今冬の盛岡は積雪するほどの雪はありませんでしたが、今朝起きてみると10㎝ほどの雪が積もっており、夜中に除雪車が通ったようでした。
除雪車の出動は今冬初めてです。さて、
盛岡市に所在する文化財を掲載しております。これまでに、国指定・国認定・国登録・岩手県指定の文化財を載せてきました。前回は、盛岡市指定文化財の有形文化財の中の(1)建造物を掲載しました。今回は、有形文化財の中の (2)歴史資料、(3)工芸、(4) 彫刻、(5)考古資料です。
盛岡市指定文化財
有形文化財
(2)歴史資料
(ⅰ) 住吉神社の石燈籠(4座4対) 8基 盛岡市住吉町

住吉神社は寛政7年(1795)5月20日、下厨川村から当所に遷座された神社で、石灯篭は、遷宮9年後の文化元年(1804)から8年かけて四座四対の計8基が奉献された。側面参道向き部分には「海上安全」の刻字があり、住吉信仰に基づく航海安全の祈願崇敬によって奉献されたものであることがわかる。願主は「大阪問屋中」とあり、盛岡城下の豪商近江屋・渋屋をはじめ、領内各地及び上方と広域な経済交易に関係した人々によって寄進奉納された。石灯篭はすべて花崗岩です。江戸時代後期の盛岡城下における経済流通史及び、地方文化の特徴を物語る貴重な石造記念物である、と案内板にあります。
(3)工芸
(ⅰ) 盛岡八幡宮の青銅燈籠 2基 盛岡市八幡町

この燈籠は、城下の町人達が盛岡八幡宮に奉納したもので、盛岡藩御用職人、藤田家五代目藤田善兵衛秀彭と弟、善蔵情有によって、文化九年(1812)に造られました。上部から宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎・基壇で構成され、青銅製の部分は三分割できるようになっています。竿は円形で蕨手状の反りのある稜線で六区分され、火袋に鳳凰・桐花文透・中台は左右一対で子・丑・寅等の十二支を鋳出し、基礎には牡丹・唐獅子・銘文を陽鋳しています。盛岡藩第十一代藩主南部利敬が八幡宮から「札の辻」(現在の岩手銀行中ノ橋支店付近)に移動させ、「八幡宮」の文字を削り取ってしまいましたが、その後、氏子達の尽力により境内に戻されました(掲示版)。
(ⅱ) 下ノ橋の青銅擬宝珠

慶長3年(1598)、南部利直が盛岡城普請に着手し、城下建設の一歩として城下中央を流れる清流中津川に、上ノ橋、中ノ橋、下ノ橋の三橋を架け、上ノ橋と中ノ橋に擬宝珠をとりつけました。このうち、中ノ橋は大正元年に洋式架橋され、擬宝珠は下ノ橋に移されました。下ノ橋の欄干につけられた青銅鋳物擬宝珠は盛岡市の指定有形文化財(工芸)に指定されました。なお、これらの擬宝珠は、南部家11代当主・南部遠江守政行が在京中に、加茂川の橋の擬宝珠を写すことの勅許を得て,領国三戸城熊原川の橋に取り付けたと
伝えられています。三戸の熊原川の橋に取り付けたものを、南部利直が、上ノ橋と中ノ橋に移したものです。
(4) 彫刻
(ⅰ) 石造地蔵菩薩坐像(大智田中地蔵尊) 盛岡市本町通

この地蔵尊は、盛岡藩3代藩主・南部重信夫人於俊の方の菩提を弔うため、嫡子であった4代藩主・行信が元禄7年(1694)、荼毘跡(だびあと)の盛岡市名須川町・東禅寺の門前)に建立したものです。大智田中は於俊の方の戒名で、「大智院殿心月妙院大姉」から大智を、火葬地の地名から田中をとって名づけられました。現在地に連座されたのは大正元年で、四ツ家町の有志が旧藩主家の南部利淳に移転を願い承諾されました。遷座式は大正2年に行い、以来、安産や家内繁栄の守り地蔵として信仰されてきました。「田中の地蔵さん」、「四ツ家の地蔵さん」の愛称で親しまれています。
(ⅱ) 報恩寺の五百羅漢 盛岡市名須川町

仏像は、最初500像納められましたが、現在499像が現存しています。仏像は胎内銘から、享保16年(1731)から享保19年までの4年間に京都の大仏師法橋宗而重賢、駒野定英珍盈を主班とした、9人の仏師によってすべて京都で作成されたことがわかります。仏像の台座はすべて箱形で、輸送に用いた箱を利用していることが、その裏側の文字により推定されるようです。羅漢堂は、享保20年8月の棟札があり、羅漢像の完成によって造営されたと考えられます。本堂はその後、「上棟相済云々」の銘板によると、嘉永3年(1850)から嘉永4年にかけて、地元の大工棟梁により改建されています
(5)考古資料
(ⅰ) 伏甕 遺跡の学び館所蔵 盛岡市本宮字荒屋

柿ノ木平遺跡は盛岡市浅岸に所在し、縄文時代中期の集落遺跡で、「伏甕」と呼ばれる縄文時代中期の深鉢形土器が多数発見された。伏甕(ふせがめ)とは、底部を穿孔または打ち欠きした深鉢形土器をさかさにし、竪穴住居の床面下に埋設したものです。中から赤ちゃんの骨が見つかることもあり、「死んだ赤ちゃんを入れて埋め、赤ちゃんをもどす」という信仰があったとか、「土器を大地の神に供えて、健康にくらせるように、と祈った」などの説があります。ここで出土された「伏甕」のうち、確実に竪穴住居内に埋設されていたことが確認できた20点が文化財に指定されました。
(ⅱ) 蕨手刀 遺跡の学び館所蔵 盛岡市本宮字荒屋

蕨手刀は、把頭の形が蕨状をしているので「蕨手刀」と名づけられたもので、古典的な名称ではありません。説明文には「この蕨手刀は、永林遺跡(大道西古墳)、現在の津志田字下永林から三本柳字代道西周辺(盛岡南消防署付近)の旧耕作地から、多くの礫とともに発見されたと伝えられ、古くは数基蝦夷の塚があったという伝承も残されている。しかし、その後、近くで実施された発掘調査では古墳の形跡や出土品は一切確認することができませんでした」と記載されています。盛岡市指定有形文化財89件を下記に示します。
なお、盛岡市指定無形文化財は諸賞流「和(やわら)」・無辺流「棒術」(古武道)1件があります。
盛岡市指定有形文化財
種別 文 化 財 名 所 在 地
1 建造物 報恩寺の羅漢堂 盛岡市名須川町 報恩寺
2 建造物 彦御蔵 盛岡市内丸 盛岡城跡内
3 建造物 石川啄木新婚の家 盛岡市中央通三丁目17-18
4 建造物 御蔵 盛岡市南大通三丁目12-30
5 建造物 旧渋民尋常小学校 盛岡市渋民字渋民 石川啄木記念館庭
6 建造物 旧齊藤家 盛岡市渋民字渋民 石川啄木記念館庭
7 建造物 原敬生家 盛岡市本宮四丁目 原敬記念館庭
8 建造物 旧宇津野発電所 盛岡市川目9地割168-1
9 彫刻 石造十六羅漢 五智如来 盛岡市茶畑二丁目1
10 彫刻 盛岡聖堂盛岡聖堂の孔子像 盛岡市東中野字日蔭山
11 彫刻 木造薬師如来立像 盛岡市内丸金剛珠院
12 彫刻 十一面観音 (生目観音立像) 盛岡市南大通三丁目 円光寺
13 彫刻 十王像 盛岡市大慈寺町 臨江庵
14 彫刻 子安延命地蔵菩薩坐像 盛岡市大慈寺町 長松院
15 彫刻 地蔵菩薩坐像 盛岡市大慈寺町 久昌寺
16 彫刻 十一面観音菩薩坐像 盛岡市名須川町 東顕寺
17 彫刻 大黒天立像 盛岡市名須川町 東顕寺
18 彫刻 木造阿弥陀如来坐像 盛岡市本町通一丁目 大泉寺
19 彫刻 木造十一面観音菩薩立像 盛岡市本町通一丁目 大泉寺
20 彫刻 木造阿弥陀如来坐像 盛岡市上田二丁目 正覚寺
21 彫刻 木造大日如来坐像 盛岡市上田二丁目 正覚寺
22 彫刻 木造聖観音立像 盛岡市上田二丁目 正覚寺
23 彫刻 木造阿弥陀如来立像 盛岡市名須川町 本誓寺
24 彫刻 木造親鸞聖人坐像 盛岡市名須川町 本誓寺
25 彫刻 木造聖徳太子立像 盛岡市名須川町 本誓寺
26 彫刻 木造阿弥陀如来立像 盛岡市北山一丁目 教浄寺
27 彫刻 木造一遍上人立像 盛岡市北山一丁目 教浄寺
28 彫刻 木造真教上人立像 盛岡市北山一丁目 教浄寺
29 彫刻 木造両界大日如来坐像 盛岡市内丸 金剛珠院
30 彫刻 木造十一面観音立像 盛岡市大慈寺町 大慈寺
31 彫刻 木造地蔵菩薩坐像 盛岡市材木町 永祥院
32 彫刻 石造地蔵菩薩坐像(田中地蔵尊) 盛岡市本町通二丁目15
33 彫刻 木造釈迦如来坐像 盛岡市名須川町 清養院
34 彫刻 伝木造聖観世音菩薩立像 盛岡市天昌寺町 天昌寺
35 彫刻 報恩寺の五百羅漢 盛岡市名須川町 報恩寺
36 彫刻 教浄寺の阿弥陀如来立像 盛岡市北山一丁目 教浄寺
37 彫刻 愛染明王像 盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
38 彫刻 阿弥陀如来立像 盛岡市名須川町 光台寺
39 彫刻 木造阿弥陀如来立像 盛岡市名須川町 吉祥寺
40 彫刻 木造阿弥陀如来立像 盛岡市鉈屋町 千手院
41 彫刻 山谷川目菩薩立像 盛岡市玉山字中里
42 彫刻 川又不動明王立像 盛岡市川又字赤坂
43 工芸 短刀 銘 道暁(中嶋源蔵所用) 盛岡市八幡町 岩手護国神社
44 工芸 短刀 銘 浪花月山源貞一造 盛岡市八幡町 岩手護国神社
45 工芸 短刀 銘 兼房 盛岡市八幡町 岩手護国神社
46 工芸 青銅燈籠 盛岡市八幡町 盛岡八幡宮
47 工芸 本小札紺糸毛引威二枚胴具足 盛岡市八幡町 盛岡八幡宮
48 工芸 獅子頭 盛岡市八幡町 盛岡八幡宮
49 工芸 青銅擬宝珠 盛岡市中津川下ノ橋
50 工芸 恩流寺の半鐘 盛岡市愛宕町 恩流寺
51 工芸 教浄寺の半鐘 盛岡市北山一丁目 教浄寺
52 工芸 マリア観音像 盛岡市北山一丁目 聖寿禅寺
53 工芸 正平革包五枚胴具足兜・頬当など 盛岡市愛宕町 櫻山神社
54 工芸 青銅製半鐘 盛岡市名須川町 吉祥寺
55 工芸 鋳銅製半鐘 盛岡市上飯岡15地割 長善寺
56 工芸 太刀 銘 備州長船貞家 盛岡市上太田下法丁
57 工芸 刀 銘 新藤二郎源義國 盛岡市上太田下法丁
58 工芸 大宮神社の鰐口 盛岡市本宮字大宮 大宮神社
59 工芸 彫金亀遊釘隠 盛岡市紺屋町
60 工芸 本小札沢潟裾紅糸毛引威二枚胴具足 盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
61 工芸 老松釜 四代小泉仁左衛門作 盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
62 工芸 尻張釜 閑事庵四代小泉仁左衛門作 盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
63 工芸 文鎮 松橋宗明作 盛岡市本宮字松幅 岩手県立美術館
64 工芸 報恩寺の梵鐘 盛岡市名須川町 報恩寺
65 工芸 諏訪神社の鰐口 盛岡市上鹿妻朴 盛岡市上鹿妻朴
66 絵画 紙本着色如意輪観世音菩薩像 盛岡市名須川町 吉祥寺
67 絵画 紙本着色十一面観音立像 盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
68 絵画 紙本着色涅槃図 盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
69 絵画 紙本着色如来荒神曼荼羅 盛岡市内丸 金剛珠院
70 絵画 出山釈迦図 盛岡市北山一丁目 源勝寺
71 絵画 六曲一双盛岡城下絵屏風 盛岡市名須川町 光台寺
72 絵画 「十六羅漢図」及び「所記次第」 盛岡市大慈寺町 永泉寺
73 絵画 紙本着色阿弥陀三尊来迎図屏風 盛岡市本町通一丁目 大泉寺
74 絵画 絹本着色蓮華図 盛岡市北山一丁目 源勝寺
75 絵画 紙本着色山水図 盛岡市北山一丁目 法華寺
76 書籍 納札 盛岡市北山一丁目 教浄寺
77 歴史資料 大国神社献額 盛岡市津志田中央一丁目 大国神社
78 歴史資料 藩校作人舘扁額 盛岡市本町通 盛岡市立仁王小学校
79 歴史資料 納札 盛岡市北山一丁目 教浄寺
80 歴史資料 寺實矩格 横川良助編 盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
81 歴史資料 寺實矩格増補 大慈寺十世宗光編 盛岡市大慈寺町 財団法人大慈会
82 歴史資料 住吉神社の石燈籠 盛岡市住吉町 住吉神社
83 歴史資料 金刀毘羅神社の石燈籠 盛岡市三ツ割 金刀毘羅神社
84 歴史資料 山蔭焼絵馬 盛岡市新庄町 盛岡菅公会
85 考古資料 一方井家所蔵自光坊修験関係資料 盛岡市内丸 もりおか歴史文化館
86 考古資料 蕨手刀 盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館
87 考古資料 南部重直墓所甕棺出土品 盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館
88 考古資料 柿ノ木平遺跡出土伏甕 盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館
89 工芸彫刻絵画 聖天像及び聖天画像 盛岡市下米内二丁目 永福寺