神社を過ぎると間もなく四ツ家教会-岩手大学前を通る道路に合流します。合流後の広い道を進むと、川徳デパート・アネックスに着きます。ここには、「上田一里塚」があります。

 
 
 
上田一里塚
 
 
川徳アネックス前に上田一里塚があります。この地は以前上田修道院の敷地内であったため、あまり知られてなかったようですが、ほぼ円形に近い姿で残されています。昭和初期までは2基あったようですが、片側の一基は市街化の進展に伴って消滅しています。なお、塚には赤松が立っていましたが2004年の台風16号の強風で倒されたため翌年新しい赤松を植えております。一里塚が市街地の中にある例はまれで、現在は地域のシンボルとして大切にされており、毎年地域の商工団体を中心として「一里塚まつり」が行われています。上田一里塚のすぐそばに松並木があります
 
 
 
 
松並木
 

松並木は上田一里塚近くの歩道沿いにあります。松並木は盛岡市の保存樹木に指定されていましたが、保存樹木制が廃止になり、保存樹木は景観重要樹木に指定され、現在、景観重要樹木の指定は48件あります。この松並木から、北上していくと1.5km程の所に左折の歩道の通路があります。

 
左折の歩道の入口
 

この柵から左折し、歩道を20mほど下ると交差点に出ます。

 

 
左折後の交差点
 
 
この交差点を、まっすぐに進みます(左折すると四十四田ダムがあり、さらに進むと国道4号線に出ます)。まっすぐに坂道を進んで行くと700mほどで 県立博物館前に出ます。なお、この左折の柵から歩道に下りず、真っ直ぐに進むと盛岡で一番大きな松園団地に入ります。
 
 
 
 
県立博物館
 
 
県立博物館は岩手県制百年を記念して、昭和55年にオープンしました。地質時代から現代に至るまでの、地質、考古、歴史、民族、生物などの資料が展示されています。また、博物館の庭には国指定有形文化財「藤野家住宅」(建造物)と「佐々木家住宅」(建造物)が移転保存されています。県立博物館は四十四田ダムから歩いて5分ほどの所にあり、散歩コースになっています。私も以前、散歩の途中に鹿にあい私もびっくりしましたが、鹿もびっくりしたようで、しばし、にらめっこをしていました。私が目を離すと同時に勢いよく逃げ去っていきました。博物館から、さらに、こどもクリニック、青松支援学校を過ぎて進むと小野松一里塚に着きます。
 
 
 
もりおかこどもクリニック
 

「子どもは未来もりおかこどもクリニック」は、昭和32年、虚弱児施設「みちのく・みどり学園」として開園、昭和36年、医療施設「みちのく・みどり学園療育所」開設、昭和44年、「みどり学園小児病院」と改称しました。その後、平成2年に「もりおかこども病院」と改称、さらに、平成31年、入院病棟を閉鎖し、医療施設「子どもは未来もりおかこどもクリニック」に改称、現在に至っています。

 

 
盛岡青松支援学校
 
 
盛岡青松支援学校は平成21年に、青山養護学校と松園養護学校が統合して開校した特別支援学校で、継続して医療や生活規制が必要な児童生徒のための病弱を主とする小学部・中学部・高等部・訪問教育部(医大)・もりおかこども分教室を設置した特別支援学校として開校しました。社会自立や生きる力を育むことを目指し、小学部、中学部、高等部で、課外活動も含め、一般の小学校・中学校・高等学校に準じた教育を行っています。中学部・高等部の卒業生は高等学校・大学・専門学校への進学・一般就職・福祉就労等を目指しています。盛岡青松支援学校前を過ぎ、東松園四丁目北バス停前、修道院への入口道路前を過ぎると、間もなく小野松一里塚が見えてきます。
 
 
 
小野松一里塚
 
 

小野松一里塚は両塚が現存していますが、東塚は半壊していたものを道路の拡幅工事にあわせて盛土復元されたようです。この場所は、個人の敷地内にあり、家の方の話では、写真の西塚には以前「桜」の木が立っていたということでした。なお、奥州街道は盛岡に入ると、「見前一里塚」⇒「川久保一里塚」⇒「鍛冶町一里塚」⇒本町・四つ家町・上田・高松・緑ヶ丘を通り⇒「上田一里塚」⇒「小野松一里塚」⇒「笹平一里塚」⇒「渋民一里塚」⇒「新塚一里塚」と続きます。なお、笹平一里塚はダムに沈没しています。奥州街道を行くは、ここまでにします。