たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

彫刻のまち盛岡(33)

2021年04月26日 | ぶらりぶらり

小岩井農場の一本桜

盛岡の桜は散ってきましたが、小岩井農場の桜は今が満開です。

 

小岩井農場の一本桜(2021.4.26)

 

 

小岩井農場の一本桜(2021.4.26)

 

 

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。今回は松園団地にある作品です。

 

① soul for a longed for place 1987  内沢薫  つぐみ児童公園  

 









 

 


②  あとん  1987  佐藤一枝   駒鳥児童公園 







 



 

 

 



③ 望   渡辺忍 グリーンプロット北松園第1号  北松園三丁目バス停前






④ 午後の休息  清武英司   グリーンプロット北松園第2号










⑤ 君の忘れ物  高橋典雄  北松園小学校前









⑥ 城で見つけた箱海  中本成紀 グリーンプロット北松園第3号内(北松園一丁目)


















 


盛岡まち散歩(7)

2021年04月20日 | ぶらりぶらり

奥州街道

奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。
前回は岩手銀行赤レンガ館まで来ました。赤レンガ館を出発すると間もなく信号があり、ここをまっすぐに進むと、左側に森九商店(茣蓙九)があります。茣蓙九は盛岡市景観重要建造物になっています。
 
 

森九商店(茣蓙九)

 

茣蓙九は江戸時代後期の文化13年(1816)に創業した紺屋町にある商家で、盛岡市を代表とする町屋建築です。その後、建物が増築された、時代背景による工法や素材などバラバラですが、格子窓や隣家との境にある土壁、中津川沿いに連なる土蔵群など印象に残る風景を醸し出しています。この建物は、江戸時代後期、明治中期、明治末期と次々に建てられたもので、藩政時代からの商家の姿を今に伝える建造物です。茣蓙九(森九商店)は江戸時代後期から明治時代にかけての町屋建築の遺構として貴重で城下町らしい町並み景観に大きく寄与している事から盛岡市の景観重要建造物に指定されました。

茣蓙九で買い物(話しを聞き)をし、さらに進んで行くと十字路の信号があり、その角に紺屋町番屋があります。紺屋町番屋も盛岡市景観重要建造物になっています。

 

紺屋町番屋

 

 

紺屋町番屋は大正2年に消防番屋として建てられました。木造2階建て、寄棟、金属板葺きの建物で外壁は下見板張り、窓は縦長の開き扉が採用されています。屋根の上には望楼が設えられ、現在は高い建物が周囲に乱立して見通しが利きませんが、当時はかなり遠くまで望めたのではないでしょうか。1階のシャッター部が改造されている他はあまり大きく変化がなく、消防施設の変遷を知る建物として貴重な事から、盛岡市の景観重要建造物の指定をうけました。番屋の手前が東北電力盛岡支店、その向かいが白沢せんべい店です。美味しい煎餅ですので、お寄りください。

 

白沢せんべい店

 

 

 


盛岡 ”桜満開”

2021年04月16日 | ぶらりぶらり

盛岡は今、桜が満開です。今朝(4月16日)は早く起きて桜を見て来ました。

 

① 裁判所の石割桜       国指定記念物(天然記念物)

 

 

石割桜は、盛岡藩の家老・北家の屋敷跡にある。庭石の割れ目に桜の種が飛んできて芽を出し、成長とともに石の割れ目を押し広げていったと言われています。石は花崗岩で周囲が21.0m、桜はエドヒガンで、樹齢は350~400年以上と推定されます。石の割れ目は北側・南側共に少しずつ広がっているようです。大正9年(1920)国の天然記念物に指定されました。昭和7年(1932)すぐ側にある裁判所が燃えた時、庭師藤村は着ていた半纏で木を濡らし、石割桜の幹にふりかかる火の粉を消したというエピソードがあります。

 

② 龍谷寺のモリオカシダレ     国指定記念物(天然記念物)

 

境内にある白色のシダレザクラは、大正9年に国の天然記念物調査委員の三好学博士により発見された新種でエドヒガンオオシマザクラの雑種です。樹性はシダレ性で、シダレヒガンに近く、葉形はソメイヨシノに近い。幹・葉・花の外形がソメイヨシノに似ているが、枝が垂れていること、花の色が白いことが特徴で、幹から直接花を咲かせる姿は、ソメイヨシノとは異なる美しさがあります。龍谷寺は石川啄木の母方の伯父、 葛原対月が住職だったお寺です。 対月の弟子であった啄木の父・一禎が啄木の母カツが結ばれたのもこの寺でした。 少年時代の啄木はしばしばこの寺を訪れ、 伯父の対月から詩歌の手ほどきを受けたといわれています。

 

③ 愛宕町のベニシダレ   盛岡市指定記念物(天然記念物)

 

愛宕町のベニシダレ(天然記念物指定 昭和42年11月22日)盛岡市付近に植栽されるベニシダレのうち最大である。ベニシダレは個数は多くはないが、ほかには下米内の田鎖邸にも植栽されている。当ベニシダレは主幹に空洞があり、自動車の排気ガスの影響が心配される。1972年の測定によれば、樹高7m、根本径0.71m、枝張り7.9m、樹齢は庭木として植栽されているので肥大は小さいが年3.5ミリメートル肥大するとみて、220年生前後と推定される。中央公民館前信号脇にあり、交通量の激しいところになので、心配です。

 

④ 本誓寺のホンセイジシダレ    盛岡市指定記念物(天然記念物)

 

 

この木は「ソメイヨシノ」と「シダレヒガン」の雑種と考えられます。特徴はソメイヨシノと比べて花の各部が小さいこと、葉季性(花より葉が早く開く)、シダレ性(枝が垂れ下がる)の3点です。ソメイヨシノに比べ、花の各部が小さく、葉季性のものを「シラタキザクラ」と言いますが、シダレ性のものは極めて稀な品種であったため、生育地を記念して「ホンセイジシダレ」と命名されました。開花の季節には清楚な花を咲かせます。平成15年(2003年)の測定によれば 樹高6.0m、目通周1.1m、樹齢80年と推定されます。

 

⑤ 法華寺のモリオカシダレ  盛岡市指定記念物(天然記念物)

 

 

法華寺のモリオカシダレ (天然記念物指定 昭和55年4月1日)この桜は「シダレヒガン」と「オオシマザクラ」の雑種で、樹齢50年~60年と推定され、今後百年は現状維持できるものと推定される。市内名須川町龍谷寺のモリオカシダレは(国指定)現在生育は多少回復してきているが、老化が著しいので、その後継樹として最適のものである。昭和62年(1987年)測定によれば、樹高6.3m、根元の幹囲1.85m、胸高の幹囲1,53mである。枝張りは東西へ13.7m、南北へ11.9mである。龍谷寺のものに比較して、花が大きく、オシベに徴毛がある点で多少異なっている。

 

⑥ 岩手大学構内の桜

 

⑦ 岩手大学図書館前の桜

 

⑧ 岩手大学旧農学部門前の桜

 

⑨ 高松の池の桜

 

高松の池には数羽の白鳥が泳いでいました。

 

 ⑩ 岩手公園の桜

 

 

⑪ 西松園二丁目バス停前の一本桜

 

 

 

 


彫刻のまち盛岡(32)

2021年04月14日 | ぶらりぶらり

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。今回は岩手大学構内にある作品です。

 

人文社会科学部・教育学部 構内

 

① 大地より芽吹くものⅥ  芝田典子

 

② 記憶の旅   齋藤かおり

 

③ 構成された風景Ⅸ  藁谷収

 

 ④ echoes Ⅲ  藁谷収

 

⑤ 小さな世界の住人  中島香緒里

 

⑥ 旅Ⅵ  小山育

 

 

岩手大学自然観察園内

 

⑦ そこにある刻  有馬辰樹

 

⑧ 森の鼓動 佐々木悦也

 

⑨ 褶曲  高橋典雄

 

 

 

 

 

岩手県のコロナウイルス感染状況

4月13日現在、岩手県でコロナウイルスに感染した人の累計は763人です大阪では13日の1日で1099人ですから、多いですね。

 


盛岡の旧町名

2021年04月10日 | ぶらりぶらり

盛岡の旧町名

盛岡のまちづくりは,慶長3年(1598)の盛岡城の築城にあわせ,お城を中心に城下町が開かれました。まちづくりの中心は常にお城であり、その歴史を伝える上で旧町名は重要な役割を果たします。江戸時代の中期には町は23町ありました。

23町は次の通りです。

  仙北町、川原町、石(穀)町、十三日町、馬町、六日町、新町、神明町、肴町、八幡町、葺手町、紺屋町、鍛冶町、紙町、本町、油町、大工町、寺町、

  四ツ家丁、八日町、三町戸、長町、材木町、久慈町

江戸時代の後期の文化9年(1812)、「町」の字を「丁」に変へ23町を28丁にしました。

28丁は、次のとおりです。

  仙北丁、青物丁、川原丁、鉈屋丁、石(穀)丁、新石(穀)丁、十三日町、馬町、

  六日丁、呉服丁、生姜丁、肴丁、八幡丁、葺手丁、紺屋丁、 鍛冶丁、紙丁、本丁、

  油丁、大工丁、花屋丁、四ツ家丁、八日町、三戸丁、長イ丁、材木丁、茅丁、山岸丁

    (十三日町と馬町は町を用いています)

  変更内容は、「仙北町」を「仙北丁」と「青物町」の2つに、川原町を「川原丁」と「鉈屋丁」の2つに、石町を「新石丁」と「石(穀)丁)の2つに、

  「寺町」を「花屋丁」と「四ツ家丁」の2つにし、「山岸丁」を新設し、23町を28丁に変更しました。呼び名変更としては 「新町」を「呉服丁」に、

  「神明町」を「生姜丁」に、「久慈町」を「茅丁」にしました。

なお、文化11年(1814)には、武家屋敷街を明示する武家屋敷小路を定めています。

 馬場小路、鷹匠小路、餌差小路、大清水、平山小路、帷子小路、日影門小路、仁王小路、上田小路、上田与力小路、大沢川原小路

 

また、盛岡藩では城下への出入口付近には、城下を守るために下級武士の足軽(同心)町をおきました。奥州街道沿に沿う北の関門は「上田組町」、

南の関門は「仙北組町」です。

 

このよう「町」、「小路」、「組町」名で、盛岡城下の町は発展し、明治時代へと進みます。

明治22年(1889)に市制が施行され、盛岡市となり、町名は次の9大 字、58子 字になりました。

仙北町 : 仙北組町、仙北町、青物町

東中野 : 川原町、鉈屋町、神子田、東中野、新穀町、穀町、大清水小路、上衆小路、鷹匠小路、馬場小路、川原小路、馬町、 十三日町、六日町、

      呉服町、 肴町

志家  : 肴町、生姜丁、八幡町、餌差小路、志家、加賀野新小路、内加賀野小路、葺手町、紺屋町、鍛冶町、紙町

新庄  : 新庄、新庄加賀野新小路

加賀野 : 加賀野

三ツ割 : 下小路

山岸  : 山岸、山岸町

仁王  : 紙町、油町、花屋町、大工町,本町、八日町、谷小路、四ツ家町、内丸、帷子小路、平山小路、新山小路、三戸町、長町、大沢川原小路、新築地、

      材木町、茅町、仁王、

上田  : 上田、上田小路、与力小路、上田組町        

 

 ※ 大字とは「仙北町」の項、小字とは「仙北組町、仙北町、青物町」の項 です                                     

  ※ 肴町、紙町は2大字にまたがっています

 

昭和元年の町名をみると、大字は「下厨川」が増えて10になり、小字は58から114になっています。大字のうち、上田、仁王を例にとってみると、小字は

次のようになっています。

 上田 : 西組裏、東組裏、大道、中堤、与力小路、覚山脇、上田小路、東上台

 仁王 : 内丸、下ノ橋際、流作場、古堀、日影門外小路、紙町、八日町、本町、大工町、油町、花屋町、四ツ家町、谷小路、 三戸町、長町、材木町、

      茅町、田圃、上田圃、下台、仁王小路、平山小路、帷子小路、新山小路、大沢川原小路、新築地、菜園

 

 大字の「上田」で小字の「覚山脇」では、その住所は、 盛岡市上田覚山脇 〇〇 となります。

以上。

 

 

 

 

 


盛岡まち散歩(6)

2021年04月04日 | ぶらりぶらり
奥州街道を行く
 
奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。
私は明治橋から出発しましたが、盛岡藩では城下への出入口付近には、城下を守るために下級武士の足軽(同心)町をおきました。城下の南の関門としては明治橋の南に「仙北組町」をおきました。現在のJR仙北駅付近ですが、道路の拡幅工事や盛岡市の都市計画によって、街の景観が変わっています。現在、「仙北組町」のバス停があり、この辺が仙北組町だったのがわかります。
 
 
 
仙北組町のバス停
 
 
それでは、今回は啄木・賢治記念館から進みます。啄木・賢治記念館前を進むと100 mほどで信号機を持つ交差点に差しかかります。この交差点脇に岩手銀行赤レンガ館があり、斜め向かいに盛岡信用金庫本店があります。なお、交差点を左折すると中津川に架かる「中の橋」ですし、右折すると「肴町商店街」です。
 

 

岩手銀行赤レンガ館(旧盛岡銀行)        国指定有形文化財(建造物)  中ノ橋通一丁目2-20

 

 

岩手銀行赤レンガ館は、盛岡銀行の本店庁舎として1911年に落成しました。その後岩手銀行の本庁舎となり、以後中ノ橋支店となり2004年まで営業をしていました。営業中に国の重要文化財となったこの建物は、修復工事を経て岩手銀行赤レンガ館として、公開施設となりました。当時の洋風建築の特徴がほぼ残っています。この建物の設計は、辰野・葛西建築事務所によるもので、館内には彼らの業績を知ることのできるコーナーがあります。数々のイベントも行われています。2016年に多目的ホールおよび創建当時の館内の模様を展示する施設としてオープンしました。

 

 

盛岡信用金庫本店(旧盛岡貯蓄銀行)  盛岡市景観重要建造物  中ノ橋通一丁目4-6

 

 

赤レンガ館の向かいに旧盛岡貯蓄銀行があります。ここは、昭和2年に建てられた近代建築です。昭和10年に岩手貯蓄銀行に名称を改め、明治18年に岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)、昭和33年に盛岡信用金庫に所有が移っています。鉄筋コンクリート造2階建て、陸屋根、外壁は花崗岩、設計は盛岡市出身の葛西萬司、当時の銀行建築で見られたギリシャ風の要素を取り入れ、正面外壁には6本の丸柱があり神殿をモチーフにして銀行の持っている重厚で誠実な印象を引き立ています。旧盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)は昭和初期の銀行建築の遺構として貴重な事から盛岡市の景観重要建造物に指定されています。

 

 

岩手県のコロナウイルス感染状況

県と盛岡市は3月31日、県内で7人が感染したことを発表しました。盛岡市の40代男性と30代男性は県外の感染患者と接触があります。盛岡市の30代女性と40代会社員男性は患者との接点が確認できません。奥州市の20男性、矢巾町の20代男性学生、県外在住(北上市滞在)の10代男性は、それぞれ県外の患者と接触がありました。これで、県内の累計は621人です。

県内の3月の感染者は67人で、30代、40代、50代は各12人、20代は10人、10代は6人、10代未満は5人、60代は5人、70代は4人、80代は1人でした。

県と盛岡市は4月1日、県内で25人が感染したことを発表しました。施設名を発表しませんが、未就学児が通う保育関連施設でクラススターが発生したと判断しました。女児1人、施設職員14人、保護者2人の17人です。他は、盛岡市の10代女性、奥州市の20代と10代の女性、住田町の10代女性、県央保健所管内の30代男性の計5人は患者の濃厚接触者です。北上市の50代男性と奥州市の10代女性2人の計3人は感染経路を調査中です。これで、県内の累計は646人です。

県と盛岡市は2日、県内で27人が新型コロナウイルスに感染したことを発表しました。盛岡市の教育保育施設関連の16人は、盛岡市の10歳未満の男児9人と女児6人、県央保健所管内の10代未満の男児1人です。また、スポーツ関連では、北上市の10代女児1人と宮古保健所管内の10代女児1人の計2人です。スポーツ活動に取り組む別のグループでは北上市の10代女性1人と奥州市の10代女性2人の計3人からもウイルスを検出しました。その他、県央保健所管内の30代女性と田野畑村の40代男性の計2人はコロナ患者の接触者でした。紫波町の30代男性、奥州市の40代男性と家族の10歳未満の男児、一関市の70代男性の計4人は感染経路をを調査中です。これで、県内の累計は673人です。

県と盛岡市は3日、県内で14人が新型コロナウイルスに感染したことを発表しました。盛岡市の教育保育施設関連では利用者でない10代未満の女児1人、職員と接触のあった10代から60代の4人の計5人。奥州市の10代未満の女児1人。スポーツグループ関連では北上市と花巻市の10代女性の計2人、一関市の10代女性1人と40代男性1人の計2人。県央保健所管内の20代の男性1人と女性1人の計2人。その他、一関市の70代女性1人、北上市の50代女性1人。これで、県内の感染確認は累計687人となりました。