盛岡藩2代目藩主・南部重直の墓をたずねます。盛岡藩主については、南部藩主と同じと考え、初代藩主を南部信直(南部家26代当主)と考える人、実際に盛岡に来て活躍をした南部利直(南部家27代当主)と考える人がおります。ここでは、南部利直(南部家27代当主)を初代藩主と考えます。
盛岡藩2代目藩主・南部重直の墓 聖寿禅寺(盛岡三十三観音17番) 盛岡市北山
聖寿寺は現在の青森県三戸郡南部町にありましたが、慶弔3年(1598)南部家26代当主・信直が盛岡に築城を開始、南部家27代当主・利直(盛岡藩初代藩主)を経て、盛岡城が竣工したのは寛永10年(1633)、盛岡藩2代目藩主・重直(南部家28代当主)の時で、この時、三戸にあった聖寿寺も盛岡に移転しました。聖寿寺には、盛岡藩2代藩主南部重直の他、3代藩主・重信、4代藩主・行信、6代藩主・利幹、7代藩主・利視、8代藩主・利雄、10代藩主・利敬、12代藩主7・利済、14代藩主・利剛の墓の9藩主の墓があります。
盛岡藩2代目藩主・南部重直の墓
墓はこの階段の上
聖寿禅寺
「聖寿禅寺」は建長六年(1254)、南部家第二代・南部実光公により初代・光行公の菩提を弔うため、現在の青森県三戸郡南部町に創建されました。慶長3年(1598)南部家二十六代・信直公は現在の盛岡に築城を開始し、その子第二十七代・利直公を経て、盛岡城が竣工したのは寛永10年(1633)第二十八代・藩主重直公の時でした。築城にともなって諸寺院が北山周辺に集められ、三戸にあった聖寿寺も移転しました。明治時代になると幕藩体制が崩壊し、聖寿寺は衰退の一途を辿り、寺院の形をとどめないほど荒廃していきました。
明治八年(1875)、聖寿寺の広い境内地に桜山神社が移転してきました。神社は幕末まで盛岡城内に祀られていたものです。そのため聖寿寺は境内の片隅で如意庵という仮本堂に移され、正規の住職もいない被兼務寺院となってしまいました。明治三十三年(1900)、桜山神社が現在の盛岡城跡に移転することになりましたが、ついに寺院が再建されることはありませんでした。現在でもこの地を「旧桜山」と呼ぶことがありますが、明治時代の二十数年間、「桜山神社」が鎮座していたことによるものです。
現在の本堂は昭和三十四年に建立されたもので、本堂が八角形なのは、聖寿寺の再興を願って、聖徳太子偲んで建てられた奈良県法隆寺の夢殿を模したものです。
次に、”おかん” の墓を訪ねます。
“おかん” の墓 大泉寺(盛岡三十三観音26番) 盛岡市本町
おかんの墓
盛岡城が竣工したのは、盛岡藩2代藩主・重直の時でした。“おかん” の夫・三平は盛岡城築城のため働いていましたが、工事中に重症を負いました。組頭の高瀬軍太は“おかん”に思いをよせていましたが、三平の災難をきっかけにますます露骨になりました。夫の運命にも危機が及ぶと感じたおかんは、夫を殺すなら、身を任せると言って欺き、自ら夫になりすまして、高瀬の手に掛かって貞死しました。己の非を悟った高瀬は自ら仏門に入り、おかんの菩提を大泉寺で弔ったといわれます。おかんの墓は、石でたたくと不思議な音がします。その音は、おかんの泣き声とか、夫の三平の唱える念仏とか、不幸な夫婦二人の声が合わさっているとも言われていました。墓石を叩くための石(墓石の上部)が置かれている部分は、叩かれたために、自然にくぼみができています。
墓石のくぼみ
大泉寺
大泉寺本堂は盛岡市景観重要建造物に指定されています。盛岡市のホームページによると、次の記載があります。
山門真正面に本堂独特の宝形式反り屋根の木造平屋建の寺院が見える。始め瓦葺だったが修理して現在の銅板一文字葺になったと言う。車寄せ屋根は起り(むくり)破風であるので垂木は一本曲がりものでできているが,本堂は反り屋根,車寄せは起り(むくり)破風で対照が面白い。車寄せの柱梁はけやきで柱脚は礎石に乗っている。梁は虹梁(こうりょう)で彫刻文様があり,蟇股,斗拱(ときょう)の組合せの造りかたになっている。本堂は床高く,風通しよく考えられ,床束,柱,土台は御影石に据付けられている。
本堂内部は外陣は板張りの床だったが,畳敷きになっている。天井は竿縁(杉)で,簡単なものである。外部建具は硝子戸になっているが,古くは紙貼り障子に雨戸であったと思われる。雨戸は現在はないが平鉄をはった戸溝が残っている。内陣は3.5間×2間で共に天井は格天井(ごうてんじょう)で折上(おりあげ)部は簡単である。内々陣の南面,北面の中柱2本ずつはけやきの円柱がある。内々陣と内陣,その他隣室の長押欄間には見事な木彫の桃山風立体籠の彫刻がつけられている。裏側は板になっている。各内陣,内々陣その他隣室の長押梁には文様の木彫がされてある。
須弥壇の勾欄には唐様で親柱に鎌倉時代から出現した逆蓮柱になっている。
なお,車寄せの正面妻飾りが特徴があり懸魚(けんぎょ),母屋鼻かくし,蟇股等の木彫は興味を引くものである。