(55)旭川観光物産情報センターの歌碑 平成24年4月建立(『一握の砂』より)
啄木は明治41年1月20日、小樽から釧路に向かう途中、旭川で一泊、旭川に関する歌4首を詠んでいま
す。
JR旭川駅構内の旭川観光物産情報センターに、この時の歌を刻んだ啄木像が、没後100年に当たる平成
24年に建立されました。
旭川観光物産情報センターの歌碑
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の宿屋安けし我が家のごと
伴なりしかの代議士の口あける青き寐顔をかなしと思ひき
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと泊りし宿屋の茶のぬるさかな
水蒸気列車の窓に花のごと凍てしを染むるあかつきの色
啄木日記
明治41年1月20日
曇天。十時半岩見沢発。途中石狩川の雪に埋もれたのを見た。午后三時十五分当旭川下車、停車場
前の宮越屋に投宿。旭川は小さい札幌だ。戸数六千、人口三万、街衢整然として幾百本の電柱の、一
直線に列んでるのは気持がよい。北海旭新聞を訪問した。日が暮れて白石氏も着いた。晩餐を済まし
て、“雪中行”第二信と手紙数本をかいて就寝。
啄木は停車場前の宿に一泊しました。以前、私が、旭川を訪れたときには、宿の跡地に西武デパート旭川
店が建っており、その一角に「啄木宿泊の地」の標柱が立っていました。現在デパートは閉店したようです
が、どのようになったのでしょう。
「啄木宿泊の地」の標柱
。
あ