たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

ハンカチの木

2014年05月31日 | ぶらりぶらり
ハンカチの木は岩手大学構内にもありますが、すでに散ってしまったので、花巻市大迫内川目のハンカチの木を見てきました。白い大きな苞(ほう)のついた珍しい花を咲かせる木で、茂った葉の間から、連なるように白い苞が垂れ下がり、風に吹かれて白いハンカチを振っているように見えます。ここは、道の駅「はやちね」からさらに5kmほど進んだところです。




ハンカチの木(2014.5.31)





















なお、岩手大学構内の「なんじゃもんじゃ」の木の花は今が見ごろです。気温30度なのに、木の上に雪が積もっているように見えます



なんじゃもんじゃの木(2014.5.31)










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啄木の歌

たうたうと胸の鼓(つづみ)の鳴るを聞き物をも言はず盃を見る

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その4)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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カキツバタ群落

2014年05月29日 | ぶらりぶらり
5月も末になり、盛岡では桜も散り、岩手山の雪も大分消え、カキツバタの花が咲き始めています。ここ山岸のカキツバタは岩手県の指定記念物になっています。この場所は国道4号線から岩泉方向に4kmほど進んだ道路脇にあります。



岩手県指定カキツバタ群落


















岩手山(平成26年5月29日)





岩手山(平成26年4月17日)






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啄木の歌

冬の日はほのかながらも温かき思出のごと窓に照りぬる

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その3)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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盛岡市保存建造物(第14号 茣蓙九)

2014年05月28日 | ぶらりぶらり

第14号 茣蓙九(現森九商店)  盛岡市紺屋町1番31号

茣蓙九商店は旧奥州街道沿いにあり東北電力の隣です。旧奥州街道沿いには,歴史的建造物として指定されている建物として旧盛岡銀行、旧第九十銀行と紺屋町番屋などもあります。











中津川河川敷の啄木歌碑前から見た茣蓙九


中津川側に見えるのは蔵と塀であり、中津川と関連して茣蓙九商店の景観は市中心部において盛岡らしさを表すものとして貴重なものである。


啄木歌碑


中津川や月に河鹿の
啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と
啄木


啄木歌碑前から上流を見ると与の字橋、下流には中の橋があります。



与の字橋



中の橋




なんじゃもんじゃの木

2014年05月26日 | ぶらりぶらり
岩手大学構内には珍しい植物が見られます。その一つが「ヒトツバタゴ」の木です。この木は5月に白い花が咲くため、暖かいのに、雪が覆っように木が真っ白になっていまます。「この木は何というもんじゃ」と尋ねた方がおられたことより、「なんじゃもんじゃ」の木と呼ばれるようになったようです。もう数日たつと青い葉も隠れ、全体が真っ白になるそうです。ぜひ、見にいらしてください。農学部4号館の前にあります。




なんじゃもんじゃの木








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啄木の歌

春の鳥深山木(みやまぎ)出でゝ鳴くといふ日にこそ君が庵は訪はまし

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その2)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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陸中八十八カ所霊場(48番 高水堂)

2014年05月25日 | ぶらりぶらり
48番 高水堂  本尊観音 片山

現在、高水寺といわれている場所は 岩手県紫波町二日町古舘170です。

高水寺は南部氏により盛岡に移され、その跡地に片山寺が建てられた。現在ある「高水寺」と揮毫された額を掲げる建物は、片山寺の資材を使って作られた高水寺旧観音堂のようで、高水堂と呼ばれていたようです。






高水寺旧観音堂(高水堂)


高水寺旧観音堂



高水寺の新観音堂には県指定の木造十一面観音像、町指定の木造金剛界大日如来像、木造地像菩薩半跏像が安置されている。記録によると、高水寺には称徳天皇の勅願になる一丈の観自在菩薩像が安置されていました。現在ここに安置されている十一面観世音は、その後身と伝えられており、昭和35年12月に岩手県有形文化財に指定された。



高水寺新観音堂


高水寺観音堂は走湯神社境内にある。走湯神社は、高水寺の鎮守として、源頼朝によって1189年に勧請された。



走湯神社




御詠歌
弥陀仏の世界をたづね聞きたくば西の林の寺へまいれよ

なお、四国八十八ケ所霊場の四十八番は「西林寺」です。

西林寺御詠歌
弥陀仏の世界をたずね行きたくば西の林の寺に詣れよ




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啄木の歌

花の下(もと)たもとほる子は行きずりの香りに物言はせけり

釧路新聞  明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その1)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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盛岡市保存建物(第13号 原敬生家)

2014年05月22日 | ぶらりぶらり
第13号 原敬生家   盛岡市本宮字熊堂93番地の1


原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立に命をかけて活躍しまた。生家はかや葺屋根の木造建築の住宅である。 原敬祖父時代,当時の住宅間取りに不便を感じ、改築されている。現存の建物は当時の約5分の1の大きさです



















原敬生家に隣接して原敬記念館が建てられている。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記(はらけいにっき)、遭難時の衣服、遺品、遺墨等を展示しています。月曜日が休館日で、入館料は200円になっています。











宝積(ほうじゃく)には「人に尽くして見返りを求めない」という意味もあります。



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啄木の歌

手に手をとり君ともいはぬ一時のありし日故に忘れずと泣く

釧路新聞  明治41年1月29日 釧路詞壇(5首、その5)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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陸中八十八カ所霊場(47番 成沢寺)

2014年05月20日 | ぶらりぶらり
明治9年頃から岩手は陸中と呼ばれていたようで、岩手県花巻市・北上市・紫波町・盛岡市・矢巾町の5市町にまたがって陸中八十八カ所霊場がつくられた。当寺、四国八十八霊場までは、なかなか行けないので、皆さんの地区にもあると思いますが、各地に「新四国八十八霊場」がつくられている。

47番 成沢寺 本尊 弥陀 安俵(現 花巻市東和町安俵10区)

東和町安俵(あひょう)にある成沢寺(じょうたくじ)の現在の本堂は1850年に改築されている。神仏分離策によったのでしょうか明治4年に成島毘沙門堂下にあった成島寺と合併したといわれている。












御詠歌
花を見て歌よむ人は八坂寺三ぶつじょうの縁とこそきけ

なお、四国八十八ケ所霊場の四十七番は「八坂寺」です。

八坂寺御詠歌
花を見て歌詠む人は八坂寺三仏じょうの縁とこそきけ



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啄木の歌

世に一の大いなる玉得つと言ひ仄(ほの)に紅める君が頬を吸ふ

釧路新聞  明治41年1月29日 釧路詞壇(5首、その4)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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氷上神社の啄木歌碑

2014年05月18日 | 啄木歌碑
  
岩手県陸前高田市の高田松原にあった啄木歌碑は3年前の津波よって流されてしまいましたが、以前にも、昭和32年に建立された啄木歌碑がありましたが、昭和35年5月24日に襲ったチリ地震津波により、歌碑が建てられていた周辺は破壊され、歌碑の行方がわからなくなりました。その後、工事車両により砂の中から見つけだされたが、この歌碑は再び松原に建立されることはなく、ここ氷上(ひかみ)神社に移つされました。




参道二の鳥居前の啄木歌碑






    
命なき砂のかなしさよ
さらさらと
にぎればゆびの間よりおつ
啄木



啄木は、盛岡中学校時代の明治33年7月21日、富田小一郎先生統導のもと 級友9人と氷上山に登ったといわれています。
氷山(ひかみ)神社:岩手県陸前高田市高田町字西和野83






高田松原の啄木歌碑

2014年05月14日 | 啄木歌碑
岩手県陸前高田市の名勝・高田松原に建立され、住民に親しまれてきた啄木歌碑が東日本大震災による津波で流失したため、平成25年11月14日、高田松原近くの震災遺構として保存されているタピック(観光物産センター、旧“道の駅”)前にある東日本大震災仮設追悼施設脇に再建された。以前の歌碑の歌とは異なり、“津波の犠牲者を忘れない“との思いを込め「頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」の歌が刻まれた。陸前高田市が計画している祈念公園が完成した後は、移設される予定のようです。なお、啄木は明治33年7月21日、盛岡中学の三陸沿岸修学旅行で高田松原を訪れている。






頬につたふ 
なみだのごはず 
一握の砂を示しし人を忘れず
啄木




追悼施設


奇跡の一本松モニュメント



平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲い、約7万本と言われる高田松原の松林もほとんどが流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」でした。しかし、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、モニュメントとして保存することにしました。






盛岡市保存建造物(第12号 旧宣教師館)

2014年05月13日 | ぶらりぶらり
第12号 旧宣教師館   盛岡市大沢川原三丁目5番26号

旧宣教師館は大正9年に建てられており、2階建に屋根裏部屋を有しております。現在は地区市民センターとして使用されており、月~金曜日が開館日になっています。盛岡駅から下の橋(しものはし)方向に歩いて5分ほどのところです。








説明書によると、建物の主体構造は,煉瓦1.5枚積組積造と床,小屋組,窓廻りは木構造を併用している。建物妻手の煉瓦積棟は棟高まで達している。
現存する建物は,建坪約126平方メートルの2階建に屋根裏部屋を有する典型的な当時の米国の生活様式を伝える住宅建築である。後年,外装にモルタル吹付が施され,窓,屋根,暖房(ボイラーとスチームの取り替え)などが改装され,現状を呈するに至っている。













屋根裏部屋




1948年に 私たちは 焼け跡 植えられた花 をみて
日本は必ず 復興すると 思いました
りチャード と マルタ ラマーズ
日本に 最初に 着いたとき のことを 思い出しながら

1990年 3月
リチャード ラマーズ




北上川は江戸前期までは現在の材木町裏あたりから開運橋通・大通・産業会館前・教育会館-岩手公園の間を流れ,下の橋のすぐの下流当たりで中津川に合流していた。この急カーブの影響で洪水の被害に度々見舞われたため、現在のようにまっすぐな流れに切り替える大工事が1673年から行われた。現在の大沢川原は旧北上川と現在の北川の間の土地になる。



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啄木の歌

もの言はぬつれなし人は火の消えしすとうぶに似て凭(よ)れど冷たき

釧路新聞  明治41年1月29日 釧路詞壇(5首、その3)

署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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