啄木が釧路を訪れてから111年が経ちます。滞在は2か月半ほどでしたが、啄木は釧路の人は今も忘れず愛されており、歌碑などもたくさん建立されています。
(56)港文館前の歌碑(釧路市大町) 昭和47年10月14日建立(『一握の砂』より)
石川啄木のよめる明治41年1月21日釧路駅で
さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
小奴
啄木は、明治41年1月21日、釧路駅に着き、翌日、釧路新聞社に出社、下宿を洲崎町の“関″さん宅にお世
話になることにしました。この歌碑は幸町公園に設置していたものを、平成5年5月に現在の港文館敷地内に
移設したもので、恋人の小奴の揮毛による啄木の歌が刻まれています。
啄木日記(明治41年1月21日)
午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗つた。程なくして枯林の中から旭日が赤々と上つた。
空知川の岸に添うて上る。此辺が所謂最も北海道的な所だ。
石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真に譬ふるに辞なき
大景である。汽車は逶迤たる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半此釧路に着。
停車場から十町許り、迎へに来た佐藤国司氏らと共に歩いて、幣舞橋といふを渡つた。浦見町の佐藤氏宅
に着いて、行李を下す。秋元町長、木下成太郎(道会議員)の諸氏が見えて十二時過ぐる迄小宴。
石川啄木・釧路第一泊目の地にたつ碑
(碑文面)停車場から十町許り、迎へに来た佐藤国司氏と共に歩いて、幣舞橋というを渡った。浦見町の佐藤氏
宅に着いて、行李を下す。秋元町長、木下成太郎(道会議員)の諸氏が見えて12時過ぎ迄小宴(1月21日 日記)