たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

彫刻のまち盛岡(31)

2021年03月31日 | ぶらりぶらり

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。今回は岩手大学農学部構内にある作品です。

 

岩手大学は昭和24年に設置されています。現在、農学部、理工学部、教育学部、人文社会科学部の4つの学部を持つ大学です。人文社会科学部は以前、教養部でしたが昭和52年に改組されて人文社会科学部になっています。教育学部は昭和41年学芸学部が改称された学部です。理工学部は平成21年に工学部が改組された学部です。

 

 ① 賢治像   藁谷収   岩手大学構内





 

賢治像は盛岡彫刻シンポジウム作品でない、かも知れません。岩手大学農業資料館の前にたっています。



 

 

② 子供の王国   浪岡奈津子   




 

③ 霜華   渡辺忍   


 


④ 褶曲 '94   高橋典雄   



 



⑤ 光   松川善光   



 



⑥ 乾いた風景  藁谷収   





 

 

岩手県のコロナウイルス感染状況

県と盛岡市は3月25日、男女5人がコロナウイルスに感染したことを発表しました。盛岡市の県立総合教育センター職員の50代男性、滝沢市の20代男性会社員、遠野市の30代男性の3人はコロナ患者との接触歴は確認されていません。二戸保健所管内の40代公務員女性と10代女性はコロナ患者の同居家族。これで、県内の累計は596人となりました。

県と盛岡市は26日、盛岡市の4人と滝沢市の1人の計5人がコロナウイルスに感染したことを発表しました。盛岡市の30代と40代の男性、滝沢市の40代男性は、いずれもコロナ患者と同じ職場に勤務しています。盛岡の70女性はコロナ患者の同居家族です。盛岡市の40代女性は医療機関に勤務しており、コロナ患者と接触がありました。これで、県内の累計は601人です。

県と盛岡市は27日、盛岡市の3人がコロナウイルスに感染したことを発表しました。この内2人は、60代の市児童老人福祉センター職員男性とその同居家族の60代女性で、県外の親戚の感染者と接触歴がありました。他の1人は20代看護師で患者との接触歴がありました。。これで、県内の累計は604人です。

県と盛岡市は28日、県内で4人が感染したことを発表しました。盛岡市の30代女性は職場クラスター関連。盛岡市滞在の県外30代男性は県外の患者と接触歴がありました。盛岡市の20代男性と奥州市の30代男性は患者との接触が確認されていません。これで、県内の累計は608人です。

県は29日、宮古市の60代男性がコロナウイルスに感染したことを発表しました。感染患者と接触歴があります。これで、県内の累計は609人です。

県と盛岡市は30日、県内で5人がコロナウイルスに感染したことを発表しました。盛岡市の10代未満の男性と20代の女性はコロナ患者の同居家族です。一関の10女性、同居している住田町の50代の男性と女性の3人は感染経路を調査中です。これで、県内の累計は614人です。

 

 

 

 

 

 

 


盛岡まち散歩(5)

2021年03月25日 | ぶらりぶらり
奥州街道を行く
 
奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。今回は木津谷本店前から進みます。木津谷本店前をまっすぐに500mほど進むと信号機の付く丁字路に差し掛かります。この丁字路を右折し300mほど進むと啄木・賢治青春館に着きます。ここは旧九十銀行本店本館でした。中に入ってゆっくりご覧になってください。
 
 
啄木・賢治青春館
 

 啄木・賢治青春館

 

啄木・賢治青春館に着きました。啄木・賢治青春館は旧九十銀行本店本館で、明治43年に竣工しております。構造は煉瓦造2階建で、2階に広い集会室を設け、1階を営業室・客溜・金庫室・頭取室及び応接室としていました。外観は重厚感のあるロマネスク・リヴァイヴァル様式、内部は直線的で平明かつ簡潔なゼツェッシオン式の影響がみられ、19世紀末の欧州での建築運動をいち早く反映させたものとして、我が国の近代建築史上重要な建造物です。 旧九十銀行本店本館は明治時代に建てられた銀行建築の遺構として大変貴重な事から平成16に国指定重要文化財に指定されています。

 

啄木は渋民を離れ北海道を転々と移動します。函館、札幌、小樽、釧路を経て函館に戻り、東京に旅発ちます。移動した北海道の多くの地域には歌碑が建立されています。

 

① 函館公園の歌碑

明治40年5月、啄木は渋民村を発ち函館に渡りました。

 

 函館公園の歌碑

 

「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」

 

② 倶知安駅の歌碑

啄木は函館大火に遭遇し、函館での132日間の生活に別れを告、函館から札幌にむかいます。途中、倶知安駅を通過しました。

 

倶知安駅前広場の歌碑

 

真夜中の 倶知安驛に 下りゆきし 女の鬢の 古き痍あと」

 

③ 札幌大通り公園の歌碑

啄木は札幌に来て、明治40年9月14日から27日までの2週間を北門新報で過ごし、小樽に発ちます。

 

札幌大通り公園の歌碑

 

「しんとして幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ」

 

④ 小樽公園の歌碑

啄木は小樽に着き小樽日報で働きます。しかし、事務長の小林寅吉と、そりが合わず、明治40年12月20日退職、明治41年1月、釧路に向かいました。

 

 小樽公園の歌碑

 

「こころよく 我はたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」

 

⑤ 美唄駅前広場の歌碑

 

啄木は小樽から釧路に向かいます。途中の美唄駅前、滝川公園にも歌碑が建立されています。

 

 

美唄駅前広場の歌碑

 

「石狩の美国といへる停車場の 柵に乾してありし 赤き布片かな」

 

⑥ 滝川公園の歌碑

 

  滝川公園の歌碑

 

「空知川雪に埋れて 鳥もみえず 岸辺の林尓人ひとりゐき」

 

 

⑦ 旭川観光物産情報センターの歌碑

啄木は釧路に向かう途中、旭川に一泊し、旭川での歌4首を詠んでいます。

 

旭川観光物産情報センターの歌碑

 

前面の二首

「名のみ知りて 縁もゆかりもなき土地の 宿屋安けし我が家のごと」 

「伴なりしかの代議士の 口あける青き寐顔を かなしと思ひき」

 

側面の二首

「今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな」 

「水蒸気 列車の窓に花のごと凍てしを染むる あかつきの色」

 

 

⑧ 釧路港文館前の歌碑

啄木は明治41年1月21日釧路に来ました。啄木は釧路新聞社で働きます。

啄木の釧路での生活はどうだったのでしょう。明治41年2月29日の日記をみると、「釧路に来て40日。生まれて初めて、酒に親しむこと事だけは覚えた。盃二つで赤くなった自分が、僅か40日の間に一人前飲める程になった。芸者といふ者に近づいて見たのも生まれて以来此の釧路が初めてだ」と書かれています。

釧路市内には27基ほどの啄木歌碑が建立されています

小樽港文館前の歌碑

 

「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」

 

⑨ 阿寒湖畔の歌碑

釧路での生活は76日でした。啄木は函館に戻り、明治41年4月24日、東京に向かいます。釧路を離れる日の日記には「後には雄阿寒雌阿寒の両山、朝日に映えた雪の姿も長く忘られぬであろう」と阿寒の山のすばらしさを書いています。

 

 

阿寒湖畔の歌碑

 

神のこと遠くす可多を阿ら者世る 阿寒のやまの雪能希本の」

 

 

 

 

岩手県のコロナウイルス感染状況

県は3月20日、県内で新しくコロナウイルスに感染した人は2人であることを発表しました。田野畑村の50代男性と久慈保健所管内の50代男性で、2人は同じ職場の同僚です。これで、県内の累計は585人となりました。

県は3月21日、県内で新しくコロナウイルスに2人が感染したことを発表しました。盛岡市の60代女性と久慈市の20代女性です。どちらもコロナ患者の同居家族です。これで、県内の累計は587人となりました。

盛岡市は22日、盛岡市の80代女性がコロナウイルスに感染したことを発表しました。コロナ患者の接触者です。これで、県内の累計は588人となりました。

県は23日、紫波町の20代男性がコロナウイルスに感染したことを発表しました。感染経路を調査中です。これで、県内の累計は589人となりました。

県と盛岡市は24日、盛岡市の70代男性と二戸保健所管内の40代男性が新しくコロナウイルスに感染したことを発表しました。2人とも患者との接触歴はなく、感染経路を調査中です。これで、県内の累計は591人となりました。

隣県の宮城県では24日、171人が新しくコロナウイルスに感染.したことを発表しております。このうち仙台市内での感染は131人です。多くなりましたね。

 

 

 


彫刻のまち盛岡(30)

2021年03月20日 | ぶらりぶらり

今朝の岩手山

 

   岩手山(令和3年3月20日)

 

 

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。

 

JR 仙北町駅の西口にある並木通りを進んで行くとふれあい通り地下道があり、ふれあい広場がります。



① 亭主関白と浮気な妻  ふれあい広場  中本成紀

 




 



 



   並木通り







        

 

並木通りを右折すると学園通り地下道があり、地下道を進むと学園広場があります。

 



② アリとキリギリス  学園広場   中本成紀









 



 

 

 






 

岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年3月16日、岩手県はコロナウイルス感染者はなかったと発表しました。岩手県の感染確認は計565人です。。

県は17日、県内で新しくコロナウイルスに感染した人は6人であることを発表しました。盛岡市の50代男性2人は感染経路を調査中です。久慈市の30代男性公務員と10歳未満の女児2人は同居家族で、地域のクラスターの絡みです。宮古保健所管内の50代会社員女性については感染経路を調査中です。これで、県内の累計は571人となりました。

県は18日、県内で新しくコロナウイルスに感染した人は4人であることを発表しました。久慈市の50代女性はコロナ患者の家族で、クラスター絡み。滝沢市の40代会社員男性は患者と同じフロアで勤務。矢巾町の40代会社員男性は感染経路を調査中。田野畑村の60代自営業男性コロナ患者の家族。これで、県内の累計は575人となりました。

県は19日、県内で新しくコロナウイルスに感染した人は8人であることを発表しました。盛岡市の会社員2人と矢巾町の会社員の1人の計3人と、滝沢市の 40代団体職員女性とその家族で10代の3人の計4人が感染、職場を中心としたクラスター絡みです。盛岡市に滞在の県外の会社員男性は別の患者の接触歴があります。これで、県内の累計は583人となりました。

 

 

 


盛岡まち散歩(4)

2021年03月16日 | ぶらりぶらり
奥州街道を行く
 
奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。前回は円光寺に立ち寄りましたので、円光寺を出発します。円光寺の前の道路を進んで行くと信号機のない丁字路にぶつかりますので、ここを左折します。左折するとすぐのところに、木津屋本店があります。
 
 
木津屋本店
 
 
 
 
 
 
 
木津屋本店は江戸時代後期に建てられた古建築物で、盛岡市の代表的な町屋建築として貴重な事から昭和58年に岩手県指定有形文化財に指定されました。岩手県指定有形文化財のうち建造物としての指定はここだけです。奥土蔵はかつて盛岡城の城内に設けられた御蔵とされ、明治維新後に盛岡城が廃城となり払い下げになった際に木津屋本店に移築されたとされています。同家の火消道具は盛岡市指定有形民族文化財になっています。
 
なお、丁字路を右折すると鉈屋町です。鉈屋町は良質な水に恵まれているため、昔から醸造業が盛んなところです。日本酒や味噌醤油作りに必要な麹、こうじ屋細重酒店も鉈屋町にあります。盛岡での麹製造店はここだけなので、季節になると麹注文の客が訪れます。また、ビールや酒も販売しており、店に入ると短いカウンターもありますし、写真のように通路に沿って縁側もあり、日本酒やビールをお店で買って、ここに座って飲んでいる方も多くみられます。座って飲みますが、いわゆる立ち飲み屋さん、モッキリ屋さんですね。スーパーマーケット等で酒類は安く買えるので、お酒の小売店は少なくなってきましたが、こうじ屋細重は現在も続けています。盛岡に来た時には、ぜひ、モッキリを。隣町、紫波町の美味しいお酒「月の輪」も飲めます。
 
 
 
 
 
 

岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年3月13日、岩手県でのコロナウイルス感染者は久慈市の3人であることを発表しました。3人は50代会社員男性、30代女性店員、10歳未満の女児です。いずれも感染者に接触のようです。これで、県内の累計は561人となりました。

県は14日、15日、県内のコロナウイルス感染者は久慈市の3人と盛岡市の1人であることを発表しました。これで、県内の累計は565人となりました。

 

 


盛岡まち散歩(3)

2021年03月13日 | ぶらりぶらり
奥州街道を行く
 
奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。前回は明治橋を渡り、御蔵に着きました。今回は御蔵を出発します。御蔵から明治橋方向に戻り、明治橋前の信号の手前で右折して進んで行きます。途中に円光寺があります。
 
 
 
円光寺
 
円光寺の創建は江戸時代初期の寛文年間に開かれたのが始まりとされ、「本堂は、元禄年間中に再建されたといわれています。寺院本堂としては珍しく妻側に正面向拝を持ち、正面左右の夫婦かつらと相まって優れた正面性を有している。」とあります。 江戸時代中期の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和54年に盛岡市の保存建造物に指定されました。
 

 



本堂正面には夫婦カツラがあり、推定樹齢300年、樹高約20mもあり、昭和47に盛岡市指定天然記念物に指定されています。

 

            夫婦カツラ


円光寺には、「首塚」と記された石柱が立つています。その由来は延宝3年(1675年)にまでさかのぼります。当時、南部藩の奥女中に蓮子という娘がいました。父がキリシタン信者ということで斬首となりました。蓮子はその夜、父の首を持ち出し、円光寺を訪れ回向を依頼しました。住職は、回向は僧の勤めと思い、ひそかに読経し埋葬しました。蓮子は翌朝、自首しましたが、藩主はその親孝行に胸を打たれ、蓮子を側室にしました。その間に生まれたのが31代藩主信恩公と伝えられています。後に、蓮子は父の菩提を弔うために観音堂を寄進し、観世音菩薩を安置しました。これが眼病に霊験あらたかであるため、「生目観音」といわれています。円光寺は盛岡三十三観音の十一番札所となっています。



             観音堂

 

 

また、寺には、元連合艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣(昭和15年)を歴任した米内光政の墓もあります。

 






円光寺の梵鐘はタイマー付きになっており、朝6時、正午、そして夏時間は夕方6時、冬時間は夕方5時の、一日3回セットされているようです。

 


          タイマー付き梵鐘




 

岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年3月11日、岩手県でのコロナウイルス感染者は2人で、盛岡市の20代の医療従事者女性、山田町の20代会社員男性です。感染経路を調査中です。これで、県内の累計は557人となりました。

12日、久慈市の30代会社員男性のコロナウイルス感染が確認されました。感染経路を調査中です。県内の累計は558人です。

 

 

 

 

 

 

 

 


彫刻のまち盛岡(29)

2021年03月11日 | ぶらりぶらり

今日(令和3年3月11日)の岩手山です。山の頂上には、ワシ形が現れていました。もう春ですね。

 

     岩手山(令和3年3月11日)

 

        岩手山頂上のワシ形

 

 

2021年3月11日、東日本大震災の発生から10年になります。岩手県内の被害は死者4674人、不明者1111人です。本当に大きな津被害でした。私は当日、宮城県の松島で中学の同級会が予定されており、仙台駅から皆さんとホテルのバスで松島に向かっていました。ホテルに着く直前、バスは大きく揺れ出し、地震が発生したのでした。津波の予報があったのでしたか、バスはホテルには行かず高台の駐車場に向かいました。駐車場には多くの車が逃げてきていました。当日は雪も降り寒い日でした。その後、我々が乗ったホテルのバスはホテルには向かわず、塩釜の小学校に行き、校庭で一夜を過ごし、翌日、仙台の駅まで送っていおただきました。仙台駅も封鎖されており、電車にも乗れないので、情報を得に、 同級生数人で仙台市役所に向かいました。市役所には多くの避難者でいっぱいでした。市役所で一泊し、翌日、どうしようかと考えておりました。その時、盛岡の人がタクシーの予約が出来たので、同乗者を探しているとの放送があり、おかげで4人がそろい、盛岡までタクシーで帰ってきました。

 

   松島の高台にある駐車場

        松島の海岸

 

松島の海には多くの小島があり、大きな津波は来なかったようです。、後日、同級会開催予定のホテルにに行って食事をいただきました。地震のあった当日は、腰ほどの高さまで海水が打ち寄せてきたとのことでした。

 

 

 

さて、盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せます。この作品のシンポジウムの開催年月は不明です。

 

① 構成された風景Ⅰ 藁谷収   モスビル前










 

 


② 循環Ⅲ   藁谷収  モスビル前







 


モスビルは大通り商店街にあり、映画館もあります。



③ 四葉のクローバ  中本成紀   並木広場 















仙北町駅の西口から50mほどまっすぐに進むと左側にスポーツクラブ(アクトス)があり、その奥にダイソー、薬のマツモトキヨシ、マーケットMAIYAが並んでおり、その前に大きな駐車場があります。この駐車場の前の歩道が並木通りで、並木通りを進んで行くとMAIYAの向かい側に並木広場があります



岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年3月9日、10日、岩手県でのコロナウイルス感染者はありませんで。県内の感染者は計555人です。

 

 




盛岡まち散歩(2)

2021年03月09日 | ぶらりぶらり
 
奥州街道を行く
 
奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。日本橋を基点として、一里ごとに街道の両側に底面直径5間の大きさの塚が造られ、その上に樹木(針葉樹と広葉樹)の2本を植え、里程標として全国各地に築きました。奥州街道は盛岡に入ると、「見前一里塚」⇒「川久保一里塚」⇒(明治橋を渡って)「鍛冶町一里塚」⇒「上田一里塚」⇒「小野松一里塚」⇒「笹平一里塚」⇒「渋民一里塚」⇒「新塚一里塚」と続きます。
 
 
 
明治橋際の御蔵  

藩が作った米蔵を「御蔵」と呼び、明治橋の際に位置し、江戸時代後期に盛岡藩によって建てられた建物で、大飢饉に備えた備蓄蔵でした。藩の米蔵で残っている所は少なく貴重な文化資産になっています。当時この付近は新山河岸と呼ばれ北上川舟運の拠点の1つとして藩でも重要視されていました。新山河岸は御蔵の他、番所や舟宿が軒を連ね、多くの人や物資が行き交う活気のある地域でした。御蔵は土蔵、平屋建て、切妻平入り、瓦葺の建物で、高床や屋根に断熱層があるなど、湿気や温度に対応出来る工夫がされています。現在は「下町史料館」として一般公開され様々な資料が展示されています。なお、「明治橋際の御蔵」は盛岡市保存建造物に指定されています。








         入口側
 
 
 

           蔵入口




      裏側(明治橋から見た蔵)



          

御蔵は現在「下町史資料館」として利用されており、4月から11月の土曜・日曜(第1週は除く)に開館しております。館内には舟橋や北上川の舟運の史料や江戸時代からの生活用具などが展示されています。




        川原町鉈屋町の丁印


川原町鉈屋町の丁印で、かつぐ形の漆塗りの屋台は明治の中頃まで八幡宮例大祭に随行していたようです。盛岡の有形民俗文化財第1号になっています。
なお、盛岡八幡宮例大祭は盛岡藩主が祭主となって行われる祭礼で、山車は飾りを毎年作り変えますが、丁印は山車とは異なり、町(丁)の印として,例年同じ屋台が飾られます。この例大祭に丁印は明治期まで随行していましたが、明治17年(1884年)の大火により大半の町が丁印を失ったと伝えられています



        舟橋の主柱


舟橋は両岸に4本の主柱を打ち込み鎖を張って舟をさえていた。その当時の主柱の一つです。
 
 
 
啄木の歌も頑丈な額に入れて飾られています。




この歌の碑は盛岡市岩山に建立されています。
 
 
        啄木・節子の歌碑



       岩山の啄木・節子の歌
 

             石川啄木
       汽車の窓
       はるかに北に故郷の
       山見えくれば襟を正すも


             石川節子
       光淡く
       こほろぎ啼きし夕より
       秋の入り来とこの胸抱きぬ
 
 
 
 
 

岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年3月1日から4日まで、岩手県でのコロナウイルス感染者はありませんで。2月28日から5日間連続で感染者はありません。県内の感染者は554人です。

5日、県内での感染者は盛岡市の30代の女性店員1人です。感染経路を調査中です。これで、県内の感染者は計555人です。

岩手県では、6日~8日の間、コロナウイルス感染者はありませんでした。県内の感染者は計555人です。

 

 

 

 

 


盛岡まち散歩

2021年03月01日 | ぶらりぶらり

盛岡のまちを散歩します。初めに奥州街道を歩きます。奥州街道は盛岡に入ると、「見前一里塚」、「川久保一里塚」を経て明治橋を渡り盛岡市内の中心部に入ります。

 

見前一里塚





  今宮神社前の案内板(都南村は現在、盛岡市です)





見前一里塚は日本橋から137番目の一里塚で、現在の道路では東京からの距離が526kmなので、526÷4=132、奥州街道は当時約4km(一里)間隔に一里塚が設けられています。



川久保一里塚







川久保一里塚付近で国道4号盛岡バイパスと奥州街道(仙北町への道路)に分かれます。奥州街道は仙北町の街を通り、明治橋を渡って盛岡市の中心部に進みます。なお、川久保一里塚から志和稲荷神社までの道路が稲荷街道です。

 

私は奥州街道を明治橋(当時の明治橋は50mほど下流にありました)から北上し、途中にある建造物などを載せていきます。

 

                明治橋

 

明治橋は北上川舟運の起点であり、昔は現在より少し下流にあった船橋でした。北上川は明治橋の手前で中津川に合流、さらに雫石に合流し、大河となります。そのため、橋を架けるのが難しく当初は舟渡しでしたが、延宝8年(1680)にこの場所に舟橋が架設されました。舟橋は両岸に巨大な親柱と中島の大黒柱を立て、20艘ほどの小舟を鉄鎖で係留し、その上に敷板を並べて人馬が往来できるようにしたものです。増水時には敷板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて、「川止め」にしました。その後、明治7年に少し上流に木橋の明治橋が出来るまで存続していました。舟橋跡は昭和41年に盛岡市指定記念物になりました。

 

 

岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年2月26日の岩手県のコロナウイルス感染者はありませんで。21日から連続6日間感染者はありません。県内の感染者は553人です。

27日の岩手県のコロナウイルス感染者は1人です。宮古市の20代看護師の男性で、コロナ患者の看護をしていました。これで、岩手県のコロナウイルス感染者は554人になりました。

28日の岩手県のコロナウイルス感染者はおりませんでした。岩手県のコロナウイルス感染者は554人です。

28日現在、入院中9人、宿泊療養中3人です。退院者は512人、死者30の計554人です。