たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市所在文化財(13)

2023年11月21日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。渡邊喬著「盛岡まちさんぽ」からです。

前回までは、国指定の、有形文化財、民族文化財、記念物、国認定文化財・重要美術品,、国登録文化財を載せてきました。

今回は、岩手県指定有形文化財です。

 

岩手県指定有形文化財

 

(ⅰ)建造物

  木津屋住宅        盛岡市南大通

 

 

木津屋本店が建てられたのは天保5年(1835)といわれています。この付近は惣門といわれ、江戸時代は城下町の南の玄関口として、奥州街道沿いに盛岡の代表的な商人が店を構え、蔵が建ち並び、活気のある様相を呈していました。この建物は、当時の商家の面影を残す数少ない町家の一つであり、現在もお店の事務所として使用されています。隣接する土蔵も、県指定の有形文化財で、現在も仕分け棚や収納箱などが保存されているようです。家の側面は主屋、渡廊、土蔵と一続きの白壁で、随所に小窓が配されています。また、防火と防盗への細かい配慮がされているようです。

 

(ⅱ)工芸

   時 鐘   奥州路磐手郡盛岡県城北更鐘   盛岡市内丸

 

盛岡城下の時鐘(ときがね)は、江戸時代、河南地区と河北地区の2か所にありました。有形文化財のこの鐘は河北地区の三戸町の時鐘にあたります。この時鐘は、第4代盛岡藩主・南部行信の発願により三戸町(現在の中央通3丁目付近) の時鐘として鋳造されたもので、延宝7年(1679)に設置されました。鐘の大きさは、竜頭まで2m、惣廻り3.8m、指し渡し1.2m、輪口の厚さ0.15m、重量3.6㎏あります。鐘として鋳造後340年に及び、貴重な文化財といえます。鐘は明治維新後に現在地に移設され、昭和30年頃までは盛岡の人々に時刻を知らせていたようです。

 

(ⅲ)考古資料

 (a) 衝角型冑   遺跡の学び館所蔵       盛岡市本宮字荒屋 

衝角型冑は上田蝦夷森1号古墳から出土しました。上田蝦夷森1号古墳は県内の末期古墳の中では古い段階に位置づけられます。ここから出土された衝角型冑1頭、土師器(甕型)1箇、刀子1口、環状錫製品2組、琥珀3箇は、いずれも古墳の被葬者、製造年代等を考える上で貴重なもので、県指定文化財に指定されました。特に衝角型冑は、東北北部の古墳から発見された例としては最初のものであるばかりでなく、全国的にも7世紀代の衝角型冑の例として貴重なものです。この古墳の築造年代は、7世紀の中頃と考えられています。なお、この冑と次の灰釉壷の写真は、遺跡の学び館から提供いただきました。

 

(b) 渥美灰釉壷     遺跡の学び館所蔵

 

盛岡市繋の一本松経塚から出土した愛知県の渥美半島周辺に分布する渥美窯産の灰釉壺で、12世紀前半のものと考えられています。灰釉(かいゆう)とは、草木などの灰を使った釉薬をかける技法のことです。この壷は、口縁部の一部が欠けていますが、口縁部は薄い玉縁で、肩部はなで肩で胴長の形をしています。胎土(材料の土)には、黄白色の粘土を使い、全面に黄土色の灰釉がかかっています。岩手県内では、平泉は東日本随一の陶磁器類の消費地であり、渥美窯製品も数多く出土しており、本品も平泉経由で招来した可能性が高いと考えられています。平泉と出土地周辺との関係性を考える上で、また平泉文化の平泉以外の地への影響を考える上でも重要な資料で、盛岡と平泉との繋がりを考える貴重な資料となります。

 

(ⅳ)古文書

    原敬 日記     原敬記念館所蔵    盛岡市本宮

 

 

指定された文化財は、原敬の明治8年から大正10年までの自筆日記83冊と、絶筆メモ4枚、本箱1台です。日記には、公私にわたる面談者との談話や閣議などの内容なども記されており、貴重な政治資料にもなります。写真の日記は大正3年10月20の部分で、「仙北町の小学校が先般分校より独立の一校となりしにより、本日記念の運動会をなすということにて、余招待せられて・・・臨席したりるも、・・また、新停車場(現・仙北町駅)余の在職中計画せしに、目下工事中にて本年中には落成すべしという。・・・」と記されています。この日記の写真は、原敬記念館から提供いただきました。なお、岩手県指定有形文化財42件表1に示します。

 

 

          表1  岩手県指定有形文化財(42件)

指定順

指 定 年 月 日

種 別

文  化  財

所  在  地

 1

昭和58年4月26日

建造物

木津屋池野籐兵衛家住宅

盛岡市南大通二丁目3-20

   2

昭和50年3月4日

工芸

花菖蒲に蝶図鐔 銘 盛岡住橘孝家造

盛岡市上田 岩手県立博物館

   3

昭和50年3月4日

工芸

脇指 銘 新藤國義

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

   4

昭和51年3月23日

工芸

脇指 銘 手柄山甲斐守正繁

盛岡市上田 岩手県立博物館

   5

昭和51年3月23日

工芸

短刀 銘 平安城長吉

盛岡市仙北2丁目

  6

昭和51年3月23日

工芸

雲龍図鐔 銘 月舘源知道製

盛岡市仙北2丁目

   7

昭和51年3月23日 

工芸

太刀 銘 奥州南部盛岡住新藤源義正

盛岡市内丸 櫻山神社

   8

昭和55年3月4日

工芸

鉄杢目鍛菊花鐔 銘 橘孝家造

盛岡市上田 岩手県立博物館

   9

昭和55年10月3日

工芸

銀本小札紫糸威二枚胴具足 兜

盛岡市上田 岩手県立博物館

  10

昭和55年10月3日

工芸

鯰尾兜

盛岡市上田 岩手県立博物館

  11

昭和55年10月3日

工芸

刀 銘 奥州舞草友長

盛岡市上田 岩手県立博物館

 12

昭和55年10月3日

工芸

刀 銘 新藤源義國

盛岡市上田 岩手県立博物館

13

昭和55年10月3日

工芸

槍 銘 濃州之住長俊

盛岡市上田 岩手県立博物館

14

昭和56年12年4日

工芸

孔雀石微塵塗鞘大小拵

盛岡市仙北2丁目

15

昭和56年12年4日

工芸

竹図鐔 

盛岡市仙北2丁目

16

昭和56年12年4日

工芸

卯花威紅羅紗地唐獅子牡丹文二枚胴具足

盛岡市上田 岩手県立博物館

17

昭和57年3月30日

工芸

太刀 無銘 伝 山城

盛岡市八幡町 盛岡八幡宮

18

昭和57年3月30日

工芸

脇指 無銘 伝 新藤國義

盛岡市八幡町 盛岡八幡宮

19

昭和58年4月26日

工芸

短刀 銘 奥州津住森宗

盛岡市上田岩手県立博物館

20

昭和58年4月26日

工芸

紺糸威最上胴具足

盛岡市上田岩手県立博物館

21

昭和60年2月5日

工芸

黒羅紗地唐獅子牡丹文二枚胴具足

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  22

昭和60年2月5日

工芸

丸に石畳紋透し鐔(つば)

盛岡市上田1丁目

  23

昭和60年12月27日

工芸

鉄錆地十二枚張兜鉢

盛岡市上田字松屋敷 岩手県立博物館

  24

昭和60年12月27日

工芸

盛岡市八幡町 盛岡八幡宮

  25

平成11年11月2日

工芸

雉子尾雌雄御太刀

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  26

平成11年11月2日

工芸

前装式火縄銃

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  27

平成14年5月14日

工芸

南部家伝来打毬装束

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  28

平成15年4月30日

工芸

南部家伝来陣羽織 等

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  29

平成15年10月3日

工芸

金小札茶糸縅二枚胴具足

盛岡市上田字松屋敷 岩手県立博物館

  30

平成25年4月3日

工芸

南部家伝来提帯

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  31

平成26年4月22日

工芸

南部家伝来具足下着

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  32

平成27年11月6日

工芸

時鐘 奥州路磐手郡盛岡県

城北更鐘

盛岡市内丸3-7

  33

平成29年4月7日

工芸

白檀塗合子形兜

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  34

平成3年3月29日

古文書

豊臣秀吉朱印状

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  35

平成5年6月4日

古文書

盛岡藩雑書

盛岡市内丸 もりおか歴史文化館

  36

平成30年4月13日

古文書

原敬日記

盛岡市本宮四丁目 原敬記念館

  37

昭和29年4月5日

彫刻

木造十一面観音立像

盛岡市玉山字一笠 東楽寺

  38

昭和49年2月15日

彫刻

木造仁王像 等

盛岡市玉山字一笠 東楽寺

  39

平成21年3月31日

絵画

紙本著色鍛冶神図

盛岡市上田字松屋敷 岩手県立博物館

  40

平成6年5月17日

考古資料

上田蝦夷森古墳群出土品

盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館

  41

平成20年3月4日

考古資料

山屋館経塚出土品

盛岡市上田字松屋敷 岩手県立博物館

  42

平成26年11月7日

考古資料

渥美 灰釉壷

繋の一本松経塚出土品

盛岡市本宮字荒屋 遺跡の学び館

 

 

 


盛岡市所在文化財(12)

2023年07月16日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。渡邊喬著「盛岡まちさんぽ」からです。

前回までは、国指定の、有形文化財、民族文化財、記念物、国認定文化財・重要美術品,、国登録文化財の内、建造物を載せてきました。

今回は、国登録文化財の名勝地です。

 

国登録文化財

国登録文化財は、所有者の要望により推薦、選定の上で台帳に登録され、緩やかな規制のもと、地域の財産として、みんなに周知してもらい、使い続け、住み続けながら守っていきましょう、というものです。今回は、国登録文化財の内、名勝地です。

(21)南昌荘庭園  清水町

 

南昌荘の庭園は明治18年、盛岡市の実業家・瀬川安五郎の邸宅の庭園として作庭しました。南昌荘では明治42年、伊藤博文が韓国皇太子李垠殿下とともに盛岡を来訪した時、歓迎の園遊会を開催しています。南昌荘は、その後、金田一勝定、穀町の呉服卸商赤澤多兵衛と所有者がかわり、昭和62年からは、いわて生活協同組合の所有となっています。広い廊下や縁側を持つお座敷もあり、作品の展示会、お茶会、コンサートなど多彩な催し物や、俳句会、趣味の会の会場としても親しまれています。

 

(22)旧南部家別荘庭園 愛宕町

 

旧南部氏別邸庭園は、藩主の別荘地でした。明治41年に南部家第43代当主南部利淳により、木造建築と庭園が整備されました。庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心とし、池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。国の文化財登録制度は、建設後50年を経過したもので、(1)国土の歴史的景観に寄与しているもの、(2)造形の規範となっているもの、(3)再現することが容易でないもの、のいずれかに該当するもので、指定制度よりも緩やかな保護措置を講じることで、幅広い文化財の保存と活用を図るための制度です。

   


盛岡市所在文化財(11)

2023年01月02日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

前回までは、国指定の、有形文化財、民族文化財、記念物、国認定文化財・重要美術品を載せてきました。

今回は、国登録文化財です。

 

国登録文化財

国登録文化財は、所有者の要望により推薦、選定の上で台帳に登録され、緩やかな規制のもと、地域の財産として、みんなに周知してもらい、使い続け、住み続けながら守っていきましょう、というものです。今回は、国登録文化財の内、建造物です。

 

(18) 岩手県公会堂(建造物)            盛岡市内丸

 

 

公会堂の設計は、大隈講堂や日比谷公会堂を設計した佐藤功一氏が担当し、昭和2年に創建されました。当初は県会議事堂・大ホール・西洋料理店・皇族方等の宿泊所と4つの用途を備えており、当時としては高層の建築物で、塔屋からは盛岡の町が見渡せたといいます。現在は大ホールや16室の部屋があり、習い事、制作・文化活動の場としても利用されています。

 

(19) 旧南部家別邸(建造物) 盛岡市愛宕町

 

 

旧南部家別邸(現・中央公民館別館)は、和洋の意匠を織り交ぜた明治期建築の造形の規範となる建物として、文化財保護法に基づき平成25年に有形文化財に登録されました。旧南部家別邸は、明治41年、旧盛岡藩主南部家の別邸として新築されました。設計は東京駅や旧盛岡銀行本店などを手がけた葛西萬司氏です。その後、建物は昭和55年に改修され、現在は中央公民館別館として市民に親しまれています。

 

 (20) 米内浄水場(建造物、現・盛岡市水道記念館) 盛岡市上米内

 

文化財の対象は、米内浄水場の水道記念館、出水井、ろ過池調整室、緩速ろ過池、緩速系沈殿池、緩速系着水井です。昭和7年に工事が着手され、昭和9年に完成しました。旧管理事務所兼管理者住居(現・盛岡市水道記念館)は、木造平屋建てで屋根は瓦葺で、正面外観は左右対称になっています。出水井上屋は、鉄筋コンクリート造平屋建てで、八角形の平面が特徴です。ろ過池は鉄筋コンクリート造です。

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(10)

2022年12月07日 | 啄木歌碑

盛岡市に所在する文化財です。

前回までは、国指定の、有形文化財、民族文化財、記念物を載せてきました。今回は、国認定文化財・重要美術品です。

国認定文化財・重要美術品とは、旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」により認定された美術工芸品等です。同法は昭和25年に廃止されましたが、認定されている物件については、当分の間、その効力を有するとされています。

 

国認定文化財・重要美術品

(17)  上ノ橋の青銅擬宝珠 

 

  

 

 

上ノ橋は、盛岡藩初代藩主(南部家27代当主)南部利直によって、盛岡城築城にあわせて中津川に「中ノ橋」、「下ノ橋」と共に架けられました。上ノ橋の青銅製の擬宝珠は、元々は南部氏の居城であった三戸城下の川の橋にありましたが、盛岡城築城の際に鋳直されて取り付けられたようです。上ノ橋は何度も流出という災難にあったにもかかわらず、現在、慶長14年銘のものが8個、慶長16年銘のものが10個、合計18個の擬宝珠が取り付けられています。この擬宝珠は昭和20年に国の重要美術品に認定されています。

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(9)

2022年11月24日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

前回までは、国指定の有形文化財・民族文化財、記念物の史跡、天然記念物を載せてきました。今回も、記念物の天然記念物を載せます。

 

国指定記念物

今回は天然記念物のシダレカツラです。

盛岡にある国指定記念物は、前回示した史跡2件と天然記念物2件、今回のシダレカツラ3件の、合わせて7件です。

カツラの枝は普通斜上しますが、盛岡市には枝が垂れ下がるシダレカツラが3株あり、珍しい物でいずれも国の天然記念物に指定されました。原木は岩手県大迫町の山中で発見され、妙泉寺境内に移植されたものだそうです。この原木のひこばえが現在、瀧源寺、肴町および門に現存します。

 

(14) 肴町のシダレカツラ    盛岡市肴町

 

カツラは普通斜上しますが、肴町のカツラは枝が垂れ下がるシダレカツラで、極めて珍しく国指定記念物(天然記念物)に指定されています。原木は岩手県大迫町の山中で発見され、大迫町の妙泉寺境内に移植されたものです。肴町は市内中心部で、この木は商店街裏の駐車場の中央にフェンスに囲まれ聳え、枝は地上近くまで垂れ下がっており、樹形は美しいものです。この他、国指定記念物(天然記念物)のシダレカツラは、盛岡市の大ケ生と門(かど)にもあります。

 

(15) 門のシダレカツラ     盛岡市門

 

(16) 龍源寺のシダレカツラ    盛岡市大ケ生

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(8)

2022年11月15日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

前回までは、国指定の有形文化財・民族文化財、記念物の史跡を載せてきました。今回は、記念物の天然記念物を載せます。

 

国指定記念物

記念物には、史跡、名勝、天然記念物があります。今回は天然記念物です。

 

(12) 盛岡地方裁判所の石割桜                       盛岡市内丸

 

裁判所は盛岡藩の家老・北監物の屋敷跡にあります。裁判所の前庭に石割桜がありますが、北監物の屋敷内の庭にあった巨石が落雷をうけてできた割れ目に桜の種子が飛んできて芽を出し、成長とともに石の割れ目を押し広げていったと言われています。石は花崗岩で周囲が21m、桜はエドヒガンで、樹齢は350~400年以上と推定されます。石の割れ目は北側・南側共に少しずつ広がっているようです。大正9年(1920)に国の天然記念物に指定されました。昭和7年(1932)、裁判所が燃えた時、庭師の藤村氏は着ていた半纏で木を濡らし、石割桜の幹にふりかかる火の粉を消したというエピソードがあります。

 

(13) 龍谷寺のモリオカシダレ           盛岡市名須川町

 

境内にある白色のシダレザクラは、大正9年に国の天然記念物調査委員の三好学博士により発見された新種でエドヒガンオオシマザクラの雑種です。樹性はシダレ性で、シダレヒガンに近く、葉形はソメイヨシノに近く、幹・葉・花の外形がソメイヨシノに似ているが、枝が垂れていること、花の色が白いことが特徴で、幹から直接花を咲かせる姿は、ソメイヨシノとは異なる美しさがあります。国は、城跡、庭園、動物・植物・地質鉱物などのうち重要なものを「史跡」、「名勝」、「天然記念物」に指定し、そのうち特に重要なものについては、「特別史跡」、「特別名勝」、「特別天然記念物」に指定しています。

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(7)

2022年11月04日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財です。

国指定文化財には、(1)有形文化財、(2)無形文化財、(3)民俗文化財、(4)記念物 があります。

このうち、盛岡には、国指定無形文化財はなく、前回までは、国指定有形文化財、民族文化財を載せてきました。今回は国指定記念物を載せます。

 

国指定記念物

記念物には、史跡、名勝、天然記念物があります。今回は史跡です。

 

(10)盛岡城跡    盛岡市内丸

 

盛岡城は三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(南部藩26代藩主)が、慶長2年(1597)、築城を始めたと伝えられ、築城開始から36年後の寛永10年(1633)に南部重直(盛岡藩2代藩主、南部家28代当主)が入城して以降、藩政時代を通じて南部氏の居城となりました。盛岡城は明治の廃藩置県の後、明治5年に陸軍省所管となり、明治7年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しました。その後、明治39年に「岩手公園」として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。平成18年(2006)には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。

 

(11)志波城跡        盛岡市上鹿妻五エ新田

 

 

この場所は、昭和50年代までは「太田方八丁遺跡」とよばれていましたが、発掘調査により、それまで所在地が不明だった古代城柵「志波城」跡であることが判明しました。今から約1,200年前の平安時代に、坂上田村麻呂によって造られた古代陸奥国最北地区の最大級の古代城柵「志波城」です。しかし、雫石川の氾濫により大きな被害を受け、建設から10年ほどで放棄され、新たな城柵「徳丹城」(現・矢幅町)が建設され、その役割を終えました。現在、志波城跡は盛岡市により整備されて「志波城古代公園」になっています。公園内には建物や門、築地塀などが復元されています。なお、盛岡にある国指定記念物の史跡はこの2件です。

 

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(6)

2022年10月21日 | ぶらりぶらり

 

盛岡市に所在する文化財です。

文化財は国、県、市町村が指定しており、指定文化財には、(1)有形文化財、(2)無形文化財、

(3)民俗文化財、(4)記念物 などがあります。

前回までは、国指定有形文化財を載せてきました。

今回は国指民俗文化財です。なお、盛岡には国指定の「無形文化財」はありません。民族文化財は「有形民俗文化財」と「無形民俗文化財」がありますが、盛岡には国指定の「有形民俗文化財」は無く、あるのは、国指定無形民俗文化財の「永井の大念仏剣舞」一点だけです。

 

 国指定民族文化財

  〇無形民族文化財(重要無形民俗文化財)

(9) 永井の大念仏剣舞 

 

 

剣舞は、その芸態によって鬼剣舞、雛子剣舞、念仏剣舞、大念仏剣舞などと呼ばれます。永井に伝承される剣舞は大念仏剣舞で、踊り、歩き太鼓で練り込み、入羽・中羽・引羽と称する各曲を踊り、次いで、笠振り・廻り胴・礼踊の次第で進行します。大念仏剣舞は、円形の大きな台の中央に塔をつけた大笠を振るのが特色であり、また、入羽と中羽の頭には必ず「南無阿弥陀仏」の名号を歌にして唱えます。踊り子は花のついた妻折笠を被り、腰には五色の帯を垂らし、手には太刀・扇・唐団扇など、それぞれ違う彩物を持って踊ります。

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(5)

2022年09月29日 | ぶらりぶらり

盛岡市に所在する文化財をまわっています。

文化財は国、県、市町村が指定しており、指定文化財には、(1)有形文化財、(2)無形文化財、

(3)民俗文化財、(4)記念物 などがあり、現在、国指定有形文化財を載せています。

 

国指定有形化財

有形文化財には、建造物、絵画、彫刻、工芸品、書籍・典籍、古文書、考古資料、歴史資料

などがあり、前回までは建造物を載せました。今回は、工芸品です。

 

B. 工芸品

 (7)銅 鐘    もりおか歴史文化館     

この銅鐘は元禄15年(1702)、奥州釜石の海岸で、漁網にかかったものと伝えられています。「金ノ大(泰)和六年正月日」の銘がある朝鮮鐘です。泰和六年は、我が国の建永元年(1206)に当たります。大きさは、総高57.8cm、口径38.18cmで、笠形の大きさは径23.3cmです。笠形の大きさに比して口径が広く、これに対し、鐘身がやや長いため、その外郭は美しい曲線をしています。盛岡藩では、菜園鐘と呼ばれていたようです。

 

    

 

(8) 深鉢形土器    遺跡の学び館      

深鉢形土器は伏甕(ふせがめ)ともいわれ、用途については、胎盤埋納説、住居建設の際の地鎮説など、さまざまな説が挙げられていますが、どの説も確証には至っていないようです。この深鉢形土器の出土は昭和26年、繋小中学校校舎増築に伴う敷地造成工事の際にみつかった縄文時代中期の底部穿孔土器7 点の内の1点です。文化財となった7点の土器は逆さの状態で見つかりました。盛岡の奥座敷、繋温泉郷は縄文の太古より人々の営みがあり、遺跡からは人や文物の往来を語る品々が数多く発見されています。。

 

     

 

工芸品は、この他、もりおか歴史文化館に「白地天鵞絨陣羽織・緋地羅紗合羽」、「地羅紗合羽」の2件、県立博物館に「太刀 銘 助真」、

桜山神社に「刀 無銘 伝来国長作」があり、4件があります。なお、国指定有形文化財は、「重要文化財」と呼ばれます。

 

 

 

 

 

 


盛岡市所在文化財(4)

2022年08月27日 | ぶらりぶらり

盛岡市所在の文化財をまわっています。

 

国指定有形文化財(重要文化財)

(5) 旧佐々木家住宅        岩手県立博物館敷地内

 

旧佐々木家住宅は岩手県岩泉町から県立博物館に移築された農家建築で、木造平屋建て、寄棟、茅葺の曲り屋で、柱には栗材を用いています。曲り家は、岩手県の旧南部領に分布する民家のひとつの形式で、曲りの部分は馬屋として使われました。この家は、藩政時代、岩泉村の肝煎(今の村長)を務めていた人の家と伝えられています。この建物が所在していた岩泉町は、深い山村で、大部分の建物が曲家でした。この建物は岩手県北部の農家として、平面、構造ともに古い形式をもち、貴重な遺構である事から昭和53年に重要文化財に指定されました。なお、重要文化財のうち特に貴重なものは「国宝」と呼ばれ、平泉中尊寺の金色堂などがあります。

 

(6) 旧藤野家住宅         岩手県立博物館敷地内

 

旧藤野家住宅は岩手県江差市から岩手県立博物館に移築保存されている農家住宅です。19世紀前半に建てられたといわれ、建物は直屋形式をとっています。屋根の形は、切妻造、寄棟造、入母屋造などの種別がありますが、屋根が一棟だけで構成されているものを「直屋」と呼び、別棟が組み合わされる形式を「曲り屋」などと呼びます。この建物は江刺地方の典型的な平面構成をしており、当初からほとんど改修されず、江戸時代中期に建てられた農家建築の遺構として貴重な建物で、昭和53年に重要文化財に指定されました。なお、重要文化財のうち特に貴重なものは「国宝」と呼ばれ、平泉中尊寺の金色堂などがあります。

 

 旧藤野家住宅が江刺市(現在は奥州市江刺)から盛岡市の岩手県立博物館に移転された経緯について、岩手県教育委員会に聞きましたら、次のようでした。

〇県教育委員会が行った県内の古民家調査の結果、藤野家住宅が国指定文化財に値するものであると判明した

〇文化庁と協議した結果、重要文化財指定が可能であるとの結論に至り、昭和53年に重要文化財として指定された

〇当時、県立博物館の開館が控えていたことから、藤野家住宅を博物館の展示資料とさせてもらえないか、所有者と交渉し、住宅が所有者から県に寄贈されることとなり、県立博物館(現在地)に移築されて展示資料として活用

 

 

岩手県立博物館

県立博物館入口

県立博物館は岩手県制百年を記念して、昭和55年にオープンしました。地質時代から現代に至るまでの、地質、考古、歴史、民族、生物などの資料が展示されています。また、博物館の敷地には国指定有形文化財「藤野家住宅」と「佐々木家住宅」が移転保存されています。県立博物館は四十四田ダムから歩いて10分ほどの所にあり、この山道は、散歩コースにもなっています。私も以前、この道を歩いていたら、途中、鹿にあい、私もびっくりしましたが、鹿もびっくりしたようで、しばし、にらめっこをしていました。私が目を離すと同時に、鹿は勢いよく逃げ去っていきました。鹿にあっても驚くのに、クマに突然あったら、どうなるのでしょうね。