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たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

彫刻のまち盛岡(25)

2021年01月25日 | ぶらりぶらり

 

今朝(令和3年1月25日)の岩手山

 

 

 

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。この作品のシンポジウムの開催年は不明です。

 

 

29.時の窓  高橋典雄   大通り3丁目バス停前












岩手県のコロナウイルス感染状況

18日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の2人、花巻市の1人、一関市の1人でした。盛岡市の1人はクラスターが発生した職場に勤務している人で、他の3人はそれぞれ別の感染患者の同居家族です。これで、岩手県の感染者の累計は471人になります。

19日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の1人、県央保健所管内の1人、北上市の1人、花巻市の1人の計4人でした。県央保健所管内の1人は県外感染患者の接触者です。花巻市1人は富士大学の学生で、これで富士大学の関連患者は11人になりました。盛岡市の1人、北上市の1人については感染経路を調査中です。県内の感染確認者は475人になりました。

20日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の3人、北上市の3人、花巻市2人の計8人でした。この内、盛岡市の2人は理髪店の従業員で、感染拡大が懸念されるとして店名を発表し、利用者に対し、市の保健所連絡するよう呼びかけました。花巻市の2人は富士大学の学生です。他の4人はコロナウイルス感染者と接触歴がありましたこれで、県内の感染確認者は483人になりました。

21日に岩手県でコロナウイルス感染が確認されたのは県外の女子学生1人でした。この学生は既に感染している患者に接触後、来県しています。これで、岩手県で感染が確認された人の累計は484人になりました。

22日に岩手県でコロナウイルス感染が確認されたのは盛岡市の会社員女性の1人でした。これで、岩手県で感染が確認された人の累計は485人になりました。

23日に岩手県でコロナウイルス感染が確認されたのは盛岡市の10代の学生と、滝沢市の陸上自衛隊岩手駐屯地に勤務する20代の自衛官です。これで、岩手県で感染が確認された人の累計は487人になりました。

24日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の会社員男性の1人で、経路を調査中です。これで、岩手県で感染が確認された人の累計は488人になりました。感染者488人の内、25人が死亡、退院等が416人ですので、現在、入院等の人は47人です。

岩手県の感染者は、ここ4日間で5人と、少なくなっきています。

 

 

 

 


彫刻のまち盛岡(24)

2021年01月18日 | ぶらりぶらり

 

盛岡市内にある盛岡彫刻シンポジウム作品を載せています。この作品のシンポジウムの開催年は不明です。

 

24.負の人体  有馬辰樹   中央通り 清水建設前










 

岩手県のコロナウイルス感染状況

令和3年1月1日、2日の岩手県のコロナウイルス感染者は6人でした。

3日の岩手県のコロナウイルス感染者は3人でした。1人はクラスターが発生した雫石の鶯宿温泉病院に応援に入った看護師さんで、同病院関連は111人になります。これで、岩手県の累計は394人になります。

4日の岩手県のコロナウイルス感染者はゼロでした。ゼロになったのは昨年の12月18日以来です。

5日の岩手県のコロナウイルス感染者は6人でした。北上市の3人は感染拡大地域から帰省した家族1人を含め会食を持っている。一関市の1人は感染拡大地域に出かけている。盛岡市の1人は会食を持っている。他の1人はクラスターが発生している雫石町の鶯宿温泉病院の入院患者で、同病院関連の感染者は112人になります。これで、岩手県の感染者の累計は400人になります。

6日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の2人でした。2人とも県外に移動し、別居の家族らと過ごしています。岩手県の感染者の累計は402人になります。

7日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の2人と北上市の1人の3人です。この内、盛岡市の30代男性の1人は盛岡中央消防署の出張所職員で、同僚職員20人は自宅待機になり、他部署から応援がきてカバーしています。岩手県の感染者の累計は405人になります。

8日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の1人、北上市の3人、一関市の1人、合計5人です。この内、北上市の2人は感染者の家族、1人は親族の感染者と接触歴があったとのこと。これで、岩手県の感染者の累計は410人になります。

9日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の6人と一戸町の1人の計7人です。盛岡市の6人は既に感染している人の家族1人と親族5人で、同じ会食で同席しています。一戸町の1人については感染経路を調査中です。これで、岩手県の感染者の累計は417人になりました。

10日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の5人、花巻市の1人、北上市の1人、久慈市の1人、矢巾町の1人、一戸町の3人で、計12人でした。感染経路は全てわかっているようです。これで、岩手県の感染者の累計は429人になりました。

11日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の2人と矢巾町の1人の計3人でした。感染経路はわかっているようです。これで、岩手県の感染者の累計は 432人になりました。

12日の岩手県のコロナウイルス感染者は2人でした。2人とも感染患者の同僚です。12日現在、感染者の累計は434人で、この内、退院等344人で、入院中60人、宿泊療養中5人です。なお、死者は25人になっています。

13日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の5人、北上市の1人、一関市の1人、釜石市の1人、滝沢市の1人、雫石町の鶯宿温泉病院の入院患者の1人の計10人でした。この内、盛岡市の1人、北上市の1人、一関市の1人の計3人は感染経路不明です。他の7人の感染経路はわかっているようです。これで、岩手県の感染者の累計は444人になりました。


14日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の1人、花巻市の1人、一関市の1人、洋野町の1人と雫石町の鶯宿温泉病院に応援に入った医療従事者です。同病院関連は計114人になります。花巻市の1人は富士大学の学生寮に住む学生のようです。これで、岩手県の感染者の累計は449人になりました。

15日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の1人、滝沢市の1人、北上市の1人、花巻市の2人の計5人です。花巻市の2人は富士大学の学生です。他の3人は既に感染している人からの感染のようです。これで、岩手県の感染者の累計は454人になりました。

16日の岩手県のコロナウイルス感染者は、一関市の3人でした。2人は感染患者の接触者。1人は感染患者の同居家族です。これで、岩手県の感染者の累計は457人になりました。

17日の岩手県のコロナウイルス感染者は盛岡市の1人、花巻市の9人の計10人です。花巻市の9人に内、7人は富士大学の学生で、他の2人は既に感染している人からの感染のようです。盛岡市の1人の感染については地区活動に参加し発症したもようです。これで、岩手県の感染者の累計は467人になりました。

17日現在の岩手県のコロナ患者の状況は、感染確認者の累計は467人です。この内、死者25人、退院等370人、入院中63人、宿泊療養中9人になっています。

 

 


啄木歌碑めぐり(70)

2021年01月01日 | 啄木歌碑

岩手県のコロナウイルス感染状況

28日の岩手県のコロナウイルス感染者は7人でした。この内、3人はクラスターが発生した鶯宿温泉温泉病院関連で、入院患者2人と応援職員1人です。1人は一関市の飲食店店員で、クラスターが発生している一関市大町のスナックの利用者で感染が確認されている人との接触がありました。これで同スナックの関連感染者は17人になります。他の3人は、北上市滞在の女性で、県外の感染者と接触があったもよう。他の盛岡の2人は感染経路を調査中です。これで、岩手県の累計は379人になります。

29日の岩手県のコロナウイルス感染者は1人でした。クラスターが発生している鶯宿温泉温泉病院の看護師です。これで、岩手県の感染者の累計は380人になります。

30日、岩手県でコロナウイルスに感染した人は盛岡市の40代男性と一関市の60代男性の2人です。2人は県外での会食に参加(別々の会食)し感染者と接触を持ちました。また、コロナウイルス患者の65歳未満の1人が死亡しました。これで、感染者の累計は382人、死亡者は24人になりました。

31日の岩手県のコロナウイルス感染者は3人でした。1人は、クラスターが発生している鶯宿温泉温泉病院の応援職員の男性です。他の2人は盛岡市滞在の 20代男性と釜石市の20代男性です。

令和2年でまとめると、コロナウイルスに感染した岩手県の累計は385人です。感染者385人を市町村別に表すと、盛岡市156人、雫石町74、滝沢市36人、宮古市28人、一関市21人、花巻市12人、他の市町村は一桁です。クラスター関連では、雫石の鶯宿温泉病院が多く110人が感染しております。また、死亡者は24人で23人は65歳以上です。感染者385人のうち、死亡者が24人と多いのは、高齢者の多い医療機関のクラスターが原因と思われています。

 

 

(94)啄木一族の墓石の歌(函館市立待岬)        大正15年8月 建立

 

 

 

     東海の

     小島の磯の

     白砂に

     われ泣きぬれて

     蟹とたはむる

 

明治45年7月30日、大正と改元。大正2年5月5日、節子死亡、26歳でした。遺骨は、同年6月22日、函館立待岬の地に、啄木、母、長男の遺骨と共に埋葬されました。現在の墓は、大正15年8月1日、場所を少し移動し、墓石に『一握の砂』の巻頭に掲げる歌を刻んで建立されました。