花巻市矢沢地区につきました。近くには宮沢賢治記念館があります。この地区では個人の家でもお堂を持っているところが多くあります。矢沢地区をまわり、88番光勝寺に向かいます、
83.寶昌寺(81番) 本尊千手 矢沢 (現 花巻市矢沢第九地割30)
矢沢地区には陸中八十八観音堂も含め多くのお堂があります。寶昌寺もその一つです。東北新幹線新花巻駅の近くです。
寶昌寺
放光堂
御詠歌
霜さむく露白妙(しろたへ)の寺のうち御名(みな)をとなふる法の声ごゑ
84.自楽院(41番) 本尊薬師 矢沢 (現 花巻市矢沢)
矢沢では個人の家に御堂がたくさんあり、自楽院の場所はなかなか分かりませんでしたので花巻市の教育委員会にも問い合わせましたが、わかりませんでした。ある農家を尋ねたら、たぶんあれだろうと言われたのでそこに行ってみました。道路の脇に建っているお堂があったので、その家の方にお聞きしたら、その方は最近住みだしたので、わからないということでしたが、以前ここにはお寺があり、現在も一部のお墓があるので、多分ここが自楽院だったのでしょう、ということでした。
その後、花巻市教育委員会から、次のようなメールをいただきました。「矢沢村史」(昭和29年頃編纂)によると「竜王山自楽院は本寺京都聖護院末で、天台宗自門派、本尊不動明王、本堂三間四面、境内138坪あったが、廃堂となり、別当金沢氏も他に転籍した。」とあり、最後の住職であった金沢氏は、自楽院が廃寺になった後、矢沢の「寶昌寺」の檀家になったので、そのつながりで寶昌寺に自楽院の仏像が安置されておるようです、とのことでした。寶昌寺さんにお聞きしましたら、自楽院の仏像も安置しているということです。この写真の御堂は、自楽院がこの場所にあったことを示すための御堂なのでしょう。
御詠歌
このかみは三国流布の密経を守りたまはん誓ひとぞ聞く
85.観音堂(83番) 本尊観音 矢沢(現 花巻市矢沢第五地割)
矢沢地区には個人の家の庭に観音堂がいくつかありますが、陸中八十八霊場の83番観音堂も個人の家の庭にあり、探すのが大変ですが、矢沢四番組会館の隣になので、すぐにわかります。
観音堂はこの玄関から前方に見えます
御詠歌
讃岐一宮のみまへに仰ぎ来て神の心を誰かしらゆふ
86.北辰堂(74番) 本尊薬師 矢沢(現 花巻市矢沢)
北辰堂は現在、個人の家の屋敷内にあります。矢沢は新幹線花巻駅の近くで、この地区には、屋敷内にお堂がある家がたくさんあり、近所の方に聞いても、北辰堂が何処の家にあるのか、なかなか分かりませんでした。
北辰堂
御詠歌
十二神みかたにもてる軍(いくさ)にはおのれとこころ兜山(かぶとやま)かな
87.観音堂(85番) 本尊観音 大和竹(現 花巻市石鳥谷町東中島第一地割)
大和竹観世音と呼ばれており、大和国(奈良県)から運ばれ、この地に堂を営んで観世音を安置したのが最初といわれています。大和竹、山和嶽、大和嶽とも書かれている。
明治の初期頃までは、眼病や耳病などの平癒、手芸の上達、良馬の産出等を願って近郷近在から参詣者で賑わっていたようです。
御詠歌
煩悩をむねの智火にてやぐりおば修行者ならで誰がしるべし
88.光勝寺(88番) 本尊薬師 五大堂 (現 花巻市石鳥谷町五大堂11-49)
陸中八十八カ所霊場の八十八番光勝寺です。光勝寺においては旧正月六日の午後八時から星祭護摩法要・裸参り、旧正月七日には五大尊蘇民祭が行われます。
光勝寺本殿
光勝寺の右側の鳥居をくぐって階段を上って行くと五大尊を祀る五大尊堂があります。光勝寺の五大尊蘇民祭は800年の歴史があり、1年間の無病息災を祈って護摩を焚きコマと呼ばれる365枚の木札の入った麻袋を奪い合い、御守札とする勇壮な祭りです。
五大尊堂
御詠歌
南無薬師衆病なかれと願立て参れる人はあふくぼのてら
光勝寺の奥様(だい黒様)にお会いし五大尊蘇民祭などのお話を聞きました。今年は2月25日開催でした。
2月25日(水)9:30~
2月24日(火)前夜祭
19:30~ 裸参り
20:00~ 星供護摩祈祷厳修
平成28年の旧正月の7日は2月14日ですね。お寺には広い駐車場がありますので心配なくいらして下さい。
88霊場めぐりをし、多くのお寺の大黒様にいろいろとお話をうかがう事が出来ました。ありがとうございました。
83.寶昌寺(81番) 本尊千手 矢沢 (現 花巻市矢沢第九地割30)
矢沢地区には陸中八十八観音堂も含め多くのお堂があります。寶昌寺もその一つです。東北新幹線新花巻駅の近くです。
寶昌寺
放光堂
御詠歌
霜さむく露白妙(しろたへ)の寺のうち御名(みな)をとなふる法の声ごゑ
84.自楽院(41番) 本尊薬師 矢沢 (現 花巻市矢沢)
矢沢では個人の家に御堂がたくさんあり、自楽院の場所はなかなか分かりませんでしたので花巻市の教育委員会にも問い合わせましたが、わかりませんでした。ある農家を尋ねたら、たぶんあれだろうと言われたのでそこに行ってみました。道路の脇に建っているお堂があったので、その家の方にお聞きしたら、その方は最近住みだしたので、わからないということでしたが、以前ここにはお寺があり、現在も一部のお墓があるので、多分ここが自楽院だったのでしょう、ということでした。
その後、花巻市教育委員会から、次のようなメールをいただきました。「矢沢村史」(昭和29年頃編纂)によると「竜王山自楽院は本寺京都聖護院末で、天台宗自門派、本尊不動明王、本堂三間四面、境内138坪あったが、廃堂となり、別当金沢氏も他に転籍した。」とあり、最後の住職であった金沢氏は、自楽院が廃寺になった後、矢沢の「寶昌寺」の檀家になったので、そのつながりで寶昌寺に自楽院の仏像が安置されておるようです、とのことでした。寶昌寺さんにお聞きしましたら、自楽院の仏像も安置しているということです。この写真の御堂は、自楽院がこの場所にあったことを示すための御堂なのでしょう。
御詠歌
このかみは三国流布の密経を守りたまはん誓ひとぞ聞く
85.観音堂(83番) 本尊観音 矢沢(現 花巻市矢沢第五地割)
矢沢地区には個人の家の庭に観音堂がいくつかありますが、陸中八十八霊場の83番観音堂も個人の家の庭にあり、探すのが大変ですが、矢沢四番組会館の隣になので、すぐにわかります。
観音堂はこの玄関から前方に見えます
御詠歌
讃岐一宮のみまへに仰ぎ来て神の心を誰かしらゆふ
86.北辰堂(74番) 本尊薬師 矢沢(現 花巻市矢沢)
北辰堂は現在、個人の家の屋敷内にあります。矢沢は新幹線花巻駅の近くで、この地区には、屋敷内にお堂がある家がたくさんあり、近所の方に聞いても、北辰堂が何処の家にあるのか、なかなか分かりませんでした。
北辰堂
御詠歌
十二神みかたにもてる軍(いくさ)にはおのれとこころ兜山(かぶとやま)かな
87.観音堂(85番) 本尊観音 大和竹(現 花巻市石鳥谷町東中島第一地割)
大和竹観世音と呼ばれており、大和国(奈良県)から運ばれ、この地に堂を営んで観世音を安置したのが最初といわれています。大和竹、山和嶽、大和嶽とも書かれている。
明治の初期頃までは、眼病や耳病などの平癒、手芸の上達、良馬の産出等を願って近郷近在から参詣者で賑わっていたようです。
御詠歌
煩悩をむねの智火にてやぐりおば修行者ならで誰がしるべし
88.光勝寺(88番) 本尊薬師 五大堂 (現 花巻市石鳥谷町五大堂11-49)
陸中八十八カ所霊場の八十八番光勝寺です。光勝寺においては旧正月六日の午後八時から星祭護摩法要・裸参り、旧正月七日には五大尊蘇民祭が行われます。
光勝寺本殿
光勝寺の右側の鳥居をくぐって階段を上って行くと五大尊を祀る五大尊堂があります。光勝寺の五大尊蘇民祭は800年の歴史があり、1年間の無病息災を祈って護摩を焚きコマと呼ばれる365枚の木札の入った麻袋を奪い合い、御守札とする勇壮な祭りです。
五大尊堂
御詠歌
南無薬師衆病なかれと願立て参れる人はあふくぼのてら
光勝寺の奥様(だい黒様)にお会いし五大尊蘇民祭などのお話を聞きました。今年は2月25日開催でした。
2月25日(水)9:30~
2月24日(火)前夜祭
19:30~ 裸参り
20:00~ 星供護摩祈祷厳修
平成28年の旧正月の7日は2月14日ですね。お寺には広い駐車場がありますので心配なくいらして下さい。
88霊場めぐりをし、多くのお寺の大黒様にいろいろとお話をうかがう事が出来ました。ありがとうございました。
************************************************
啄木の歌
いかめしき顔して物を思ひたるかたへに臥して仮寝(うたたね)ぞする)白き煙す
明星 明治41年7月号 石破集(32首、その13)
署名 石川啄木
********************************************
啄木の歌
いかめしき顔して物を思ひたるかたへに臥して仮寝(うたたね)ぞする)白き煙す
明星 明治41年7月号 石破集(32首、その13)
署名 石川啄木
********************************************