盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。盛岡彫刻シンポジウムは1975年岩手大学において開催され、街のなかに彫刻を置くことを目的に、テーマを「彫刻のある街と市民文化の推進を願う」と掲げ盛岡市を中心に彫刻を設置してきました。
① 起伏のある形 藁谷収 桜台しらかば公園






② 大地と空をつなぐもの 盛岡彫刻シンポジウム実行委員会1997(平成9年) 津志田近隣公園





③ 極 菊池誠 羽場小学校 1983



盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。盛岡彫刻シンポジウムは1975年岩手大学において開催され、街のなかに彫刻を置くことを目的に、テーマを「彫刻のある街と市民文化の推進を願う」と掲げ盛岡市を中心に彫刻を設置してきました。
① 起伏のある形 藁谷収 桜台しらかば公園






② 大地と空をつなぐもの 盛岡彫刻シンポジウム実行委員会1997(平成9年) 津志田近隣公園





③ 極 菊池誠 羽場小学校 1983



奥州街道を行く

高松神社は、藩政時代(江戸時代)から「お庚申さん」として親しまれて来ました。高松神社境内には、二基の「庚申碑」が現存しており、高松神社が「庚申信仰」に由来する古いものである事を示しています。「庚申信仰」は、中国道教に渕源を持ち、「藩政時代(江戸時代)」に入って、広く庶民の間に広まったものです。「修験道」との関連が深く、神仏混淆の信仰であり、神として「猿田彦命」を、仏として「青面金剛」を祀り崇めて来ています。明治時代に入り「神仏分離令」が施行され「お庚申さん」は神格を強調し「高松神社」となりました。高松神社を過ぎると間もなく四ツ家教会-岩手大学前を通る道路に合流します。合流後の広い道を進むと、川徳デパート・アネックスに着きます。ここには、「上田一里塚」があります。


松並木は上田一里塚近くの歩道沿いにあります。松並木は盛岡市の保存樹木に指定されていましたが、保存樹木制が廃止になり、保存樹木は景観重要樹木に指定され、現在、景観重要樹木の指定は48件あります。この松並木から、北上していくと1.5km程の所に左折の歩道の通路があります。

この柵から左折し、歩道を20mほど下ると交差点に出ます。



「子どもは未来もりおかこどもクリニック」は、昭和32年、虚弱児施設「みちのく・みどり学園」として開園、昭和36年、医療施設「みちのく・みどり学園療育所」開設、昭和44年、「みどり学園小児病院」と改称しました。その後、平成2年に「もりおかこども病院」と改称、さらに、平成31年、入院病棟を閉鎖し、医療施設「子どもは未来もりおかこどもクリニック」に改称、現在に至っています。


小野松一里塚は両塚が現存していますが、東塚は半壊していたものを道路の拡幅工事にあわせて盛土復元されたようです。この場所は、個人の敷地内にあり、家の方の話では、写真の西塚には以前「桜」の木が立っていたということでした。なお、奥州街道は盛岡に入ると、「見前一里塚」⇒「川久保一里塚」⇒「鍛冶町一里塚」⇒本町・四つ家町・上田・高松・緑ヶ丘を通り⇒「上田一里塚」⇒「小野松一里塚」⇒「笹平一里塚」⇒「渋民一里塚」⇒「新塚一里塚」と続きます。なお、笹平一里塚はダムに沈没しています。奥州街道を行くは、ここまでにします。