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たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

花火打ち上げ

2013年07月29日 | ぶらりぶらり
東北夏祭りが8月1日から "盛岡さんさ"、"青森ねぶた"、"秋田竿灯"、"山形花笠"、"仙台七夕" と続きます。それに先立ち7月の最後の土・日曜日に町内会のお祭りがあり、祭りの最後に花火の打ち上げがありました。線香花火きれいですが、大きい花火もきれいですね。





















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啄木の歌

病みぬれば香の煙のひとすぢに心悲しき思出もする

小樽日報 明治40年10月15日号 藻しほ草(21首、その7)
匿名であるが啄木の作品として取り扱われている

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啄木ふる里の道

2013年07月28日 | 啄木歌碑
啄木歌碑と岩手山シリーズ(7)です。啄木記念館から国道を横切りまっすぐに進むと渋民公園に着きますが、その手前に渋民小学校があり、その横の道を「啄木ふる里の道」と呼び、その道に石に刻んだ啄木の歌を埋め込んでいる。ここからも岩手山がくっきりと見えます。



歌の道



歌の道と岩手山












































高校野球岩手県大会

2013年07月26日 | ぶらりぶらり
甲子園への道
第95回全国高校野球選手権岩手大会の決勝戦が今日26日岩手県営野球場で行われました。今大会は雨のため、また順々決勝の引き分け再試合等もあり5日遅れての決勝戦でした。昨年と同じ盛岡大学付属高校と花巻市東高校の対戦で、昨年は現在日ハムで二刀流で活躍中の花巻東の大谷翔平君を打ち崩し盛大付属高校が勝ちましたが、今年は花巻東が勝ち甲子園への切符をつかみました。岩手県72校の代表です。おめでとう。甲子園での活躍を楽しみにしています。















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啄木の歌

わが被(かづ)くみだれ黒髪今日よりは蛇ともならむかかる恨みに

小樽日報 明治40年10月15日号 藻しほ草(21首、その6)
匿名であるが啄木の作品として取り扱われている

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笹平大橋の啄木歌碑

2013年07月20日 | 啄木歌碑
啄木歌碑と岩手山(6)
歌碑のあるこの笹平大橋は奥州街道上にある。この道は玉山村が盛岡市に編入合併されたことに伴い名称を「盛岡市道黒石野門前寺線」と呼ばれている。地名は盛岡市玉山区門前寺字笹平で、笹平大橋のすぐ傍には奥州街道(道中)の笹平(ささだいら)一里塚があります。四十四田ダム完成により旧街道ルートはダム底に沈んだため、奥州街道は大分移動され、その際に岩洞湖より取水している丹藤川第2水力発電所をまたぐ橋が架けられ「笹平大橋」と呼び、その両側の橋柱に、平成5年11月に、啄木の歌を刻んだ銅板がはめ込まれた。この歌碑からも岩手山を望むことができる。



岩手山は雲に隠れて一部のみ見えます


(この写真は 2013.4.15 撮影です)







岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる蟲を何と聴くらむ
啄木


なお、奥州街道(道中)一里塚は盛岡の上の橋(かみのはし)付近の鍛冶町一里塚から、黒石野の川徳アネックス前の上田一里塚、小野松一里塚、笹平一里塚、渋民一里塚を経て国道4号線の新塚一里塚となる。



鍛冶町一里塚


上田一里塚


小野松一里塚


笹平一里塚 (一里塚はこの場所から100mほど離れたところにあるようですが、現在工事中で近寄れません)


渋民一里塚


新塚一里塚










渋民公園の啄木歌碑

2013年07月14日 | 啄木歌碑
啄木歌碑と岩手山(5)
渋民公園の啄木歌碑も岩手山を背景に建立されている。渋民公園は石川啄木記念館前の国道4号を横断して進むとすぐのところにあり、北上川のほとりに広がる公園です。ここにある啄木の歌碑は大正11年4月に建立された日本で最初の啄木歌碑で、渋民の青年たちによって建てられました。











やわらかに柳あをめる
北上の岸邊目に見ゆ
泣けどごとくに
啄木



公園からは吊り橋できている鶴飼橋が架かる北上川を見下ろすことができます。










啄木歌碑と岩手山(4)

2013年07月11日 | 啄木歌碑
富士見橋の啄木歌碑
富士見橋の啄木歌碑は啄木の思い出の山 "岩手山" を背景にしています。富士見橋は中津川に架かる歩行者専用の小さな橋で、昭和56年3月に上の橋(かみのはし)の上流に架橋されました。橋の欄干は啄木自らがデザインした『小天地』の表紙のケシの花をモチーフにしており、親柱は啄木歌碑になっている。この場所は、「小天地」発行の場ともなった新婚2度目の住居が近くにあったゆかりにより、新架橋に際しこの歌が記載されました。













岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる蟲を何と聴くらむ
啄木



富士見橋は盛岡市役所裏を流れる中津川に沿って上流に歩いて行くと市役所から10分ほどの所にあります。冬になると白鳥も飛来し市民の憩いの場です。




なお、啄木が住んだ跡地は現在マンションになっていますが、その名は「啄木荘」になっており、次のような案内板が立っている。









啄木歌碑と岩手山(3)

2013年07月08日 | 啄木歌碑
啄木は「おもひでの山 おもひでの川」とうたっていますが、おもひでの山は岩手山なのでしょう。秀峰岩手山は盛岡市、八幡平市、雫石町などから見ることができます。このため、啄木の歌碑も岩手山を背景にしたものが数か所あります。

盛岡「天満宮の丘」の啄木歌碑
この歌碑は昭和8年7月に建立された盛岡で最初の啄木歌碑です。この丘は天満宮の境内から30メートルほど下ったところにあり、啄木が通っていた盛岡中学から1.5kmほどの距離なので、啄木もよく遊びに来たのでしょう。









病のごと
思郷のこころ湧く日なり
目にあおぞらの煙かなしも

啄木

天満宮の境内には啄木の小説「葬列」に出てくる一対の狛犬が座っています。狛犬は明治36年、高畑源次郎さんの作といわれ、地面にじかに据えられていたようですが、昭和8年に啄木の歌を刻んだ銅板をはめた台座をつくり、その上に狛犬をのせた。



一対の狛犬





夏木立中の社の石馬も
汗する日なり  
君をゆめみむ
啄木






松の風夜昼ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に
啄木


啄木の小説「葬列」では「狛犬」と表現されているが、啄木の歌では「石馬」になっている。 
啄木の小説 ”葬列” 「・・・自分は昔、よく友人と此處へ遊びに來ては、『狛犬よ、汝も亦詩を解する奴だ。』とか、『狛犬よ、汝も亦吾黨の士だ。』とか云つて、幾度も幾度も杖で此不恰好な頭を擲つたものだ。然し今日は、幸ひ杖を携へて居なかつたので、丁寧に手で撫でてやつた。」

また、平成4年7月に天満宮社殿横の稲荷社前に狐の石像一対が寄進され、その台座に啄木短歌が活字体で刻まれた。稲荷社に向かって右の狐像の台座に短歌、左の狐像の台座に建立の由来が刻まれています。



一対の狐像





苑古き
木の間に立てる石馬の 
         背をわが肩の月の影かな                            
啄木






盛岡出身の内閣総理大臣

2013年07月06日 | ぶらりぶらり
参院選公示
参院選が公示され、21日が投票日になりました。岩手選挙区は定員1名です。面積からすると岩手県の小岩井農場だけでも東京山手線の内側の面積ほどあるといわれるし、岩手県全体の広さは四国4県合わせた広さと同じほどあります。この広さを候補者が運動するのも大変ですね。1票の重さをしみじみと感じるのでしょう。
ところで、岩手県からは内閣総理大臣が4人出ています。そのうち、盛岡からは2人で、原敬と米内光政です。2人とも盛岡市内のお寺でねむっています。

原 敬
原敬はわが国最初の本格的政党内閣を実現し民主政治の確立のため活躍しました。原敬は大正7年9月29日、第19代内閣総理大臣に就任しました。原は、衆議院に議席をもった最初の首相であり、爵位を持たなかったことで、平民宰相と呼ばれていましたが、大正10年11月4日東京駅で暗殺されました、享年66歳でした。
暗殺から1週間後の11月11日に、遺言によって、原敬の葬儀は故郷盛岡で行われた。
盛岡市の市内の原家の菩提寺である大慈寺に埋葬され、墓石には、ただ原敬の2文字のみが刻まれています。
大慈寺:盛岡市大慈寺町5-6




大慈寺



原敬の墓




原敬記念館  盛岡市本宮4-38-25

原敬記念館は原敬の生家に隣接して建設された記念館です。記念館には、原敬の業績をたたえ政界の貴重な資料や原敬日記、遭難時の衣服、遺品、遺墨等が展示されている。



原敬記念館


原敬生家・記念館入り口


原敬生家


記念館と原敬句碑


わけ入りし霞の奥も霞かな
原敬




米内光政
昭和15年に第37代内閣総理大臣に就任したが陸軍の反対に遭い半年後に退任している。米内は昭和23年に亡くなり、盛岡の円光寺に眠っている。
(円光寺;盛岡市南大通3丁目11-49)
お寺を訪ねた時にたまたま鐘がなったので見てみると人影がありませんでした。聞いてみると朝昼晩と1日3回自働で鐘をならすのだそうです。



円光寺


米内の墓



円光寺の梵鐘



米内については先人記念館に銅像があり、詳しく説明されている。先人記念館は盛岡駅2階の西口通路から出て雫石川を渡るとすぐです



先人記念館


記念館内の米内の銅像



また、米内の死後12年を経た昭和35年、盛岡の八幡宮境内に背広姿の米内の銅像が建てられた。



米内の銅像






彩工芸美術展

2013年07月03日 | ぶらりぶらり

第10回彩工芸美術展が7月1日~3日まで盛岡市エスポワ―ルいわてで行われました。この会はこじんまりとしており、出展者は30名でした。出展者は女性がほとんどで男性は5名でした。他の展示会・美術展においても出展者は女性が多いですね。













次の作品は、私の陶芸品です


菓子器





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啄木の歌

北の海白きなみ寄るあらいその紅うれし浜茄子の花

小樽日報 明治40年10月15日号 藻しほ草
匿名であるが啄木の作品として取り扱われている

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啄木歌碑と岩手山(2)

2013年07月02日 | 啄木歌碑
啄木は「おもひでの山 おもひでの川」とうたっていますが、おもひでの山は岩手山なのでしょう。秀峰岩手山は盛岡市、八幡平市など多くの町から見ることができます。このため、啄木の歌碑も岩手山を背景にしたものが数か所あります。


啄木望郷の丘の啄木歌碑

岩山は盛岡中心部から近いこともあり、啄木さんもよく登っていたようでした。現在は高校生がクラブのランニングで来たり、早朝の散歩の方、山菜とりの方等多くの人が利用しています。
この岩山の頂上付近に啄木没後70年にあたる昭和57年に啄木望郷の丘をつくり、啄木像と啄木夫婦の歌碑を設置しました。
展望台からは盛岡が一望できます。盛岡に来た時にはぜひ訪ねてみてください。






啄木と啄木夫婦の歌碑











汽車の窓
はるかに北に故郷の
山見え来れば襟を正すも
石川啄木


光り淡く
こほろぎ啼きし夕より
秋の入り来とこの胸抱きぬ
石川節子

二首とも啄木の直筆から集字