たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

陸中八十八カ所霊場巡拝順路(8)

2015年12月30日 | ぶらりぶらり
花巻市矢沢地区につきました。近くには宮沢賢治記念館があります。この地区では個人の家でもお堂を持っているところが多くあります。矢沢地区をまわり、88番光勝寺に向かいます、


83.寶昌寺(81番) 本尊千手 矢沢 (現 花巻市矢沢第九地割30)

矢沢地区には陸中八十八観音堂も含め多くのお堂があります。寶昌寺もその一つです。東北新幹線新花巻駅の近くです。



寶昌寺




放光堂




御詠歌
霜さむく露白妙(しろたへ)の寺のうち御名(みな)をとなふる法の声ごゑ



84.自楽院(41番) 本尊薬師 矢沢  (現 花巻市矢沢)

矢沢では個人の家に御堂がたくさんあり、自楽院の場所はなかなか分かりませんでしたので花巻市の教育委員会にも問い合わせましたが、わかりませんでした。ある農家を尋ねたら、たぶんあれだろうと言われたのでそこに行ってみました。道路の脇に建っているお堂があったので、その家の方にお聞きしたら、その方は最近住みだしたので、わからないということでしたが、以前ここにはお寺があり、現在も一部のお墓があるので、多分ここが自楽院だったのでしょう、ということでした。
 






その後、花巻市教育委員会から、次のようなメールをいただきました。「矢沢村史」(昭和29年頃編纂)によると「竜王山自楽院は本寺京都聖護院末で、天台宗自門派、本尊不動明王、本堂三間四面、境内138坪あったが、廃堂となり、別当金沢氏も他に転籍した。」とあり、最後の住職であった金沢氏は、自楽院が廃寺になった後、矢沢の「寶昌寺」の檀家になったので、そのつながりで寶昌寺に自楽院の仏像が安置されておるようです、とのことでした。寶昌寺さんにお聞きしましたら、自楽院の仏像も安置しているということです。この写真の御堂は、自楽院がこの場所にあったことを示すための御堂なのでしょう。



御詠歌
このかみは三国流布の密経を守りたまはん誓ひとぞ聞く



85.観音堂(83番) 本尊観音  矢沢(現 花巻市矢沢第五地割)


矢沢地区には個人の家の庭に観音堂がいくつかありますが、陸中八十八霊場の83番観音堂も個人の家の庭にあり、探すのが大変ですが、矢沢四番組会館の隣になので、すぐにわかります。










観音堂はこの玄関から前方に見えます



御詠歌
讃岐一宮のみまへに仰ぎ来て神の心を誰かしらゆふ




86.北辰堂(74番)  本尊薬師  矢沢(現 花巻市矢沢)

北辰堂は現在、個人の家の屋敷内にあります。矢沢は新幹線花巻駅の近くで、この地区には、屋敷内にお堂がある家がたくさんあり、近所の方に聞いても、北辰堂が何処の家にあるのか、なかなか分かりませんでした。



北辰堂








御詠歌
十二神みかたにもてる軍(いくさ)にはおのれとこころ兜山(かぶとやま)かな





87.観音堂(85番) 本尊観音 大和竹(現 花巻市石鳥谷町東中島第一地割)

大和竹観世音と呼ばれており、大和国(奈良県)から運ばれ、この地に堂を営んで観世音を安置したのが最初といわれています。大和竹、山和嶽、大和嶽とも書かれている。
明治の初期頃までは、眼病や耳病などの平癒、手芸の上達、良馬の産出等を願って近郷近在から参詣者で賑わっていたようです。
















御詠歌
煩悩をむねの智火にてやぐりおば修行者ならで誰がしるべし



88.光勝寺(88番) 本尊薬師  五大堂 (現 花巻市石鳥谷町五大堂11-49)

陸中八十八カ所霊場の八十八番光勝寺です。光勝寺においては旧正月六日の午後八時から星祭護摩法要・裸参り、旧正月七日には五大尊蘇民祭が行われます。








光勝寺本殿



光勝寺の右側の鳥居をくぐって階段を上って行くと五大尊を祀る五大尊堂があります。光勝寺の五大尊蘇民祭は800年の歴史があり、1年間の無病息災を祈って護摩を焚きコマと呼ばれる365枚の木札の入った麻袋を奪い合い、御守札とする勇壮な祭りです。










五大尊堂



御詠歌
南無薬師衆病なかれと願立て参れる人はあふくぼのてら



光勝寺の奥様(だい黒様)にお会いし五大尊蘇民祭などのお話を聞きました。今年は2月25日開催でした。

2月25日(水)9:30~

2月24日(火)前夜祭
19:30~ 裸参り
20:00~ 星供護摩祈祷厳修

平成28年の旧正月の7日は2月14日ですね。お寺には広い駐車場がありますので心配なくいらして下さい。

88霊場めぐりをし、多くのお寺の大黒様にいろいろとお話をうかがう事が出来ました。ありがとうございました。




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啄木の歌

いかめしき顔して物を思ひたるかたへに臥して仮寝(うたたね)ぞする)白き煙す

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その13)

署名 石川啄木
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陸中八十八カ所霊場巡拝順路(7)

2015年12月26日 | ぶらりぶらり
花巻市に着きました。合併前の花巻です。花巻市は平成18年に石鳥谷町、大迫町、東和町と合併し新しい花巻市になりました。花巻市には岩手県では唯一の空港があり、福岡、大阪、名古屋、札幌までは毎日飛行しております。


64.金毘羅堂(58番) 成田(現 花巻市成田)

資料には成田となっていたので、成田は北上市と思い大分探しましたが、なかなかみつからず、北上市の方にも問い合わせましたが、わからず、だいぶ苦労しました。北上市が稗貫郡飯豊村と合併し飯豊村成田地区は北上市成田になったが、一部が花巻市成田になったようです。
















御詠歌
立寄りてされいの堂に休みつつ六字を唱へ経をよむべし




65.圓通寺(24番) 本尊 虚空蔵  十二丁目(現 花巻市十二丁目19)

圓通寺(えんつうじ)の開基ははっきりしませんが当地の豪族十二丁目氏でないかともいわれております。














観音堂









御詠歌
萬(よろづ)こそはんたなるとも怠らず諸病なかれと望み祈れよ





66.東光寺(37番) 本尊弥陀 笹間(現 花巻市北笹間7-71)

本殿・山門は1830年に再建され現在に至っているようです。大梵鐘は戦争のために応招されたが昭和38年に寄進され現在に至っている。

















御詠歌
六つのちり五つのやしろ顕はして深きにいたの神のたのしみ



67.清水寺(65番) 本尊観音  太田(現 花巻市太田21-5-1 )

京都の清水寺と兵庫の清水寺に並ぶ日本三清水の一つとされ、坂上田村麻呂が開いたといわれています。本尊の十一面観音像が置かれた観音堂(本堂)、左隣には薬師堂があり、その前には昭和2年(1927)に建立された山門があり立派で他を圧倒しています。ぜひ一度お訪ねください。



観音堂(本堂)




六角堂(薬師堂)



山門







御詠歌
恐ろや三つの角(つの)に入るならば心をまろく弥陀を念ぜよ




68.延命寺(8番)  本尊 千手  中根子(現 岩手県花巻市中根子古館75)

延命寺(えんめいじ)は花巻市街地から1km程進んだ志戸平温泉に向かう道路脇にあります。根子の地蔵さんと呼ばれ親しまれている。宮澤賢治は「春と修羅」のなかで地蔵堂の巨木について詠んでいますが、その詩碑が建立されています。







延命寺の地蔵堂


御詠歌
たきぎとり水熊谷の寺に来て難行するも後の世のため



69.桂木地蔵堂(25番) 本尊地蔵 上根子(現 花巻市上根子玄番)

ここには大きなカツラの木があり、地蔵尊を安置する御堂の方は「桂木地蔵堂」になっているが、木の名は「子安地蔵尊かつら」とよばれています。カツラは御堂のすぐ後ろに立って、境内全体を覆っている。
桂木地蔵堂と言って探しても、なかなかわからないようなので「子安地蔵尊かつら」といえばすぐにわかるようです。

 


 桂木地蔵堂








御詠歌
法の舟入るか出づるかこの津寺わが身をのせて助けたまへよ



70.観音堂(70番) 本尊観音  円万寺(現 花巻市膝立字観音山1)

円万寺は坂上田村麻呂が馬頭観音を勧請したのが起源とされる。明治の初めの、廃仏毀釈のため、寺としての円万寺を山麓に移し、山頂部を八坂神社とした。明治40年代に、再び山頂部を神仏混淆の寺に戻した。八坂神社はそのまま山頂に残っている。現在は八坂神社までをふくめた全体を円万寺とよぶのでしょうか。


観音堂







八坂神社


梵鐘


神楽堂



御詠歌
もと山に誰か栽ける花なれや春こそたをれたむけにぞなる




71.弥陀堂(78番) 本尊 弥陀 鍋倉(現花巻市鍋倉山居1 高橋)


番弥陀堂を探すのにだいぶ苦労しました。資料が古いので、住所の記載もなく、花巻市の教育委員会にも聞きましたが、わからず、やっと見つけました。高橋さん宅の裏庭にありました。花巻市長さんに市内の霊場の場所に案内版を立てるようにお願いし、承諾得ましたので、今頃は立っているのかな、宴会の席だったので、忘れてしまったのかな。








御詠歌
おどりはね念仏まうし道成寺拍子を揃へ鐘をうつなり



72.松山寺(14番)  本尊彌勒  台村(現 岩手県花巻市第3地割72)

松山寺(しょうざんじ)は県道花巻温泉郷線を温泉方向に進むと花巻温泉の手前左側にあります。当寺は明治28年に村役場を併設していた座禅堂から出火し堂宇を焼失したようです。


















御詠歌
淨楽の岸にはいつか至らまじ弘誓(ぐせい)の舟に乗りおくれなば



73.白山堂(4番)  本尊 大日  臺(現 花巻市湯本2-1-2)

陸中八十八霊場にも神社が含まれていますが、○○堂として、御本尊が安置されています。
ここ白山堂は白山神社ですが、御本尊は大日さんです。場所は花巻温泉のすぐ傍ですが、入り込んでおり見つけるのが大変です。











御詠歌
ながむれば月白妙の夜半なれやただ黒谷のすみぞめのそで



74.白瀧堂(61番) 本尊大日  臺(現 花巻市湯本)

滝の不動尊とよばれています。花巻市内から花巻温泉を通過し花巻台温泉の方に向かうと左側に岩手医大花巻温泉病院があり、その手前に道路から30mほど下の方に民家のように見える建物があります、そこが白瀧堂です。白瀧堂の脇には緒ヶ瀬滝(おがせがたき)があります。



白瀧堂












緒ヶ瀬滝



御詠歌
後の世を恐るる人はかうおんじとめてとまらぬ白滝の水



75.薬師堂(51番)  本尊薬師  臺湯(現花巻市湯本台)

温泉神社といわれており、花巻の台温泉街に入り、さらに進んで行くと右側に神社があり、薬師堂と呼ばれている。台温泉は花巻温泉から車で5分ほどです。
  










御詠歌
西方(さいほう)をよそとは見まじあんやうの寺へまいりてうくる十楽





76.三嶽堂(50番)  本尊薬師 宮野目(現花巻市西宮の目11)

三嶽観音堂といわれ盛岡の方から行くと花巻空港・花巻市内に入る信号を花巻方向に進み、浜木側に入るとすぐのところです。 



観音堂










御詠歌
萬(よろづ)こそはんたなるとも怠らず諸病なかれと望み祈れよ




77.自性院(75番) 本尊薬師  花巻(現 花巻市四日町2-5-54)

自性院は花巻駅から1kmほどですので、散歩にちょうど良いキョリです。











御詠歌
我すまばよも消へはてじ善通寺 深き誓ひの法のともしび




78.雄山寺(69番) 本尊観音 花巻 現花巻市愛宕町1-25

JR花巻駅の近くです。花巻開町の恩人として知られる北松斎が戦死した四男愛邦の菩提を弔うために建立されたといわれています。




















御詠歌
観音の大悲のちから強ければおもき罪をもひきあげてたべ



79.端興寺(73番) 本尊釈迦  花巻(現 花巻市坂本町1-16)

瑞興寺は花巻駅から歩いて5分ほどのところにあります。本堂はかって花巻城(旧鳥谷ヶ崎城)の本丸にありましたが、南部氏の時代に、花巻城の城郭の改修を行い、その際本丸にあった瑞興寺を城外の現在の場所に移した、といわれている。寺宝の木造弁財天像は花巻城時代の仏像で、花巻市の文化財となっています。










御詠歌
迷ひぬる六道衆生救はんと立つとき山にいづる釈迦寺




80.如来堂(12番) 本尊 虚空蔵  鍛冶町(現 岩手県花巻市鍛冶町8-15)

如来堂勝行院(しょうぎょういん)は花巻市内から花巻南温泉郷に行く道路沿いにあります。本尊として安置されている阿弥陀如来座像は国指定重要文化財になっている。また、境内には本堂に向かって左側に観音堂があり、嘘空蔵菩薩が祀られている。








観音堂





御詠歌
「のちの世をおもへば苦行焼山寺志でや三途の難所ありとも」




81.松庵寺(56番) 本尊地蔵  大工町(現 花巻市双葉町6ー4)

 松庵寺はにぎやかな双葉町の街なかにあり、山門をくぐるとお寺とは感じさせない建物が本堂になっています。











御詠歌
みな人のまいりてやがて大山寺(たいさんじ)来世の引導頼みおきつつ




82.宗青寺(80番) 本尊 千手 (現 花巻市御田屋町3-21)


陸中とは陸奥国(むつのくに)が分割された時の一つの国で、その後、廃藩置県により現在の岩手県になっている。
宗青寺は国道四号線沿いにありますが、花巻駅からはだいぶ離れています。












御詠歌
國をわけ野山を凌(しの)ぎ寺々に参れる人をたすけましませ




次は、北上川を渡り、新幹線の新花巻駅近辺の矢沢地区を回り88番「光勝寺」に向かいます。

よくお寺や神社へお参りし手をあわせますが、神社とお寺の違いは何なんでしょう。「仏教」は外来宗教で、「お釈迦様」の教えにそったもの、「神道」は伝統宗教で民族宗教、生活の中で自然発生的な「祈り・願い・感謝」というもが「神道」です。古い時代には、仏教と神道を同一のものとする「神仏習合思想」をとっていましたが、明治初期に「神仏判然の令」が出され、現在では神社とお寺は分けられています。神社に祀られるのは目に見えない神様です。




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啄木の歌

牛頭馬頭(ごづめづ)のつどひてのぞく大香炉中より一縷(いちる)白き煙す

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その12)

署名 石川啄木
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陸中八十八カ所霊場巡拝順路(6)

2015年12月24日 | ぶらりぶらり
北上市に着きました。北上市は平成の大合併で和賀町、江釣子村と合併し、新北上市になった。北上市は工業誘致が盛んで、東北有数の流通・工業集積地になっている。この地に伝わる「鬼剣舞」があり、鬼の面と独特の衣装をまとった男が勇壮な踊りを見せます。


51.永昌寺(60番) 本尊大日  更木(現 岩手県北上市和更木33-105)

更木は北上市の北の方にあり花巻市との境です。永昌寺は静かなところにあり、訪ねられる良いですよ。



山門


本堂


観音堂


鐘堂




御詠歌
竪横に峯や山べに寺たてて普瀧(あまね)く人を救ふものかな



52.正洞寺(38番) 本尊千手 黒岩(現 北上市黒沢尻町字黒岩18-45)

当初は「小童寺」と称されていたが、現在地に再建された際「正洞寺」と改称された。開山した美丈丸が皇室の流れをくむようで、菊の紋章が伝わっており、本堂の屋根に取り付けられているようです。寺には当地黒岩の出身で初代二所の関親方の墓所があり、地方巡業などがあった時には力士が訪れるそうです。 






本堂






御詠歌
補陀洛やここはみさきの舟の棹取も捨つるも法のさたやま



53.大徳院(30番) 本尊弥陀 立花(現 北上市立花16地割)

毘沙門堂といわれ、国指定重要文化財の木造毘沙門天立像、木造二天王立像をはじめとした数々の遺品が納められいます。事前に連絡すると、見せてもらえます。
















御詠歌
人多く立ちあつまれる一の宮昔も今も栄へぬるかな



54. 妙見堂(40番) 本尊薬師 立花(現 北上市立花22地割)

岩手県は四国4県を合わせたほどの広さがあり県内を回るのも大変です。妙見堂は、なかなか見つからず苦労しました。ここには、駐車スペースも無く車道に駐車し、高台にあるので、民家の敷地内を通って上っていくことになります。お会いした人の話では、以前は多くの人がバスでお参りに来ていたが、最近はお参りの人が少なくなったそうです。















妙見堂への入口前に池がありますので、この池を目指すと、分かります。この池の前の道路に駐車し、民家の屋敷を通って行きます。


御詠歌
しん願や自在の春に花咲きて浮世遁れてすむやけだもの




55.正蔵寺(49番) 本尊釈迦 立花(現 北上市黒沢尻町立花3-25)

明治24年の黒沢尻の大火災により焼失し、民家を仮の寺としていたが、大正3年に現在の本堂を建立している。明治時代に「学制」が布かれた時には本堂が「立花学校」として使用されていました。











御詠歌
十悪の我が身を捨てずそのままに浄土の寺へ参りこそすれ




ここで、再び北上川を渡り、北上川の西側に進みます。


56.染黒寺(34番) 本尊薬師  川岸(現 北上市川岸2-7-53)

以前は禅国寺といわれていたが永正元年に染黒寺(ぜんこくじ)に改められたとある。明治23年の大火により全焼したが、10年後の明治33年に現在の本堂が再建されている。











御詠歌
世の中にまける五穀の種間寺ふかき如来の大悲なりけり



57.本宮寺(43番)  本尊千手 鬼柳(現 北上市鬼柳都島)

この寺は、当国三十三カ所の33番になっており、北上市立鬼柳小学校の東側にありますので、鬼柳小学校を目指すとわかります。



本宮寺(西側に見えるのが鬼柳小学校)








鬼柳小学校




御詠歌
きくならく千手の誓ひふしぎには大盤石もかろくあげいし



58.正覚寺(15番) 本尊薬師 鬼柳(現 岩手県北上市上鬼柳第5地割232)


正覚寺には座禅堂があります。また、少年研修館もあり近郊の小中学生を対象に座禅や法話などで心身の鍛練を行っています。















御詠歌
薄く醇(こ)くわけわけ色をそめぬれば流転生死の秋のもみじ葉




59.泉徳院(32番) 本尊観音  岩崎(現 北上市和賀町岩崎12地割156)

本堂は建ってられてから300年の年月を経ているということです。本堂は山門の正面には無く山門から入るとだいぶ右の方に進んだところにあります。境内から水が湧くことより専徳寺から「泉」徳寺に改称されたと伝えられています。



山門



本堂









御詠歌
静かなる我が源のせんとく寺浮かぶ心は法のはやふね





60.貴徳院(13番) 本尊大日 煤孫(現 岩手県北上市和賀町煤孫第7地割)

貴徳院といって煤孫寺と古舘神社を指していたようです。煤孫寺の脇に古舘神社の上り口があり、煤孫寺の裏山に神社がある。近所で貴徳院といってもわからず、古舘神社の方が知られてるようです。
現在、北上の貴徳院と云うと江釣子の方にある貴徳院を指し、そちらの方にも行って見ました。何の表示もありませんが、近くの人に聞いてみると貴徳院と云っているようです。



煤孫寺









御詠歌
阿波の国一乃宮とや結(ゆふ)たすきかけてたのめやこの世のちの世




61.慶昌寺(29番) 本尊千手 煤孫(現 北上市和賀町煤孫18-208)


当寺は和賀氏に深いかかわりをもち、和賀氏が南部氏との長い抗争の末敗れて以後は旧和賀氏の家臣の魂のよりどころとされてきたようです。












鐘楼



御詠歌
国をわけ宝をつみて立つ寺の末の世までの利益のこせり




62.遍照寺(64番)  本尊弥陀  二子(現 北上市二子町宿西96)

和賀氏の祈願寺であったが、南部藩になって現在の地に移り建てられた。火事により焼失したが、江戸時代の末期に再建されている。その後、明治の廃仏毀釈で廃寺に追い込まれたが、再興された。



本堂


山門







御詠歌
前は神うしろは仏ごくらくのよろづの罪をくだく石槌



63.八幡堂(57番)  本尊弥陀  成田(現 北上市成田1地割1)

この辺はかっての奥羽州街道沿いになり、八幡堂は成田一里塚から500mほどのところにあたります。








御詠歌
此の世には弓矢を守るやはたなり来世は人をすくふ弥陀仏




成田一理塚



現在、奥州街道で残っている一里塚は、わずか20か所と言われている。 成田一里塚は盛岡まで10里の地点にあり、原形のまま残っているのは、全国でもここだけだとも言われている



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啄木の歌

わが友は北の浜辺の砂山のはまなすの根に死にてありにき

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その11)

署名 石川啄木
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今日はクリスマスイヴですね。今日の盛岡は暖かくさえ感じる日中でした。何年ぶりかの雪のないイヴです。



岩手山(2015.12.24)





陸中八十八カ所霊場巡拝順路(5)

2015年12月21日 | ぶらりぶらり
大迫に着きました。大迫町には早池峰神楽といって伝統的な民族芸能があり、毎年、1月の「舞初め」、7月31日~8月1日の「早池峰神社例大祭」、12月の「舞納め」があります。そして「神楽の日公演」は、2月~7月、9月~11月の第2日曜日に大迫交流活性化センターで行なわれています。また、美味しいワインもつくられており、毎年恒例の「おおはさまワインまつり」が毎年9月の第3日曜日(11:00-15:00)に大迫町ぶどうが丘周辺特設会場で開催されています。
大迫町および東和町の霊場をまわります。

39.至岸寺(18番) 本尊薬師 大迫(現 花巻市大迫町大迫3-113)

至岸寺(とうがんじ)は大迫の街中にあり、薬師如来様のほかに、土蔵の地蔵堂の延命地蔵菩薩様、観音堂には聖観音様が安置されている。









観音堂


御詠歌
子をうめる(生る)その父母の温泉寺とむらひがたきことはあらじな




40.桂林寺(67番)  本尊薬師 内川目(現 花巻市大迫町内川目第48地割29)

大迫町の中心部からは離れており早池峰公園の方に向かって進みます。多くのお寺は火災にあっており、桂林寺も火災にあい、現在の本堂は1812年に建てられたようです。




山門



本堂



観音堂



梵鐘




御詠歌
植ゑおきし小松尾寺をながむれば法の教への風ぞふきぬる



41.瀧澤寺(21番) 本尊虚空蔵 上小山田 (現 花巻市東和町北川目2区)

瀧澤寺は東和町小山田郵便局の脇の道路を進んでいくと花巻市営バス小山田線の瀧澤寺前の停留所があります。









御詠歌
大龍の常に住むぞや真(げ)に岩や写真文字は守護のためなり



42.大師堂(23番)  本尊 薬師  上小山田 (現 花巻市東和町北川目4区)

花巻市は平成18年に石鳥谷町、東和町、大迫町と合併し大きな市になりました。23番の大師堂は東和町の太子堂のようで、花巻市営バス小山田線の太子堂前の停留所があります。















御詠歌
皆人のやみぬるとしの薬王寺瑠璃の薬を與(あた)へましませ



43.観音堂(82番)  本尊千手 上小山田  (現 花巻市東和町石鳩岡)


石鳩岡観音堂といわれており、花巻市営バス小山田線の終点のバス停「石鳩岡」があり、そこで降りるとすぐです。



石鳩岡観音堂










御詠歌
宵のまのたへたる霜の消えぬればあとこそ鐘の勤行の聲


44.淨光寺(36番) 本尊不動 土澤 (現 花巻市東和町土沢2区239)

淨光寺(じょうこうじ)の本堂は嘉永時代に再建されているが、山門はそれ以前のもので、大分古いそうです。


山門








御詠歌
わづかなる泉に住める青龍寺仏法守護の誓ひとぞ聞く




45.淨珠院(87番)  本尊観音 土澤(現 花巻市東和町土沢2区322)

淨珠院はJR東日本釜石線の土沢駅から歩いて10分ほどかかります。盛岡から車で行くと大迫を通り約1時間くらいです。



淨珠院







御詠歌
あしびきの山鳥の尾の長尾寺秋の夜すがら弥陀をとなへよ



46.小通堂(84番) 本尊観音 中内(現 花巻市東和町小通)

小通堂は花巻市営バス「中内線」の小通停留所から500mほどのところです。













御詠歌


小通堂の御詠歌が壁に貼られています。なお、陸中八十f八霊場としての御詠歌は次のようになっています。

御詠歌
あづさゆみやしまの宮に詣でつつ祈りをかけて勇むもののふ


47.凌雲寺(86番) 本尊観音 安俵 (現 花巻市東和町安俵5区90)

花巻市安俵(あひょう)は東北自動車から釜石自動車道に移り東和インターチェンジで降りた地点です。安俵には東和温泉があり、炭酸泉、高濃度で東北でも唯一の「かけ流し」炭酸泉で、血行を促進し、健康にはもちろん美容面にも良いとの説明です。また、東和温泉のサウナは、熱くなった石へ水をかけることでサウナ室内が適度な湿度になるフィンランド式サウナです。


凌雲寺山門










凌雲寺の御詠歌



なお、陸中八十八ケ所霊場の八十六番としての御詠歌は次のようになります。


御詠歌
いざさらば今宵はここにしどの寺祈りの聲を耳にふれつつし



48.成沢寺(47番) 本尊 弥陀 安俵(現 花巻市東和町安俵10区)

東和町安俵(あひょう)にある成沢寺(じょうたくじ)の現在の本堂は1850年に改築されている。神仏分離策によったのでしょうか明治4年に成島毘沙門堂下にあった成島寺と統合したといわれている。












御詠歌
花を見て歌よむ人は八坂寺三ぶつじょうの縁とこそきけ




49.毘沙門堂(63番)  本尊毘沙門  成島(現 花巻市東和町北成島5-1)

ここには毘沙門堂と熊野神社があります。毘沙門堂の建物は寄棟造り、鉄板葺のやや大型の三間堂で廻り縁と向拝がついている。県内に残る数少ない中世建造物であることから平成2年に国の重要文化財に指定されています






毘沙門堂





毘沙門堂内にあった毘沙門天は現在は収蔵庫に安置されている。なお、収蔵庫の入場料400円です。



賢治詩碑


民衆信仰として毘沙門天立像の脛に味噌を塗り思い思いの祈願をしたという。この情景を見た宮沢賢治は「・・・毘沙門像に味噌たてまつり・・・」とよんでいる。


宮沢賢治 

アナロナビクナビ 瞳たく桐咲きて
峡に瘧の やまいつたわる
ナビクナビアリナリ 赤き幡もちて
草の峠を 越ゆる母たち
ナリトナリアナロ 御堂のうすあかり
毘沙門増に 味噌たてまつる
アナロナビクナビ 踏まるる天の邪鬼
四方につつどり 鳴きどよむなり





熊野神社(三熊神社)


三熊神社は泣き相撲大会で有名になっています。大会には全国からお子様が参加し、土俵の上で親方がお子様を抱き、「ヨッヨッ」というかけ声をかけあい、健やかな成長を祈願するもので、泣いたり笑ったりして勝負します。先に泣いた方が負けです。



御詠歌
世の中のあしき誹謗を打捨てて皆吉祥をのぞみ祈れよ




50.歓喜寺(77番) 本尊薬師  東十二丁目 (現 花巻市東十二丁目第10地割241)



歓喜寺








現在は交通の便もよいので、四国八十八霊場巡りをする人が多くなりましたが、陸中八十八霊場
巡りの方もおります。こちらは、のんびりして良いですよ。


御詠歌
願ひをば仏道りうに入りはてて菩提の月を見まくほしさよ




次は、北上市に入ります。




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啄木の歌

あな苦しむしろ死なむと我にいふ三人(みたり)のいづれ先に死ぬらむ

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その10)

署名 石川啄木
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陸中八十八カ所霊場巡拝順路(4)

2015年12月19日 | ぶらりぶらり
盛岡から南下し、北上川の東側にある霊場をまわります。国道4号線から国道396号線に乗り、盛岡市乙部地区、紫波町大巻地区、花巻市東和町をまわります。


29.如法寺(26番) 本尊薬師 乙部(現 盛岡市乙部13-129)

この地区は旧釜石街道沿いにあり、藩政時代は交通の要路で、宿場町として栄えていたようです。現在はバイパス道路の利用が多くあまりこの道は通らなくなりました。








御詠歌
往生に望みをかくる極楽は月の傾く西寺の空



30.常光寺(17番) 本尊薬師  長岡(現 岩手県紫波町東長岡竹洞2-116)


常光寺は盛岡から進んで行くと右側にお寺の看板が出ていますので、そこを右折するとすぐです。お寺の宝物として、十三仏画の内10軸が保存されているとのことです。境内には十一面観音が安置されている観音堂があります。




山門







観音堂(十一面観音)



御詠歌
面影のうつりて見ゆる井戸の水結べば胸の垢やおちなん


31.高金寺(3番) 本尊 釈迦  大巻(現 岩手県紫波町大巻花立28)

高金寺は野村胡堂・あらえびす記念館から1kmほどのところにあります。境内には、国際的な生物学者として名を馳せた野村益太郎、その長男で理学博士として活躍した羊觀親子の墓碑があるようです。



高金寺




御詠歌
極楽の宝の池をおもへただこがねの泉たたへたるかな



高金寺の梵鐘「やわらぎの鐘」は昭和35年、鐘楼堂はあるが鐘がないとして盛岡市出身で東京在住の阿部徳蔵氏から寄進されたもので、盛岡の釜師・鈴木盛久によって制作されたものです。




やわらぎの鐘

山門の手前には野村胡堂の句碑も建立されています.



胡堂の句碑



草枯や
蟷螂の陣
蛇の閨
胡堂



32.薬師堂(76番) 本尊薬師  大巻(現 岩手県紫波町大巻6-1)

薬師堂は大峰神社境内にありますが、今もお薬師様をお祀りしているもようです。明治の神仏分離の影響で神社として存続し、地区の方々は大峰神社と呼んでいるが、社殿を薬師堂としている。



境内入り口の朱の鳥居


薬師堂





御詠歌
誠にも神仏ぞうをひらくれば真言加持のふしぎなりけり



33.長徳寺(39番) 本尊薬師  彦部 (現 岩手県紫波町彦部暮坪168)

長徳寺は道路沿いにあり、野村胡堂・あらえびす記念館の近くです。








お堂


御詠歌
南無薬師諸病悉除の願こめて参る我が身をたすけましませ



34.新仙寺(35番) 本尊薬師 新堀 (現 花巻市石鳥谷町新堀65-8)

新仙寺(しんせんじ)は花巻市内を一望できる高台に建っています。













御詠歌
清(す)む水をくめば心の清たき寺波の花ちる岩の羽ごろも




35.金剛寺(31番) 本尊文殊 新堀(現 花巻市石鳥谷町新堀41-78)

本殿は1760年に焼失した後建立され現在に至っているとのことです。














不動堂




御詠歌
南無文殊三世諸仏の母ときく我も子なれば父ぞほしけれ



36.廣濟寺(9番) 本尊 釈迦 猪鼻(現 岩手県花巻市石鳥谷町猪鼻4-57-1)

廣濟寺(こうさいじ)は国道396号線から分かれる国道456号線から少し入った小高い丘の上にあります。ここは、かって中世の館跡猪鼻館が置かれたところです。






山門とその上の大梵鐘





御詠歌
大乗の誹謗も咎も翻がへし転法輪の縁とこそきけ



37.観音堂(45番) 本尊不動  猪鼻 (現 花巻市八重畑猪鼻11-35-3)

個人の家の屋敷にあり、新しいお堂なので、家の方に聞いてみたら、数年前に区画整理があり、現在の場所に新しく建て替えたそうです。猪鼻としか住所が分からず、探すのに大変でした。お店の方に伺いましたら、親切に案内してくれ、やっとたどり着きました。











御詠歌
大聖(だいぜう)の祈る力の實(げ)にいはや石の中にも極楽ぞある



38.観音堂(79番) 本尊観音 滝田 (現 花巻市石鳥谷町八重畑)


観音堂は道路沿いにあるので、すぐにわかりました。










御詠歌
淨楽の浮世の中をたづねべし天王さへもさすらいぞある



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啄木の歌

別るべき明日と見ざりし昨(きそ)の日に心わかれて中に君見る

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その9)

署名 石川啄木
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陸中八十八カ所霊場巡拝順路(3)

2015年12月17日 | ぶらりぶらり
紫波町から国道4号線を北上すると、矢幅町、盛岡市に着きます。


24.観音堂(16番) 本尊千手 北郡山(現 岩手県矢巾町北郡山15-60)

紫波町から国道4号線を北上すると紫波町と矢巾町の境の右側にタケダスポーツ店があり、その手前にある信号を左折して進むと500mほどの左側に観音堂があります。ここは當國三十三か所の八番にもなっている。








御詠歌
忘れずと導きたまへ観音寺西方(さいほう)世界弥陀の浄土へ



25.連正寺(54番) 本尊不動  新穀町(現 盛岡市南大通2-2-13)

明治17年の大火で5間4面の本堂を焼失し、現在の本堂になったようです。
連正寺には 「豆腐買地蔵尊」が奉られています。400年ほど前にお母さんが重病で病床にある時、豆腐を食べたいと言われ、息子は、豆腐をせっせと買い食べさせたところ、お母さんの病が持ち直し全快しました。息子は「これも仏様のお陰」と守り本尊の地蔵菩薩を連正寺に寄進しました。豆腐買いの息子が寄進したことから「豆腐買地蔵」と呼ばれるようになり、今でも病を治すためお参りする人がいらっしゃるそうです。





1世帯あたりの豆腐消費量日本一の盛岡市には、このような由来を持つ地蔵様が祀られています。


御詠歌
曇りなき鏡のえんとながむれば残さずかげを写すものかな



26.峰寿院(71番) 本尊千手 馬町(現 盛岡市清水町1-8)

峰寿院は盛岡三十三観音の一番にもなっております。観音堂は明治時代に焼失し、大正時代に再建されている。現在の清水町は、藩政時代から、馬の売買が行われており、馬市周辺は「馬町」と呼ばれ、馬検場を中心とした馬市は明治45年まで行われていました。峰寿院は岩手公園から毘沙門橋(歩道橋)を渡り50mほど進んだ右側にあります。










御詠歌
悪人と行きつれなんもいやだにじただかりそめもよき友ぞよき



27.三明院(59番) 本尊薬師  加賀野 (現 盛岡市神明町1-1)

 三明院はホットライン肴町から中の橋通りを横切り、進んで行くと50mほどのところにあります。三明院は盛岡三十三観音の三十二番札所にもなっています。








御詠歌
守護のため立てて崇(あが)むる国分寺いよいよめぐむ薬師なりけり


なお、三明院は平成26年6月解体されました。


28.金剛珠院(72番)  本尊大日  内丸 (現 盛岡市内丸17-28)

このお寺は神佛混合で「内丸のお湯殿山」と称され親しまれているようです。明治13年4月に現在地に本堂並びに庫裡を建設し、その後、本堂を修復し現在に至っています。







ここは、岩手医科大学付属病院の裏側の道で、一方通行になっています。手前側に進む一方通行です。




御詠歌
わづかにも曼陀羅おがむ人はただ二(ふた)たび三たびかへらざらまし



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啄木の歌

漂泊の人はかぞへぬ風青き越(こし)の峠に会ひにし少女

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その8)

署名 石川啄木
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陸中八十八カ所霊場参詣順路(2)

2015年12月15日 | ぶらりぶらり
県道13号線を北上し紫波町に着きました。紫波町内の霊場をまわります。

9.小金堂(27番) 本尊観音 志和(現 岩手県紫波町片寄字沢口6)

黄金堂のことで、坂上田村麻呂将軍東夷征伐の後、其報恩のため、また両軍戦死者の霊を弔はんと、十一面観音の尊像を安置したとされている。






御詠歌
三仏の誓ひの心かねの峯やいばの地獄たとへありとも



10.稱名寺(6番) 本尊 薬師  志和(現 岩手県紫波郡紫波町片寄鶉森6-3)

近くの隠里寺から分かれて新しく創立したのが称名寺(しょうみょうじ)のようです。県道13号線沿いにあり、看板が立っていますので、すぐにわかります。紫波町と花巻市の境になりますますが、当時この辺は南北交通の幹線だったようで、多くのお寺が建てられています。




山門



御詠歌
仮の世のもどを争ふむやくなり安楽国の守護をのぞめよ 



11. 隠里寺(22番) 本尊薬師 志和(現 岩手県紫波町片寄中平15)

 隠里寺(いんりじ)は小高い場所にあり、本堂の建立は270年ほど前といわれており、境内にある薬師如来堂もかなり古いお堂のようです。




薬師如来堂


御詠歌

平等に隔てのなきを聞く時はあらたのもしき仏とぞ見る




12.新山堂(52番) 本尊観音 志和(現 岩手県紫波町土舘和山1)

斯波氏(しばし)のころは新山寺(しんざんじ)といって郡内有数の寺院であったといわれています。新山寺は明治3年に新山神社と改称されています。








御詠歌
大山に登れば汗のいでけれど後の世思へなんの苦もなし



13.弥勒堂(20番) 本尊地蔵  志和村(現 岩手県紫波町土舘弥勒地)

弥勒堂(みろくどう)は地元では「おぶつなさん」と呼ばれ親しまれています。この場所はなかなか分からず、たまたま民家を尋ねたら、すぐうちの裏の山にあるということでした。熊が出そうな所で、ゆっくりすることもなく、退散しました。この地区には4軒の弥勒さんのお家があるということで、その一番奥の弥勒さんの裏山になります。





御詠歌
しげりつる鶴の林をしるべにて大師ぞいます地蔵帝釋(たいしゃく)



14.慈眼寺(66番) 本尊観音 志和(現 岩手県紫波町上平沢字南馬場31)

お堂は民家の庭先にあります。当時はここにお寺があったのでしょうか。留守でしたので、お話を聞くことができませんでした。


お堂



御詠歌
はるばると雲のほとりの寺に来て月日を今はふもとにぞ見る



15.薬師堂(11番) 本尊薬師  五郎沼(現 岩手県紫波町南日詰箱清水189)

現在の薬師神社で五郎沼のすぐ近くにあります。五郎沼は桜の名所として、また白鳥の飛来地として親しまれております。かって、周辺には奥州藤原氏初代清衡の孫・樋爪太郎俊衡、五郎季衡兄弟の館があり、五郎が幼い頃によく沼で泳いで遊んだことからその名がつけられたと云われています。








五郎沼


御詠歌
色も香も花の中なる藤井寺真如の波のたゝぬ日もなし




16.不動堂(55番) 本尊地蔵  南日詰(現岩手県紫波町南日詰箱清水105)

赤石小学校の方向に進みさらに東北本線の踏切を渡ると左側の狭い道路があり、そこを進むと右側になります。個人の家の屋敷の中にあります。







御詠歌
このところ見しまに夢の覚めければべつぐうとても同じ垂跡(すいしやく)



17.島ノ堂(第10)  本尊 千手  南日詰(現 岩手県紫波町南日詰宮崎4-1)

五郎沼には、かつては観音島という中島があり、そこに、「島の堂千手観音」があったといわれますが、その後、中島はなくなり、観音は、参拝する巡礼者が難儀をしないようにと、お堂を現在の国道を挟んで向かい側に移築し、今も大切に守られています。 






御詠歌
欲心をただひとすぢにきり果たし後の世までの障りとぞなる



18.鶴巻堂(44番) 本尊観音  南日詰(現 岩手県紫波町南日詰滝名川88)

鶴巻堂は個人の家の屋敷内にあります。







御詠歌
今の世は大悲のめぐみすがふ山つひには弥陀の誓ひをぞまつ



19.覚王寺(28番) 本尊大日 大日堂(現 岩手県紫波町北日詰字下東の坊61)

覚王寺は国道4号線沿いにあります。






御詠歌
露霜と罪をてらせる大日寺などか歩みをはこばざらまじ



20.来迎寺(53番)  本尊 弥陀  郡山(現岩手県紫波町日詰石田47)






マリア観音像


この仏像はマリア観音といわれますが、徳川三代将軍家光はキリシタンを禁ずる布令を出しましたが、禁制を犯した信徒達は使役のため、現在の紫波町佐比内の金山採掘作業に送られた人もおりました。信徒たちは仏像に模したマリア観音をつくり詮議の目を逃れつつ朝夕身心していた。この仏像の頭部を取り外しできるように作り、詮議の時は地蔵様の御首をつけて「地蔵様です」といい、普通はマリア様としておがんでいた。現在そのマリア様の頭部だけが残っているそうです。
なお、境内には神社もあります。


御詠歌
来迎の弥陀の光の円明寺てりそふかげはよなよなの月



21.高水堂(48番)  本尊観音 片山(現 岩手県紫波町二日町古舘170)

高水寺は南部氏により盛岡に移され、その跡地に片山寺が建てられた。現在ある「高水寺」と揮毫された額を掲げる建物は、片山寺の資材を使って作られた高水寺旧観音堂のようで、高水堂と呼ばれていますの。





高水寺旧観音堂(高水堂)


高水寺旧観音堂


高水寺の新観音堂には県指定の木造十一面観音像、町指定の木造金剛界大日如来像、木造地像菩薩半跏像が安置されている。記録によると、高水寺には称徳天皇の勅願になる一丈の観自在菩薩像が安置されていました。現在ここに安置されている十一面観世音は、その後身と伝えられており、昭和35年12月に岩手県有形文化財に指定された。


高水寺新観音堂

高水寺観音堂は走湯神社境内にある。走湯神社は、高水寺の鎮守として、源頼朝によって1189年に勧請された。



御詠歌
弥陀仏の世界をたづね聞きたくば西の林の寺へまいれよ



22.摩尼堂(46番) 本尊薬師 二日町(現 岩手県紫波町二日町古舘170)

摩尼堂(まにどう)の案内版がありますがお堂が見つからないので、紫波町教育委員会にお聞きしましたら「かつて二日町字御堂前にあったものを走湯神社境内に移したと聞いております。その経緯については定かではありません」ということでした。走湯神社の前には確かに「摩尼堂」の案内板はありますが、お堂は建てられておりません。紫波町としては、把握してないとのことです。


摩尼堂の案内板




走湯神社



御詠歌
極楽と浄瑠璃世界たくはへば受くる禍楽はむくひならまじ



23.運松坊(42番) 本尊大日 二日町(現 岩手県紫波町二日町御堂前70)

ここには御堂は無く、観音様は家の中に安置していうるようです。尋ねたときは留守でした。







御詠歌
草も木も仏になれる仏木寺なほたのもしき鬼畜人天


次回は国道4号線を北上し矢幅町、盛岡市とまわります。


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啄木の歌

たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その7)

署名 石川啄木
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陸中八十八カ所霊場参詣順路(1)

2015年12月11日 | ぶらりぶらり
陸中八十八カ所は岩手県花巻市・北上市・紫波町・矢巾町・盛岡市の5市町にまたがっており、番号順にまわると行ったり来たりとなるので、道なりに進むように、その参拝順をまとめます。ここでは1番の大興寺から88番の光勝寺までの間の道のりになります。
明治時代、四国まで行くのは大変だったので、明治24年、大興寺(第1番)の30代桐野圓宗、自性院(第77番)の48代斎藤光海、光勝寺(第88番)の26世赤塚宥天らが、「陸中新四国八十八カ所霊場」として、四国八十八霊場の「ご本尊」、「御詠歌」を同じにし、陸中地区の88カ所のお寺を四国八十八霊場にみたてて、つくったものです。

1.大興寺(1番) 本尊 釈迦  葛岡(現 岩手県花巻市石鳥谷町大興寺23-1)

大興寺は県道13号線(盛岡和賀線)から500mほど入ったところで、この道の一番奥になります。県道13号線からの入り口は案内板が立っていますので、すぐわかります。



大興寺本堂



御詠歌碑


御詠歌
霊山の 釈迦のみまえに めぐりきて 萬の罪も きへうけにけり



2.観覚院(62番) 本尊観音  長谷堂(現 花巻市石鳥谷長谷堂1-68)

長谷寺のことで、明治に入り廃寺となったが、釜石の寿福寺の寺籍を移転して再興されたようです。ここは、大興寺から下って(戻って)くると左側に案内板が立ってます、そこを進んで行くと観覚院に着きます。いまにも熊が出そうなところです。





御詠歌
五月雨のあとにいでたる玉の井はしらつゆなるや一の宮川


3.地蔵堂(5番)  本尊 地蔵  松林寺(現 花巻市石鳥谷町松林寺1-36)

観覚院から先ほどの案内版のところまで戻り、さらに下ると地蔵堂に着きます。
松林寺は、で第55代文徳天皇の后、染殿が清和天皇を懐妊した際、地蔵菩薩の功徳により安産を得たことより、国内66州に各一体の子安地蔵尊を安置した一ヶ寺といわれ851年の創建で、安産、子育てに御利益があるとして広く信仰されるようになりました。境内が東西約910m南北約546mの広さがあったようですが、野火により堂宇のすべてを消失し、その後、建替えられたようですが、現在は地蔵堂のみになっております。寺院名が現在も地名として残っており、重要なお寺だったのでしょう。



御詠歌
六道の能化の地蔵大菩薩みちびきたまへこの世後の世 


4. 俵屋堂(33番) 本尊薬師 大興寺(現 花巻市石鳥谷町大興寺4-34)

俵屋堂は花巻市大興寺の熊谷さん宅の敷地内にあります。私が訪ねた時は住所が分からなかったので探すのが大変でした。







御詠歌
旅の道うへしも今はかうふくじ後の楽しみありあけの月



5.光林寺(19番) 本尊地蔵 中寺林村 (現 花巻市石鳥谷町中寺林12-54)

石鳥谷バイパスの中林寺の信号を曲がって進んで行くと光林寺があります。この場所は中世の館「寺林城跡」のようです。




御詠歌
いつきてか西の住居の我が立へ弘誓(ぐせい)の舟に乗りてわたらん



6. 熊野堂(68番) 本尊 弥陀 八幡(現 花巻市石鳥谷町八幡12-21ー1) 

資料には住所がないので、場所がなかなか分からず、探すのが大変でした。大澤さん宅の裏にありました。




御詠歌
笛のねも松吹く風も琴ひくも唄ふも舞ふも法の聲聲



7.鳥谷寺(7番) 本尊 弥陀 石鳥谷(現 岩手県花巻市石鳥谷町好地第8地割85-1)

鳥谷寺(ちょうこくじ)は石鳥谷駅から10分ほどのところの街中にあります。当寺は1695年好地院と称して開山し、明治15年に鳥谷寺と改名しているようです。



御詠歌
人間の八苦を早く離れなばいたらんかたは九ぼん十楽



8.熊野堂(2番) 本尊 弥陀 上好地(現 岩手県花巻市石鳥谷町好地12地割142)

好地地区にある熊野神社で、本宮熊野神社といわれている。熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のことで、熊野詣の盛行や熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまり、全国に熊野三山の祭神を勧請した神社が300ほどあり、花巻だけでもその数は10ほどあります。



熊野神社

御詠歌
極楽の弥陀の浄土へゆきたくば南無阿彌蛇仏口くせにせよ
 


次回は、北上し紫波町に行きます。



御詠歌(ごえいか)は、仏教の教えを五・七・五・七・七の三十一文字の和歌で作られ、曲に乗せて唱えるもので、平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つです。この他、七五調の歌詞にメロディをつけた「和讃」(わさん)と、広い意味では両者を併せて『御詠歌』として扱っている。巡礼の行われている霊場にはかならずといってよいほど御詠歌が付随しています。 作者は不明のようですが、御詠歌に親しむことによって、様々な仏の教えを知ることができるでしょう。



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啄木の歌

靴のあとみなことごとく大空をうつすと勇み泥濘(ぬかるみ)を行く

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その6)

署名 石川啄木
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岩手山 (2015.12.9)








陸中八十八カ所霊場(88番 光勝寺)

2015年12月04日 | ぶらりぶらり
88番 光勝寺 本尊薬師  五大堂 (現 花巻市石鳥谷町五大堂11-49)

陸中八十八カ所霊場の八十八番光勝寺です。光勝寺においては旧正月六日の午後八時から星祭護摩法要・裸参り、旧正月七日には五大尊蘇民祭が行われます。








光勝寺本殿



光勝寺の右側の鳥居をくぐって階段を上って行くと五大尊を祀る五大尊堂があります。光勝寺の五大尊蘇民祭は800年の歴史があり、1年間の無病息災を祈って護摩を焚きコマと呼ばれる365枚の木札の入った麻袋を奪い合い、御守札とする勇壮な祭りです。










五大尊堂



御詠歌
南無薬師衆病なかれと願立て参れる人はあふくぼのてら

なお、四国八十八ケ所霊場の八十八番は「大窪寺」です。

大窪寺御詠歌
南無薬師諸病なかれと願いつつ詣れる人は大窪の寺



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啄木の歌

大海にうかべる白き水鳥の一羽は死なず幾億年も

明星 明治41年7月号 石破集(32首、その5)

署名 石川啄木
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今朝は薄っすらと積雪があり、断続的に降っておりますが、車道の雪は解けています。明日の朝には積もっているのかな。


国道4号線 高松交差点(2015.12.4 12時半頃)


岩手山(2015.12.2)