たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市所在文化財(9)

2022年11月24日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

前回までは、国指定の有形文化財・民族文化財、記念物の史跡、天然記念物を載せてきました。今回も、記念物の天然記念物を載せます。

 

国指定記念物

今回は天然記念物のシダレカツラです。

盛岡にある国指定記念物は、前回示した史跡2件と天然記念物2件、今回のシダレカツラ3件の、合わせて7件です。

カツラの枝は普通斜上しますが、盛岡市には枝が垂れ下がるシダレカツラが3株あり、珍しい物でいずれも国の天然記念物に指定されました。原木は岩手県大迫町の山中で発見され、妙泉寺境内に移植されたものだそうです。この原木のひこばえが現在、瀧源寺、肴町および門に現存します。

 

(14) 肴町のシダレカツラ    盛岡市肴町

 

カツラは普通斜上しますが、肴町のカツラは枝が垂れ下がるシダレカツラで、極めて珍しく国指定記念物(天然記念物)に指定されています。原木は岩手県大迫町の山中で発見され、大迫町の妙泉寺境内に移植されたものです。肴町は市内中心部で、この木は商店街裏の駐車場の中央にフェンスに囲まれ聳え、枝は地上近くまで垂れ下がっており、樹形は美しいものです。この他、国指定記念物(天然記念物)のシダレカツラは、盛岡市の大ケ生と門(かど)にもあります。

 

(15) 門のシダレカツラ     盛岡市門

 

(16) 龍源寺のシダレカツラ    盛岡市大ケ生

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(8)

2022年11月15日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

前回までは、国指定の有形文化財・民族文化財、記念物の史跡を載せてきました。今回は、記念物の天然記念物を載せます。

 

国指定記念物

記念物には、史跡、名勝、天然記念物があります。今回は天然記念物です。

 

(12) 盛岡地方裁判所の石割桜                       盛岡市内丸

 

裁判所は盛岡藩の家老・北監物の屋敷跡にあります。裁判所の前庭に石割桜がありますが、北監物の屋敷内の庭にあった巨石が落雷をうけてできた割れ目に桜の種子が飛んできて芽を出し、成長とともに石の割れ目を押し広げていったと言われています。石は花崗岩で周囲が21m、桜はエドヒガンで、樹齢は350~400年以上と推定されます。石の割れ目は北側・南側共に少しずつ広がっているようです。大正9年(1920)に国の天然記念物に指定されました。昭和7年(1932)、裁判所が燃えた時、庭師の藤村氏は着ていた半纏で木を濡らし、石割桜の幹にふりかかる火の粉を消したというエピソードがあります。

 

(13) 龍谷寺のモリオカシダレ           盛岡市名須川町

 

境内にある白色のシダレザクラは、大正9年に国の天然記念物調査委員の三好学博士により発見された新種でエドヒガンオオシマザクラの雑種です。樹性はシダレ性で、シダレヒガンに近く、葉形はソメイヨシノに近く、幹・葉・花の外形がソメイヨシノに似ているが、枝が垂れていること、花の色が白いことが特徴で、幹から直接花を咲かせる姿は、ソメイヨシノとは異なる美しさがあります。国は、城跡、庭園、動物・植物・地質鉱物などのうち重要なものを「史跡」、「名勝」、「天然記念物」に指定し、そのうち特に重要なものについては、「特別史跡」、「特別名勝」、「特別天然記念物」に指定しています。

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(7)

2022年11月04日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

国指定文化財には、(1)有形文化財、(2)無形文化財、(3)民俗文化財、(4)記念物 があります。

このうち、盛岡には、国指定無形文化財はなく、前回までは、国指定有形文化財、民族文化財を載せてきました。今回は国指定記念物を載せます。

 

国指定記念物

記念物には、史跡、名勝、天然記念物があります。今回は史跡です。

 

(10)盛岡城跡    盛岡市内丸

 

盛岡城は三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(南部藩26代藩主)が、慶長2年(1597)、築城を始めたと伝えられ、築城開始から36年後の寛永10年(1633)に南部重直(盛岡藩2代藩主、南部家28代当主)が入城して以降、藩政時代を通じて南部氏の居城となりました。盛岡城は明治の廃藩置県の後、明治5年に陸軍省所管となり、明治7年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しました。その後、明治39年に「岩手公園」として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。平成18年(2006)には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。

 

(11)志波城跡        盛岡市上鹿妻五エ新田

 

 

この場所は、昭和50年代までは「太田方八丁遺跡」とよばれていましたが、発掘調査により、それまで所在地が不明だった古代城柵「志波城」跡であることが判明しました。今から約1,200年前の平安時代に、坂上田村麻呂によって造られた古代陸奥国最北地区の最大級の古代城柵「志波城」です。しかし、雫石川の氾濫により大きな被害を受け、建設から10年ほどで放棄され、新たな城柵「徳丹城」(現・矢幅町)が建設され、その役割を終えました。現在、志波城跡は盛岡市により整備されて「志波城古代公園」になっています。公園内には建物や門、築地塀などが復元されています。なお、盛岡にある国指定記念物の史跡はこの2件です。