(34)天満宮「孤像」の歌碑(盛岡市新庄) 平成4年7月建立(『閑天地(岩手日報)』より)

「孤像」の歌碑
啄 木
苑古き
木の間に立てる石馬の
背をわが肩の月の影かな
この歌は啄木が岩手日報に連載した『閑天地』の『十一夜会の記』(明治38年7月18日)にあります。天満宮の境内に平成4年に狐像一対が建立され、それぞれの台座に短歌と建立由来が記載ざれています。啄木は岩手日報には明治34年12月3日に、「石川翠江」の著名で歌6首を投稿して以来多くの歌を発表しています。
『閑天地』には明治38年6月9日から7月18日までに21回投稿しており、その中には「落人ごころ」、「世の教育者よ」、「権威は勝利者の手にあり」、「我が四畳半」、「十一夜会の記」などがあり、「十一夜会の記」では歌2首を詠んでおり、もう1首は次の歌です。
「舟がゝりほとゝぎす待つ夜の江や帆もつくろひぬ篝(かがり)の影に」
啄木は岩手日報には明治35年1月1日までは「翠江」のペンネームを用い、明治37年1月10日以後は「啄木」を用いています。なお、石川一(啄木)がペンネームに「啄木」を初めて用いたのは長詩『愁調』を『明星』に発表した明治36年12月のようです。『明星』には明治35年10月号から明治41年11月号(終刊号)まで数多くの歌を発表しています。

明星終刊号
啄木は明星終刊号に52首詠んでおり、次の歌もあります。
「ふるさとの山を思へば一茎の草の香さへも親しまれつつ」
「恋ふらくは竈(かまど)のなかに渦巻ける煙よりけに胸の苦しき」
天満宮には階段を上っていきますが、階段を上るのが大変な方は裏側に駐車場もありますので、そちらを利用すると良いと思います。

盛岡天満宮入口
階段の上から見るとまっすぐな道路が10kmほど続き四十四田ダムまで続いています。途中、中津川に架かる「上の橋」、JR山田線の陸橋を通り、岩手大学、盛岡第一高校一校脇を通過、国道4号盛岡バイパスを横切り盛岡第三高校前、松園バスターミナル前を通り過ぎ四十四田ダムに着きます。なお、県立博物館は松園バスターミナルから歩いて10分ほどです。盛岡駅から松園バスターミナル行き(経由)バスが数多くの本数で出ています。

天満宮の階段の上から
今朝の岩手山の頂上にはワシ形が現れていました。

岩手山頂上のワシ形(2018.3.28)

岩手山頂上(2018.3.24)

岩手山頂上のワシ形(2018.3.18)





















高松の池(2018.3.17)
飛び立つ白鳥
飛び立つ白鳥





















