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たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市景観重要建造物

2025年05月21日 | ぶらりぶらり

盛岡市の文化財を載せています。前回は盛岡市保護庭園を載せました。今回は盛岡市「景観重要建造物」と「保存建造物」です。

盛岡市には23件の「保存建造物」がありましたが、平成30年、「保存建造物」23件のうち「材木町裏石組」1件だけを保存建造物に残し、旧盛岡銀行、旧九十九銀行の2件を除く20件を「景観重要建造物」に指定、現在、盛岡ふれあい覆馬場プラザと20件合わせて21件が「景観重要建造物」に指定されています。

   

盛岡市景観重要建造物    

       

(1) 盛岡ふれあい覆馬場プラザ   盛岡市青山二丁目

 

盛岡ふれあい覆馬場プラザは、明治42年、旧陸軍騎兵第三旅団騎兵隊の悪天候の際の屋内における兵馬の訓練場として建築された「れんが」造りの建物です。旧練兵場として、6棟ありましたが1棟を残し解体され、残った1棟が「覆馬場プラザ」として、平成24年に盛岡市景観重要建造物に指定されました。

 

  (2) 番屋      盛岡市紺屋町                       (3) 原 敬 生家    盛岡市本宮                (4) 旧井弥商店   盛岡市上ノ橋町       

                            

 

 (5) 旧石井県令私邸  盛岡市清水町               (6) 徳清    盛岡市仙北1丁目              (7) 兵藤の酒蔵    盛岡市鉈屋町

                 

  

(8 ) 旧盛岡貯蓄銀行 盛岡市中ノ橋通                (9) 旧宣教師歓   盛岡市大沢川原               (10) 茣蓙九   盛岡市紺屋町

                      

 

 

   (11) 大泉寺本堂   盛岡市本町通              (12) 円光寺本堂   盛岡市南大通               (13) 東顕寺本堂   盛岡市名須川町

                 

 

(14) 明治橋際の御蔵    盛岡市南大通              (15) 武田邸      盛岡市長田町                    (16) 川鉄  盛岡市大慈寺町 

                    

 

 (17) 大慈寺山門            盛岡市大慈寺町            (18) 南昌荘    岡市清水町                            (19) 塩重商店   盛岡市茶畑二丁目                    

                     

 

(20) 米内浄水場(調整室上屋)     盛岡市上米内字中居

 

浄水場の調整室上屋です。浄水場の旧管理事務所1棟、集水井上屋1棟、調整室上屋3棟、濾過池3ヶ所が合わせて景観重要建造物に指定されています。旧管理事務所(現盛岡市水道記念館)は、木造平屋建てで正面外観は左右対称形になっています。集水井上屋は、鉄筋コンクリート造平屋建てで八角形の平面を持つ特徴がある建物です。濾過池については幅が90m×37m、水深3mの池を隔壁で三分し、交互に一池を濾砂洗浄用とし、二池で常時緩速濾過を行っています。景観重要建造物には、これら20件の他、老梅院茶室(鉈屋町)も指定されていますが、非公開になっており、写真は撮れませんでした。

 

 

盛岡市保存建造物

盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例に基づいて,市内の由緒・由来のある建造物や都市景観上保全が必要な歴史的建造物を「保存建造物」として指定しています。現在は1件の指定となっています。

 

(1) 材木町裏石組   盛岡市材木町

 

盛岡市は、由緒・由来のある建造物を保存建造物として23件指定しておりましが、平成30年、材木町裏石組だけを残し、旧第九十銀行、旧盛岡銀行を除く上記20件を景観重要建造物の指定に変更しました。材木町裏石組は北上川の夕顔瀬橋下流左岸にあり、全長約360m、地盤からの高さ3.3mから5.5mあります。石垣の天端の高さは一定しておらず、所有者がそれぞれ施工したことを物語っています。さらに川の水を利用するための石段が14個所設けられています。川水の利用は、昭和15年頃(松尾鉱山の鉱毒水の流入時点)まで使われていたようです。石垣の下の歩道の散歩は気持ちが良いですよ。

 

 

 


盛岡市保護庭園

2025年05月05日 | ぶらりぶらり

前回までは、盛岡市指定文化財を載せてきました。今回は盛岡市保護庭園です。

 

盛岡市保護庭園

(1) 一ノ倉邸庭園                盛岡市安倍館町

 

盛岡市は、盛岡市の歴史と共に生き続けた由緒、由来がある庭園を選定し、「保護庭園」として指定しています。「一ノ倉邸」は、盛岡出身の政治家阿部浩が、明治40年代に建てた建物であり、庭園です。その後、一ノ倉氏に譲渡し、平成4年に盛岡市が取得しております。庭には中尊寺ハスがあり、秋にはモミジの紅葉が綺麗です。「中尊寺ハス」といえば、昭和25年、中尊寺金色堂内におさめられている藤原氏の遺体4体が学術調査された時、ハスの種が発見され、この種が発芽し、平成10年に開花しました。その株分け第一号として、平成24年に保護庭園「一ノ倉邸」に移植されたものです。

 

(2)  賜松園庭園                 盛岡市南大通1丁目

賜松園の庭園は、盛岡市立杜陵老人福祉センター敷地内にあります。武士の屋敷に整備された庭園であり、作庭時期は樹齢からみて江戸中期と推定されています。明治初年に盛岡藩士・菊池金吾の所有となりました。「賜松園」という名の由来については、この建物が明治天皇御光臨のおりに宿舎にあてられ、庭の松が「見馴れの松」と名付けられましたが、明治17年の盛岡の大火でこの見馴れの松が焼けたため、後に陛下より松を賜ったことより「賜松園」と名付けられました。盛岡市の保護庭園として「池泉回遊式庭園」として登録されていますが、現在、水は涸れて、回遊してはいません。

 

(3)  武田邸の庭園                 盛岡市長田町

 

作庭は明治初年の頃、川目末松によるものと言われますが、基本的作庭は江戸末期の頃と推定されます。庭は建物の南側に位置し、東寄りに位置する池泉とその対岸に築山があり、市内の池泉回遊式庭園の様式を担っています。同邸が武田家の手に渡ったのは戦前の事で、現在の建物および庭園は、武田氏が建物の材料や庭石、庭木を集めるなどして、昭和25年に完成しました。現在、建物の築年数は70年になり、戦前の盛岡の職人の手仕事が残る建物として、平成3年に市の保存建造物に指定されました。庭園は江戸末期の設計とされ、昭和47年に盛岡市保護庭園に指定されました。

 

(4)  南昌荘庭園                   盛岡市清水町

 

この庭園を作庭したのは阿部仁太郎と川目末松という地元の庭師さんです。その後、国の天然記念物『石割桜』を守った庭師とも言われる藤村治太郎・藤村益治郎親子と、それを受け継ぐ造園会社・豊香園により管理され、現代に至っているようです。建物が高床式になっており、主屋の南昌の間から眺めると、ちょっと高い目線で見ている感覚です。意図して設計されたのでしょう。保護庭園これらの4件の他、非公開ですが、異色のある地割を持つ優れた庭園の老梅園(大慈寺町)、小型の築山を持つ池泉回遊式の小泉邸の庭園(馬場町)、江戸中期以降に造られ自然林的な林況を呈している下田邸の庭園(前九年)の3件があり、合わせて7件が、盛岡市保護庭園に指定されています。

 


盛岡市指定記念物(5)

2025年03月24日 | ぶらりぶらり

盛岡市指定文化財には有形文化財、無形文化財、民族文化財、記念物があります。民俗文化財には有形民俗文化財と無形民俗文化財があり、有形民俗文化財を載せ、前回は無形民俗文化財を載せてきました。今回は盛岡市指定記念物です。記念物には史跡と天然記念物があり、今回は史跡です。

盛岡市指定記念物

(1)史跡

(ⅰ) 鍛冶町一里塚跡  盛岡市指定記念物(史跡)  盛岡市紺屋町

 

 

慶長期(1596~1615)の築造とみられる鍛冶町一里塚。現在、紺屋町のマンション玄関前に一里塚跡を示す石碑が建立されています。ここは奥州道中筋の宿駅で、秋田街道、宮古街道など盛岡藩領内諸街道の里程を計測する基点で、交通史跡として重要です。鍛冶町一里塚は奥州街道江戸日本橋から139番目の一里塚です。この付近は城下町のほぼ中央にあたり、今も残る江戸・明治の建築物や庭園、町家などを見ることが出来ます。この一里塚には、もと石の標杭があったようですが、文化(1804~)初年期に撤去されたと伝えられています。

 

(ⅱ) 船橋跡 

 

 

明治橋の地点は、北上川舟運の起点であったことから、人が集まり物資の流通も多く、奥州道中筋の要所でした。北上川は雫石川、中津川と合流し、大河の様相を呈し、架橋が難しく当初は舟渡しでしたが、延宝8年(1680)頃に、この場所に舟橋が架設されました。舟橋は両岸に巨大な親柱と中島に大黒柱を立て、20艘ほどの小舟を鉄鎖で係留し、その上に敷板を並べて人馬が往来できるようにし、増水時には敷板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて、「川止め」にしたもので、明治7年(1874)に木橋の明治橋が出来るまで存続しました。舟橋跡は歴史的に貴重な事から昭和41年(1966)に盛岡市指定史跡になりました。

 

 


盛岡市指定文化財(4)

2025年03月10日 | ぶらりぶらり

盛岡市指定文化財には有形文化財、無形文化財、民族文化財、記念物があります。これまで、有形文化財、無形文化財を載せ、前回は民俗文化財のうち有形民俗文化財を載せました。民俗文化財には有形民俗文化財の他、無形民俗文化財がありますので、今回は無形民俗文化財です。無形民俗文化財には「風俗慣習」2件と「民俗芸能」38件の合わせて40件あります。

 

盛岡市指定民俗文化財


(1) 無形民俗文化財

A. 風俗慣習

(ⅰ) 盛岡八幡宮流鏑馬神事

 

流鏑馬とは良馬にまたがった射手奉行(いてぶぎょう)が3本ずつの矢を三度放って、その命中率を競うもので、五穀豊饒、国家の安泰、氏子たちの家内安全を祈願する祭典です。盛岡八幡宮の流鏑馬の源流は、南部家によって鎌倉時代初期に伝えられたものといわれています。延宝9年(1681)の盛岡八幡宮の造営とともに、例祭の中心神事として明治40年(1907)頃まで続き、昭和25年(1950)、再び復活しました。流鏑馬神事の法式は、「三つ的」のほかに諸種の騎上射的が行われるほか、「馬場清め」、「馬場入り」の神事作法も特色ある法式で行われています。

 

(ⅱ) 盛岡舟っこ流し

 

盛岡夏祭り行事、盛岡夏の風物詩「舟っこ流し」。盛岡市内を流れる北上川の明治橋の辺りで行われるもので、主に町内会単位、提灯や盆の供物で飾った舟に火を放ち、川に流し、祖先の霊を送り、無病息災を祈る送り盆の行事です。盛岡藩四代藩主だった南部行信の娘が水灯の大法事を行ったのが始まりで、その後北上川で溺れ死んだ遊女の霊を慰めるため、舟に位牌と供物を乗せて流し、以後、町の人々の間で盛んに行われるようになりました。

 

B.  民俗芸能

(ⅲ) 見前宮崎神楽                   盛岡市見前

 

「見前宮崎神楽」は、山伏神楽の系統として、秋田の尾去沢鉱山から移住した修験が神楽を始めたものと伝えられています。現在は地元西見前北野神社や盛岡八幡宮などの秋祭りにおいて神楽の奉納を行っております。八幡宮での奉納は、この踊りを伝えた子孫の宮崎氏が盛岡八幡宮の宮司をしていたことから、祭典の際に奉納する所以となったようです。古風な衣装を身に着け、それぞれの面を付けた神々や人物が優雅に、また勇壮闊達に繰り広げる厳粛な舞です。

 

(ⅳ) 乙部さんさ踊り    盛岡市乙部

 

乙部地区に昔から伝わるさんさ踊は膝を使った上下運動や、バチを高く掲げる姿、踊りのしなやかな手の動き、腰帯の動きがとてもカッコイイさんさ踊りです。盛岡さんさ踊り祭りや地元のお祭りなどで練習の成果を披露しています。基本は週1回1時間半ほどの練習を行っていますが、本番前は週2回の練習となり、大変激しい踊りなので練習でもへとへとになるくらい良い運動になるとのこと。

なお、令和3年に「外山節」も盛岡市指定無形民俗文化財に指定され、盛岡市無形民俗文化財は「外山節」を含めると40件になります。この40件を次に示します。

 

  盛岡市指定無形民俗文化財 

  種 別       文 化 財 名 所          在 地
      1 風俗慣習         八幡宮流鏑馬神事     盛岡市八幡町 南部流鏑馬会
      2 風俗慣習         盛岡の舟っこ流し      盛岡舟っこ流し協賛会 

      3 民俗芸能    根田茂高舘剣舞      盛岡市根田茂 根田茂高舘剣舞保存会
   4 民俗芸能    上鹿妻田植踊       盛岡市上鹿妻 上鹿妻田植踊保存会
   5民俗芸能     宮崎神楽              盛岡市西見前 見前神楽保存会
   6 民俗芸能    羽場山伏神楽       盛岡市羽場 羽場山伏神楽保存会
   7 民俗芸能    大ヶ生山伏神楽      盛岡市大ヶ生 大ヶ生山伏神楽保存会
   8 民俗芸能    高舘剣舞         盛岡市大ヶ生 大ヶ生高舘剣舞保存会
   9 民俗芸能     手代森念仏剣舞                    盛岡市手代森 手代森念仏剣舞保存会
 10 民俗芸能             高江高江柄念仏剣舞    盛岡市大ヶ生 高江柄念仏剣舞保存会
 11 民俗芸能     羽場さんさ踊り      盛岡市羽場 羽場さんさ踊り保存会
 12 民俗芸能             城内さんさ踊り                   盛岡市大ヶ生 城内さんさ踊り保存会
 13 民俗芸能     見前町田植踊り      盛岡市西見前 見前町田植踊り保存会
 14 民俗芸能     内村田植踊り       盛岡市下飯岡 内村田植踊り保存会
 15民俗芸能      黒川田植踊り       盛岡市黒川 黒川田植踊り保存会
 16民俗芸能      法領田獅子踊り      盛岡市乙部 法領田獅子踊り保存会
 17民俗芸能      目獅子踊り        盛岡市手代森 澤目獅子踊り保存会
 18 民俗芸能     下永井獅子踊り      盛岡市永井 下永井獅子踊り保存会
 19 民俗芸能     都南太鼓         盛岡市三本柳 都南太鼓保存会
 20 民俗芸能     八ツ口神楽       盛岡市上太田八ツ口 八ツ口神楽

 21 民俗芸能    砂子沢高舘剣舞      盛岡市砂子沢 砂子沢高舘剣舞保存会
 22 民俗芸能    上砂子沢鹿踊       盛岡市砂子沢 上砂子沢鹿踊保存会
 23 民俗芸能    上飯岡念仏剣舞      盛岡市上飯岡 上飯岡念仏剣舞保存会
 24 民俗芸能    下久根さんさ踊り     盛岡市下飯岡 下久根さんさ踊り保存会
 25 民俗芸能    乙部さんさ踊り      盛岡市乙部 乙部さんさ踊り保存会
 26 民俗芸能    玉山神楽         盛岡市玉山字城内 玉山神楽保存会
 27 民俗芸能    日戸神楽         盛岡市日戸字姥懐 日戸神楽保存会
 28 民俗芸能    盛岡さんさ踊り      盛岡市内一円 盛岡さんさ踊り振興協議会
 29 民俗芸能    桑畑七ツ踊り       盛岡市巻堀字上桑畑 桑畑七ツ踊保存会
 30 民俗芸能    外山駒踊り        盛岡市薮川字外山 駒踊り保存会
 31 民俗芸能    藪川神楽         盛岡市薮川字外山 藪川神楽保存会
 32 民俗芸能    巻堀神楽         盛岡市巻堀字巻堀 巻堀神楽伝承会
 33 民俗芸能    松内神楽         盛岡市松内字松内 松内神楽保存会
 34 民俗芸能    下田田植踊        盛岡市下田字下田 下田田植踊保存会
 35 民俗芸能    釘ノ平念仏剣舞      盛岡市川又字釘ノ平 釘ノ平念仏剣舞保存会
 36 民俗芸能    澤目さんさ踊       盛岡市渋民字岩の沢 澤目さんさ踊保存会
 37 民俗芸能    外山節          盛岡市玉山地域 玉山民謡保存会
 38 民族芸能    山岸獅子踊        盛岡市山岸 山岸獅子踊保存会
   39民俗芸能     簗川高舘剣舞       盛岡市簗川 簗川高舘剣舞保存会
   40 民俗芸能    銭掛剣舞         盛岡市新庄字銭掛 銭掛剣舞保存会

   


盛岡市指定文化財(3)

2025年02月11日 | ぶらりぶらり

盛岡市指定文化財には有形文化財、無形文化財、民族文化財、記念物があります。今回は民族文化財です。民俗文化財には有形民俗文化財と無形民俗文化財があり、今回は有形民俗文化財です。

 

盛岡市指定民俗文化財


(1) 有形民俗文化財

(ⅰ) 川原町鉈屋町 丁印    明治橋際の御蔵所蔵   盛岡市南大通(御蔵の所在地)

 

丁印は盛岡八幡宮例大祭にあわせ神輿渡御行列に御供として奉納をはじめたといわれています。山車は飾りを毎年作り変えるのに対し、丁印は字のごとく「丁」(町)の印として、例年同じ屋台が飾られていました。丁印が例大祭に随行する形は明治期まで続きましたが、明治17年の大火により多くの町が丁印を失ったと伝えられており、市内に現存する丁印は、「川原町鉈屋町丁印」と、「鍛冶町紙町丁印(現紺屋町)」の2台だけです。江戸後期の文化9年(1812)に盛岡城下の「町」は「丁」の字を使い、23町から28丁となり、鉈屋丁も川原丁から分離して生まれています。

 

(ⅱ) 道標  六字名号塔             盛岡市山岸

 

山岸二丁目の阿弥陀堂跡にあった、この道標は六字名号塔で、中央に「南無阿弥陀仏」の六字を陰刻、その脇に建立年干支月日、両端に行先方向が記されています。建立年は、明和三丙戌天八月廿二日とあり、明和三(1766)丙戌(ひのえいぬ)年8月20で、行先方向は、右脇に「右米内道」とあり、右に行くと米内方向、左端には「左〇道」とあり、〇の部分が欠損しており、左の行先方向は、はっきりしません。盛岡市指定有形民俗文化財には、木津屋池野籐兵衛家住宅の火消道具などもあり、合わせて28件が指定されています。この28件を次に示します。

 

 盛岡市指定有形民俗文化財

   種 別    文 化 財 名          所 在 地
1 民俗文化財  川原町鉈屋町丁印     盛岡市南大通三丁目 下町史料館
2 民俗文化財  鍛冶町紙町丁印      盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
3 民俗文化財  田屋ほとけ        盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
4 民俗文化財  大宮神社の多賀神楽絵額  盛岡市本宮字大宮 大宮神社
5 民俗文化財  木津屋住宅の火消道具   盛岡市南大通二丁目
6 民俗文化財  道標・庚申供養塔     盛岡市東山二丁目3地内
7 民俗文化財  道標・六字名号塔     盛岡市東山二丁目3地内
8 民俗文化財  道標・庚申供養塔(寛延四辛未歳)   盛岡市簗川4地割飛鳥口
9 民俗文化財  道標・庚申供養塔(寛政十二年申)   盛岡市簗川4地割飛鳥口
10 民俗文化財  道標・六字名号塔          盛岡市山岸二丁目 
11 民俗文化財  道標・庚申供養塔          盛岡市上米内字赤坂地内
12 民俗文化財  道標・六字名号塔         盛岡市本宮三丁目
13 民俗文化財  道標・百万遍供養塔        盛岡市本宮三丁目
14 民俗文化財  道標・庚申供養塔         盛岡市上太田中屋敷
15 民俗文化財  道標(元禄拾貳年七月日)       盛岡市中太田深持 盛岡市太田民俗資料館
16 民俗文化財  道標・南無地蔵大菩薩供養塔    盛岡市繋湯ノ舘
17 民俗文化財  南無地蔵願王           盛岡市北山一丁目 東禅寺
18 民俗文化財  餓死亡霊供養塔          盛岡市天昌寺町 天昌寺
19 民俗文化財  餓死供養塔            盛岡市天昌寺町 天昌寺
20 民俗文化財  飢饉供養塔            盛岡市上太田字畑中地内
21 民俗文化財  餓死亡霊供養塔          盛岡市名須川町 東顕寺
22 民俗文化財  蓮華八角柱餓死供養塔       盛岡市名須川町 報恩寺
23 民俗文化財  餓死供養塔            盛岡市北夕顔瀬町
24 民俗文化財  餓死供養塔            盛岡市上米内字赤坂地内
25 民俗文化財  道標・庚申供養塔         盛岡市東山二丁目
26 民俗文化財  踏鞴(たたら)         盛岡市南大通一丁目
27 民俗文化財  オシラ神             盛岡市湯沢 都南歴史民俗資料館
28 民俗文化財  繋の板碑(石卒塔婆)         盛岡市繋字湯ノ館地内

 

 

 

 


盛岡市指定文化財(2)

2025年01月17日 | ぶらりぶらり

今冬の盛岡は積雪するほどの雪はありませんでしたが、今朝起きてみると10㎝ほどの雪が積もっており、夜中に除雪車が通ったようでした。

除雪車の出動は今冬初めてです。さて、

盛岡市に所在する文化財を掲載しております。これまでに、国指定・国認定・国登録・岩手県指定の文化財を載せてきました。前回は、盛岡市指定文化財有形文化財の中の(1)建造物を掲載しました。今回は、有形文化財の中の (2)歴史資料、(3)工芸、(4) 彫刻、(5)考古資料です。

 

盛岡市指定文化財

有形文化財

(2)歴史資料

(ⅰ) 住吉神社の石燈籠(4座4対) 8基       盛岡市住吉町

 

 

住吉神社は寛政7年(1795)5月20日、下厨川村から当所に遷座された神社で、石灯篭は、遷宮9年後の文化元年(1804)から8年かけて四座四対の計8基が奉献された。側面参道向き部分には「海上安全」の刻字があり、住吉信仰に基づく航海安全の祈願崇敬によって奉献されたものであることがわかる。願主は「大阪問屋中」とあり、盛岡城下の豪商近江屋・渋屋をはじめ、領内各地及び上方と広域な経済交易に関係した人々によって寄進奉納された。石灯篭はすべて花崗岩です。江戸時代後期の盛岡城下における経済流通史及び、地方文化の特徴を物語る貴重な石造記念物である、と案内板にあります。

 

(3)工芸

(ⅰ) 盛岡八幡宮の青銅燈籠 2基         盛岡市八幡町

 

 

この燈籠は、城下の町人達が盛岡八幡宮に奉納したもので、盛岡藩御用職人、藤田家五代目藤田善兵衛秀彭と弟、善蔵情有によって、文化九年(1812)に造られました。上部から宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎・基壇で構成され、青銅製の部分は三分割できるようになっています。竿は円形で蕨手状の反りのある稜線で六区分され、火袋に鳳凰・桐花文透・中台は左右一対で子・丑・寅等の十二支を鋳出し、基礎には牡丹・唐獅子・銘文を陽鋳しています。盛岡藩第十一代藩主南部利敬が八幡宮から「札の辻」(現在の岩手銀行中ノ橋支店付近)に移動させ、「八幡宮」の文字を削り取ってしまいましたが、その後、氏子達の尽力により境内に戻されました(掲示版)。

 

(ⅱ) 下ノ橋の青銅擬宝珠

 

 

慶長3年(1598)、南部利直が盛岡城普請に着手し、城下建設の一歩として城下中央を流れる清流中津川に、上ノ橋、中ノ橋、下ノ橋の三橋を架け、上ノ橋と中ノ橋に擬宝珠をとりつけました。このうち、中ノ橋は大正元年に洋式架橋され、擬宝珠は下ノ橋に移されました。下ノ橋の欄干につけられた青銅鋳物擬宝珠は盛岡市の指定有形文化財(工芸)に指定されました。なお、これらの擬宝珠は、南部家11代当主・南部遠江守政行が在京中に、加茂川の橋の擬宝珠を写すことの勅許を得て,領国三戸城熊原川の橋に取り付けたと
伝えられています。三戸の熊原川の橋に取り付けたものを、南部利直が、上ノ橋と中ノ橋に移したものです。

 

(4) 彫刻

(ⅰ) 石造地蔵菩薩坐像(大智田中地蔵尊)      盛岡市本町通 

 

 

この地蔵尊は、盛岡藩3代藩主・南部重信夫人於俊の方の菩提を弔うため、嫡子であった4代藩主・行信が元禄7年(1694)、荼毘跡(だびあと)の盛岡市名須川町・東禅寺の門前)に建立したものです。大智田中は於俊の方の戒名で、「大智院殿心月妙院大姉」から大智を、火葬地の地名から田中をとって名づけられました。現在地に連座されたのは大正元年で、四ツ家町の有志が旧藩主家の南部利淳に移転を願い承諾されました。遷座式は大正2年に行い、以来、安産や家内繁栄の守り地蔵として信仰されてきました。「田中の地蔵さん」、「四ツ家の地蔵さん」の愛称で親しまれています。

 

(ⅱ) 報恩寺の五百羅漢              盛岡市名須川町

 

 

仏像は、最初500像納められましたが、現在499像が現存しています。仏像は胎内銘から、享保16年(1731)から享保19年までの4年間に京都の大仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈を主班とした、9人の仏師によってすべて京都で作成されたことがわかります。仏像の台座はすべて箱形で、輸送に用いた箱を利用していることが、その裏側の文字により推定されるようです。羅漢堂は、享保20年8月の棟札があり、羅漢像の完成によって造営されたと考えられます。本堂はその後、「上棟相済云々」の銘板によると、嘉永3年(1850)から嘉永4年にかけて、地元の大工棟梁により改建されています

 

(5)考古資料

(ⅰ) 伏甕    遺跡の学び館所蔵      盛岡市本宮字荒屋

 

 

柿ノ木平遺跡は盛岡市浅岸に所在し、縄文時代中期の集落遺跡で、「伏甕」と呼ばれる縄文時代中期の深鉢形土器が多数発見された。伏甕(ふせがめ)とは、底部を穿孔または打ち欠きした深鉢形土器をさかさにし、竪穴住居の床面下に埋設したものです。中から赤ちゃんの骨が見つかることもあり、「死んだ赤ちゃんを入れて埋め、赤ちゃんをもどす」という信仰があったとか、「土器を大地の神に供えて、健康にくらせるように、と祈った」などの説があります。ここで出土された「伏甕」のうち、確実に竪穴住居内に埋設されていたことが確認できた20点が文化財に指定されました。

 

(ⅱ) 蕨手刀    遺跡の学び館所蔵      盛岡市本宮字荒屋

蕨手刀は、把頭の形が蕨状をしているので「蕨手刀」と名づけられたもので、古典的な名称ではありません。説明文には「この蕨手刀は、永林遺跡(大道西古墳)、現在の津志田字下永林から三本柳字代道西周辺(盛岡南消防署付近)の旧耕作地から、多くの礫とともに発見されたと伝えられ、古くは数基蝦夷の塚があったという伝承も残されている。しかし、その後、近くで実施された発掘調査では古墳の形跡や出土品は一切確認することができませんでした」と記載されています。盛岡市指定有形文化財89件を下記に示します。

 

なお、盛岡市指定無形文化財は諸賞流「和(やわら)」・無辺流「棒術」(古武道)1件があります。

 

  盛岡市指定有形文化財 

  種別    文 化 財 名     所 在 地
  1 建造物  報恩寺の羅漢堂  盛岡市名須川町 報恩寺
  2 建造物  彦御蔵  盛岡市内丸 盛岡城跡内
  3 建造物  石川啄木新婚の家  盛岡市中央通三丁目17-18
  4 建造物  御蔵  盛岡市南大通三丁目12-30
  5 建造物  旧渋民尋常小学校  盛岡市渋民字渋民 石川啄木記念館庭
  6 建造物  旧齊藤家  盛岡市渋民字渋民 石川啄木記念館庭
  7  建造物  原敬生家  盛岡市本宮四丁目 原敬記念館庭
  8 建造物  旧宇津野発電所  盛岡市川目9地割168-1
  9 彫刻  石造十六羅漢 五智如来  盛岡市茶畑二丁目1
10 彫刻  盛岡聖堂盛岡聖堂の孔子像  盛岡市東中野字日蔭山
11 彫刻  木造薬師如来立像  盛岡市内丸金剛珠院
12 彫刻  十一面観音 (生目観音立像)  盛岡市南大通三丁目 円光寺
13 彫刻  十王像  盛岡市大慈寺町 臨江庵
14 彫刻  子安延命地蔵菩薩坐像  盛岡市大慈寺町 長松院
15 彫刻  地蔵菩薩坐像  盛岡市大慈寺町 久昌寺
16 彫刻  十一面観音菩薩坐像  盛岡市名須川町 東顕寺
17 彫刻  大黒天立像  盛岡市名須川町 東顕寺
18 彫刻  木造阿弥陀如来坐像  盛岡市本町通一丁目 大泉寺
19 彫刻  木造十一面観音菩薩立像  盛岡市本町通一丁目 大泉寺
20 彫刻  木造阿弥陀如来坐像  盛岡市上田二丁目 正覚寺
21 彫刻  木造大日如来坐像  盛岡市上田二丁目 正覚寺
    
22 彫刻  木造聖観音立像  盛岡市上田二丁目 正覚寺
23 彫刻  木造阿弥陀如来立像  盛岡市名須川町 本誓寺
24 彫刻  木造親鸞聖人坐像  盛岡市名須川町 本誓寺
25 彫刻  木造聖徳太子立像  盛岡市名須川町 本誓寺
26 彫刻  木造阿弥陀如来立像  盛岡市北山一丁目 教浄寺
27 彫刻  木造一遍上人立像  盛岡市北山一丁目 教浄寺
28 彫刻  木造真教上人立像  盛岡市北山一丁目 教浄寺
29 彫刻  木造両界大日如来坐像  盛岡市内丸 金剛珠院
30 彫刻  木造十一面観音立像  盛岡市大慈寺町 大慈寺
31 彫刻  木造地蔵菩薩坐像  盛岡市材木町 永祥院
32 彫刻  石造地蔵菩薩坐像(田中地蔵尊)  盛岡市本町通二丁目15 
33 彫刻  木造釈迦如来坐像  盛岡市名須川町 清養院
34 彫刻  伝木造聖観世音菩薩立像  盛岡市天昌寺町 天昌寺
35 彫刻  報恩寺の五百羅漢  盛岡市名須川町 報恩寺
36 彫刻  教浄寺の阿弥陀如来立像  盛岡市北山一丁目 教浄寺
37  彫刻  愛染明王像  盛岡市内丸  もりおか歴史文化館
38 彫刻  阿弥陀如来立像  盛岡市名須川町 光台寺
39 彫刻  木造阿弥陀如来立像  盛岡市名須川町 吉祥寺
40 彫刻  木造阿弥陀如来立像  盛岡市鉈屋町 千手院
41 彫刻  山谷川目菩薩立像  盛岡市玉山字中里
42 彫刻  川又不動明王立像  盛岡市川又字赤坂
43 工芸 短刀 銘 道暁(中嶋源蔵所用)  盛岡市八幡町 岩手護国神社
44 工芸 短刀 銘 浪花月山源貞一造  盛岡市八幡町 岩手護国神社
45 工芸 短刀 銘 兼房  盛岡市八幡町 岩手護国神社
46 工芸  青銅燈籠  盛岡市八幡町  盛岡八幡宮
47 工芸  本小札紺糸毛引威二枚胴具足  盛岡市八幡町 盛岡八幡宮
48 工芸  獅子頭  盛岡市八幡町 盛岡八幡宮
49 工芸  青銅擬宝珠  盛岡市中津川下ノ橋
50 工芸  恩流寺の半鐘  盛岡市愛宕町 恩流寺
51 工芸  教浄寺の半鐘  盛岡市北山一丁目 教浄寺
52 工芸  マリア観音像  盛岡市北山一丁目 聖寿禅寺
53 工芸  正平革包五枚胴具足兜・頬当など  盛岡市愛宕町 櫻山神社
54 工芸  青銅製半鐘  盛岡市名須川町 吉祥寺
55 工芸  鋳銅製半鐘  盛岡市上飯岡15地割 長善寺
56 工芸  太刀 銘 備州長船貞家  盛岡市上太田下法丁
57 工芸  刀 銘 新藤二郎源義國  盛岡市上太田下法丁
58 工芸  大宮神社の鰐口  盛岡市本宮字大宮 大宮神社
59 工芸  彫金亀遊釘隠  盛岡市紺屋町
60 工芸  本小札沢潟裾紅糸毛引威二枚胴具足  盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
61 工芸  老松釜 四代小泉仁左衛門作  盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
62 工芸  尻張釜 閑事庵四代小泉仁左衛門作  盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
63 工芸  文鎮 松橋宗明作  盛岡市本宮字松幅 岩手県立美術館
64 工芸  報恩寺の梵鐘  盛岡市名須川町 報恩寺
65 工芸  諏訪神社の鰐口 盛岡市上鹿妻朴 盛岡市上鹿妻朴
66 絵画  紙本着色如意輪観世音菩薩像  盛岡市名須川町 吉祥寺
67 絵画  紙本着色十一面観音立像  盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会

68 絵画  紙本着色涅槃図  盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
69 絵画  紙本着色如来荒神曼荼羅  盛岡市内丸 金剛珠院
70 絵画  出山釈迦図  盛岡市北山一丁目 源勝寺
71 絵画  六曲一双盛岡城下絵屏風  盛岡市名須川町 光台寺
72 絵画  「十六羅漢図」及び「所記次第」  盛岡市大慈寺町 永泉寺
73 絵画  紙本着色阿弥陀三尊来迎図屏風  盛岡市本町通一丁目 大泉寺
74 絵画  絹本着色蓮華図  盛岡市北山一丁目 源勝寺
75 絵画  紙本着色山水図  盛岡市北山一丁目 法華寺
76 書籍  納札  盛岡市北山一丁目 教浄寺
77 歴史資料  大国神社献額  盛岡市津志田中央一丁目 大国神社
78 歴史資料  藩校作人舘扁額  盛岡市本町通 盛岡市立仁王小学校
79 歴史資料  納札  盛岡市北山一丁目 教浄寺
80 歴史資料  寺實矩格 横川良助編  盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
81 歴史資料  寺實矩格増補 大慈寺十世宗光編  盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
82 歴史資料  住吉神社の石燈籠  盛岡市住吉町 住吉神社
83 歴史資料  金刀毘羅神社の石燈籠  盛岡市三ツ割 金刀毘羅神社
84 歴史資料  山蔭焼絵馬 盛岡市新庄町 盛岡菅公会
85 考古資料  一方井家所蔵自光坊修験関係資料  盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
86 考古資料  蕨手刀  盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館
87 考古資料  南部重直墓所甕棺出土品  盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館
88 考古資料  柿ノ木平遺跡出土伏甕  盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館
89 工芸彫刻絵画  聖天像及び聖天画像  盛岡市下米内二丁目 永福寺

 

 

 

 

 

 


新年

2025年01月01日 | ぶらりぶらり

新年おめでとうございます。今年も頑張りましょう。盛岡の元日の朝は晴れて風無しでした。

 

 

何となく

今年はよい事あるごとし

元旦の朝晴れて風無し

      啄木


盛岡市指定文化財(1)

2024年12月31日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財を掲載しております。これまでに、国指定・国認定・国登録・岩手県指定の文化財を載せてきました。今回は盛岡市指定文化財です。盛岡市指定文化財には、有形文化財、無形文化財、民俗文化財、この他、記念物があります。今回は有形文化財の (1)建造物です。

 

盛岡市指定文化財

有形文化財

(1)建造物

(ⅰ)  彦御蔵                 盛岡市内丸(盛岡城跡内)

 

 

盛岡市では、市内に残されている数多くの文化財のうち、貴重なものを守り伝えるため、文化財指定を行っています。盛岡市指定有形文化財は8件あります。彦御蔵は旧盛岡城の土蔵です。平成元年3月までは、現在地から西に100メートルほど離れたところにありましたが、現在の位置へ曳家されました。建築年代は建物地下の発掘調査成果などから、江戸時代後期と考えられますが、詳細な建築年は不明です。木造2階建(土蔵造り)で、外壁は漆喰塗り仕上げになっています。この土蔵は、盛岡城の建造物として、城内に残っている唯一の建造物です。

 

(ⅱ)  明治橋際の御蔵                盛岡市南大通

 

御蔵は江戸時代後期に盛岡藩によって建てられた建物です。当時この付近は新山河岸と呼ばれ北上川舟運の拠点の1つとして藩でも重要視されていました。新山河岸は御蔵の他、番所や舟宿が軒を連ね、奥州街道も通っていた事から、多くの人や物資が行き交う活気のある地域でした。御蔵は土蔵、平屋建て、切妻平入り、瓦葺の建物で、高床や屋根に断熱層があるなど、湿気や温度に対応出来る工夫がされています。現在は「下町史料館」として一般公開され様々な資料が展示されています。

 

(ⅲ)  旧渋民尋常小学校 校舎               盛岡市渋民(石川啄木記念館中庭)

 

旧渋民尋常小学校校舎は啄木記念館の中庭に保存されています。石川啄木が少年期に学び、後に「日本一の代用教員」を目指して教壇に立った学び舎です。旧渋民尋常小学校は、明治17年、旧渋民村の愛宕神杜わきに建設されました。その後、大正2年に渋民小学校松内分校として移転し、昭和31年には統合によって好摩小学校の分校となりましたが、昭和38年に廃校となりました。廃校後は、松内地区公民館として地元住民に利用されたものの、解体されることになりましたが、住民や啄木研究家などの運動によって昭和43年、石川啄木記念館の中庭に移転復元されました。

 

(ⅳ)  啄木新婚の家                   盛岡市中央通

 

啄木は、明治38年5月、東京で処女詩集「あこがれ」を出版し、金策の必要から途中仙台に下車して友人と遊び、滞在すること10日におよびました。盛岡市帷子小路の借家には月末の30日に結婚式を挙げるべく婚約者の掘合節子がその帰宅を待ちわびていました。しかし、啄木は遂に姿を見せることなく、花婿のいない結婚式がこの家でおこなわれました。仙台を発った啄木は盛岡駅を素通りして渋民に行き、この家に顔を見せたのが6月4日で、はじめて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃いました。しかし、啄木一家がここにいたのは3週間で、6月25日には中津川のほとり加賀野磧町に転居しました。啄木が3週間過ごしたこの家は「啄木新婚の家」として、昭和59年7月1日、盛岡市指定文化財に指定されました。

 

(ⅴ)  原敬 生家                盛岡市本宮 

 

原敬生家は、茅葺屋根の木造平屋建てで一部2階建の住宅でしたが、祖父の時代に、当時の間取りに不便を感じ、改築され、現在は居間の直記の間、次の間、隅の間、女中部屋など当時の5分の1が残っています。武家屋敷らしく、長押には、鶴貝の彫刻の金具を釘隠しに使用しており、内部は非常に質素な作りで、天井も普通の竿ぶちで、構造的な特徴はありません。庭園に池もあり、風格がありますが、住宅から眺めるのに縁側もありません。原敬は安政3年(1856) に、この家で生まれ明治4年、15歳で上京するまで、この家で生活し、少年期を形成しました。

 

(ⅵ)  報恩寺羅漢堂                盛岡市名須川町

 

羅漢堂の仏像は、報恩寺第17世曇樹和尚が大願主として施入したもので、羅漢は最初500像納められましたが、現在は499像が保存されています。仏像は胎内銘によると、享保16年(1731)から享保19年の4年間に京都の大仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈ら9人の仏師によって京都で作成されたことがわかります。羅漢堂は、享保20年8月の棟札があり、羅漢像の完成によって造営されたと考えられています。本堂はその後、「上棟相済云々」の銘板によると嘉永3年(1850)8月から嘉永4年7月にかけて、地元の大工棟梁戸沢甚助以下20余名により改建されています。なお、五百羅漢は昭和41年10月、盛岡市指定有形文化財(彫刻)に指定されました。

 

(ⅶ)  旧斎藤家住宅                 盛岡市渋民(石川啄木記念館中庭)

 

斉藤家住宅は江戸時代末期、奥州道中に建てられた町屋で、建物構造は、木造一部二階建ての妻入り直屋で、屋根は兜形に軒先を切り落とした寄せ棟となっています。建物規模は、間口三間半、奥行き八間半と細長く1階の片側に表から裏にぬける一間幅の通り土間を設けています。部屋の配置は、表側から床の間のついた座敷、常居、納戸、台所、一番奥には馬屋があり、表側の二階部分には十畳の板の間を設け、表側に張り出した縁は格子戸をはずして使いました。啄木が、明治39年3月から約1年間、渋民尋常小学校代用教員時代に家族とともに間借りしていた建物であることから、昭和45年に石川啄木記念館中庭に移築保存されました。小説「雲は天才である」・「葬列」などの作品はこの家で生まれました。盛岡市指定文化財の建造物は、この他、旧宇津野発電所もあり、上記7件とあわせて8件になります。

 

 


盛岡市所在文化財(16)

2024年12月08日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財を載せています。これまでは、国指定の、有形文化財、民族文化財、記念物、国認定文化財・重要美術品,、国登録文化財を、つづいて岩手県指定文化財を載せています。岩手県指定文化財には有形文化財(建造物、工芸、考古資料)、無形文化財民俗文化財記念物があり、これまで有形文化財、無形文化財、民俗文化財を載せましたので、今回は記念物です。記念物には史跡と天然記念物の2つがあります。

 

岩手県指定記念物

(1) 史 跡

(ⅰ) 上田一里塚                盛岡市緑が丘

 

 

奥州街道に沿う上田一里塚です。奥州街道は、江戸時代に整備された五街道の一つです。明治時代になると、明治9年と明治14年に、明治天皇が東北地方を巡幸されました。その際、馬車の通行を容易にするため奥州街道の道幅は2間(約3.6メートル)に拡幅されました。しかし、明治17年から始まった国道整備では、多くの区間で奥州街道と異なるルートで整備されましたが、古道が今日まで残っています。この他、小野松一里塚や宮古街道の川目地区にある「高畑一里塚」、大館町遺跡など、あわせて9件が岩手県指定記念物の史跡に指定されています。

 

岩手県指定記念物(史跡)

   種別     文化財     所 在 地
  1  史跡  上田一里塚  盛岡市緑が丘四丁目74-5
  2 史跡  小野松一里塚  盛岡市小鳥沢・松屋敷
  3 史跡  末崎川一里塚  盛岡市薮川字末崎川
  4 史跡  毘沙門堂平一里塚  盛岡市薮川字逆川
  5 史跡  塚の沢一里塚 盛岡市薮川字外山
  6 史跡  大橋一里塚  盛岡市薮川字亀橋
  7 史跡  新塚一里塚  盛岡市芋田字上芋田
  8 史跡  高畑一里塚  盛岡市川目3地割11-3
  9 史跡  大館町遺跡  盛岡市大新町10-11

 

(2) 天然記念物

(ⅰ) 山岸のカキツバタ群落           盛岡市山岸字大平

 

 

例年5月下旬から6月上旬が見頃になります。カキツバタは、ハナショウブ、イチハツ、アヤメとともに、アヤメ科の多年生草木で、このうち最も気品に満ち、美しいとされています。全国的に分布していますが、「山岸のカキツバタ群落」は数少ない単純群落の良い例として貴重なものです。盛岡は、江戸時代からカキツバタ原産地の一つとして有名であったと言われ、昭和46年には盛岡市のシンボルとして「市の花」にカキツバタが選ばれています。この他、玉山のシダレアカマツも指定されており、天然記念物は2件が指定されています。

 

   岩手県指定記念物(天然記念物)

         種別                文化財            所 在 地
  1 天然記念物  山岸のカキツバタ群落  盛岡市山岸字大平12
  2 天然記念物  玉山のシダレアカマツ  盛岡市玉山字祝の沢

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(15)

2024年11月27日 | ぶらりぶらり

これまでは、国指定の、有形文化財、民族文化財、記念物、国認定文化財・重要美術品,、国登録文化財を、つづいて岩手県指定文化財を載せています。岩手県指定文化財には有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物があります。有形文化財として建造物、工芸、考古資料を載せ、前回は無形文化財をのせました。 今回は、 民俗文化財です。民族文化財には、 有形民族文化財 、無形民族文化財があります。

 

岩手県指定民俗文化財

1. 有形民族文化財

(1)南部絵暦  盛岡暦 版木  金澤コレクション   岩手県立博物館所蔵

 

      

 

南部絵暦・盛岡暦版木・金澤コレクションは文字の読み書きができない人でも理解できるように、文字を使わず絵だけで表現した暦です。 図柄を1枚の版木に彫り、一枚刷りしたものです。 写真の暦は、右半分が暦で、左半分は年齢早見表になっています。 これらの暦のうち、嘉永6年(1853)から明治3年(1870)までの14枚について、一部欠落はありますが連続性が認められ、盛岡暦の変遷を理解する上で貴重な資料として、有形民俗文化財に指定されました。 なお、岩手県指定民俗文化財の 有形民族文化財は次の通り8件あります。

 

 岩手県指定有形民族文化財 

  種 別      文 化 財            所 在 地
1 民族文化財  南部絵暦 盛岡暦版木         岩手県立博物館
2 民族文化財  南部絵暦 天明三年田山暦       岩手県立博物館
3 民族文化財  南部絵暦 天保十三年盛岡暦      岩手県立博物館
4 民族文化財  雫石地域の野良着           岩手県立博物館
5 民族文化財  玉山地域の野良着          岩手県立博物館
6 民族文化財  南部絵暦 盛岡暦 金澤コレクション  岩手県立博物館
7 民族文化財  紫根染 八重樫家関係資料       岩手県立博物館
8 民族文化財  盛岡藩操座元鈴江四郎兵衛関係資料   岩手県立博物館

 

 

2. 無形民族文化財

 (1) さんさ踊り  盛岡市(写真は黒川さんさ踊り)

 

    

 

お盆の時期には、各地で盆踊りが踊られていました。 盛岡で踊られていたのが「さんさ踊り」です。 さんさ踊りの発祥としては,盛岡市名須川町の三ツ石神社にまつわる「三ツ石伝説」に由来します。 昔、人々を苦しめていた鬼が三ツ石の神様によって退治され、降参の印に手形を石に残して去ったとき、喜んだ人々が三ツ石のまわりで「さんさ、さんさ」と踊り囃したのが、さんさ踊りの始まりと伝えられています。 現在も、市内各地に歴史と個性を持った「さんさ踊り」が大切に伝承されています。県指定の「さんさ踊り」は、盛岡市の黒川・三本柳・大宮・山岸のさんさ踊り4点で1件の指定です。 なお、写真は「黒川さんさ踊」りです。

 

(2) 大宮神楽                  盛岡市本宮
        

    

 

大宮神楽は盛岡市本宮に鎮座する大宮神社の奉納神楽で、地域住民の信仰の対象として崇敬され、氏子の地域は現在も本宮・向中野・下鹿妻で、広範囲に信仰を集めています。 来歴は、現在の鈴木宮司家の祖先により神楽が創始・奉納されたと伝えられており、神楽は「大宮神社鈴木家の神楽」と認識され、その後も代々鈴木家が庭元となり、その血族により引き継がれ守られてきました。 大宮神社に対する地域住民の信仰は篤く、戦後舞手が不足してからは神社周辺の住民が加わり神楽を守ってきており、神楽を通して信仰を基盤とした大宮神社と地域住民の繋がりをみることが出来ます。 なお、岩手県指定民俗文化財の 無形民族文化財は次の通り4件あります。

 

 岩手県指定無形民族文化財

    種 別       文 化 財               保存団体
1  民俗芸能      上鹿妻念仏剣舞         上鹿妻念仏剣舞保存会
2  民俗芸能      さんさ踊り                    三本柳・大宮・山岸 さんさ踊り保存会、黒川参差踊連中(4団体) 
3  民俗芸能      大宮神楽            大宮神楽保存会
4  無形民俗文化財   盛岡八幡宮祭りの山車行事     盛岡山車推進会