たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

啄木歌碑めぐり(58)

2020年06月28日 | 啄木歌碑

啄木の釧路での生活は76日間でしたが、釧路の人には親しまれたようで歌碑も26基ほど建立されています。私が数年前に釧路を訪れた時にも、家の前に立っているお母さんに、啄木の歌碑の場所を聞いたら、案内してやると言い、車で数カ所の歌碑を案内していただき、その後市内を案内いただきました。啄木は現在も親しまれいるのですね。

 

① 小奴碑(釧路市南大通)  

 

 

碑文


明治41年1月21日石川啄木は妻
子をおいて単身釧路に来る
同年4月5日当地を去るまで釧路新聞
社に勤め記者として健筆をふるへり


  あはれ国のはてにて
  酒のみき
  かなしみの滓を啜るごとくに
                 
当時の生活感情を啄木はこのようにうたう
当時しゃも寅料亭の名妓小奴を知交
情を深めり  

  小奴といひし女の
  やはらかき
  耳朶なども忘れがたかり

       舞へといへば立ちて舞ひにき
       おのづから
       悪酒の酔ひにたふるるまでも

漂浪の身に小奴の面影は深く啄木の心
をとらえ生涯忘れ難き人となれり 
小奴もまた啄木の文才を高く評価し後年
旅館近江屋の女将となり七十有余年の
生涯を終るまで啄木を慕い通せり
今 此処小奴ゆかりの跡にこの碑を刻
み永く二人の追憶の記念とす                    
          

                               昭和41年11月

 

 

② 本行寺の歌碑(釧路市弥生町)

 

 

 一輪の赤き薔薇の花を見て
   火の息すなる  
     唇をこそ思へ    啄木

本行寺は啄木が歌留多に興じたゆかりから、歌留多寺とも言われています。山門にあるこの歌碑は、歌留多会で出会った梅川操を詠んだといわれる一首で、『釧路新聞・詞壇(明治41年3月19日)』に発表しました。詞壇については、明治41年1月28日の啄木日誌を見ると「今日から一面に詞壇を設け、且つ大木頭と云ふ名で、150行位づつ政界の風雲を書くことにした」とあります。   

 

 

 


盛岡市保存樹木(67 旧奥州街道の松並木)

2020年06月25日 | ぶらりぶらり

(67) 旧奥州街道の松並木

旧奥州街道沿いにある松並木です。盛岡の北の方にあたり、盛岡駅から8㎞ほどのところで、川徳デパートのアネックス前です。川徳アネックス前には上田一里塚があります。旧奥州街道は四十四田ダム建設にともない、また松園団地建設にともない拡張され、現在に至っております。

 

 

      旧奥州街道沿いの松並木

 

 

     川徳アネックス前の上田一里塚

 

       上田一里塚

 

盛岡市では,景観法第28条の規定に基づき,景観重要樹木を指定しています。 旧奥州街道の松並木(12本)は景観重要樹木52号になっています。

樹木の種類(名称)  旧奥州街道の松並木(12本) 
指 定 番 号 第52号 
指定年月日 平成27年4月1日 
所在地 盛岡市緑が丘四丁目1-6わき 
樹木の樹容の特徴 
樹容に優れ旧奥州街道筋の松並木として地域の景観を特徴 づけ,良好な景観の形成に寄与している。 【指定時推定樹齢110~180年】 

 

 

 

 


彫刻のまち盛岡(11)

2020年06月18日 | ぶらりぶらり

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を年代順に載せていきます。今回は1983年です。

 

① 太陽の風景Ⅵ 藁谷収     1983   北夕顔瀬町グリーンプロット

 

 

 

② 飽  渡辺忍      1983   富士見台緑地(北)

 

 

 

③ 極   菊池誠   1983       羽場小学校

 

 

 

 

 

    今朝の岩手山(令和2年6月18日)

 

 

 

 

 

 

 


啄木歌碑めぐり(58)

2020年06月14日 | 啄木歌碑

① 料亭しゃも寅跡の歌碑(釧路市浦見町)  昭和58年8月 建立(『一握の砂』より) 啄木22歳

 

 

火をしたふ蟲のごとくに
ともしびの明るき家に
かよひ慣れにき  啄木

料亭しゃも寅は小奴が専属の芸妓としていた料亭です。啄木の釧路での生活はどうだったのでしょう。明治41年2月29日の日記をみると、「釧路に来て40日。生まれて初めて、酒に親しむこと事だけは覚えた。盃二つで赤くなった自分が、僅か40日の間に一人前飲める程になった。芸者といふ者に近づいて見たのも生まれて以来此の釧路が初めてだ」と書かれています。

 

② 料亭喜望楼跡の歌碑(佐野碑園 釧路市南大通)  昭和58年8月 建立(『一握の砂』より)

 

 

あはれかの国のはてにて  啄木
酒のみき
かなしみの滓を啜るごとくに      
 

啄木は釧路一・二の料亭である料亭喜望楼にはよく行っていたようです。啄木日誌によると、最初は行ったのは釧路に着いた3日後の明治41年1月24日で「社長の招待で編輯4人に佐藤国司氏と町で一・二を争う料理店喜望楼へ行きました。芸者2人、小新に小玉。小新は社長年来の思ひ者であるといふ。編輯上の事何かと相談した」と書かれています。喜望楼跡は現在、佐野碑園になっています。

 

 

 

 


彫刻のまち盛岡(10)

2020年06月05日 | 啄木歌碑

市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を年代順に載せていきます。
 
(10)松園中央公園の彫刻

松園団地にある公園です。松園団地は盛岡で一番大きな団地で盛岡駅から8㎞北にあります。
 

① KUNISAKI-MORIOKA       佐々木悦也・菊池誠・加納好美    1982  松園中央公園

 

 

 

 

 

 

② 風のトルソ  長内努  1982  松園中央公園

 

 

 

 

団地の南側には岩手県立美術館、四十四だダムがあります。

 

ダムに写る岩手山(令和2年5月8日)

 

 

 


盛岡市保存樹木(66番 上の橋際のイチョウ )

2020年06月02日 | ぶらりぶらり

(66)上の橋際のイチョウ

道路の真ん中に立つイチョウの木です。この道路は中津川に架かる「上の橋」と市役所裏の「与の字橋」までの通路です。「与の字橋」の名前の由来は、橋のたもとに消防「よ(与)組」の番屋があることからのようです。

 

 

 

 

 

 

盛岡市では,景観法第28条の規定に基づき,景観重要樹木を指定しています。上の橋際のイチョウは景観重要樹木51号になっています。

樹木の種類(名称)  上の橋際のイチョウ


指 定 番 号 第51号 
指定年月日 平成27年4月1日 
所在地 盛岡市本町通一丁目1-1わき(中津川沿い) 
樹木の樹容の特徴
中津川の良好な景観構成要素となっている,樹容に優れア イストップとなっており,良好な景観の形成に寄与している。
 【指定時推定樹齢110年】