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たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市指定記念物(5)

2025年03月24日 | ぶらりぶらり

盛岡市指定文化財には有形文化財、無形文化財、民族文化財、記念物があります。民俗文化財には有形民俗文化財と無形民俗文化財があり、有形民俗文化財を載せ、前回は無形民俗文化財を載せてきました。今回は盛岡市指定記念物です。記念物には史跡と天然記念物があり、今回は史跡です。

盛岡市指定記念物

(1)史跡

(ⅰ) 鍛冶町一里塚跡  盛岡市指定記念物(史跡)  盛岡市紺屋町

 

 

慶長期(1596~1615)の築造とみられる鍛冶町一里塚。現在、紺屋町のマンション玄関前に一里塚跡を示す石碑が建立されています。ここは奥州道中筋の宿駅で、秋田街道、宮古街道など盛岡藩領内諸街道の里程を計測する基点で、交通史跡として重要です。鍛冶町一里塚は奥州街道江戸日本橋から139番目の一里塚です。この付近は城下町のほぼ中央にあたり、今も残る江戸・明治の建築物や庭園、町家などを見ることが出来ます。この一里塚には、もと石の標杭があったようですが、文化(1804~)初年期に撤去されたと伝えられています。

 

(ⅱ) 船橋跡 

 

 

明治橋の地点は、北上川舟運の起点であったことから、人が集まり物資の流通も多く、奥州道中筋の要所でした。北上川は雫石川、中津川と合流し、大河の様相を呈し、架橋が難しく当初は舟渡しでしたが、延宝8年(1680)頃に、この場所に舟橋が架設されました。舟橋は両岸に巨大な親柱と中島に大黒柱を立て、20艘ほどの小舟を鉄鎖で係留し、その上に敷板を並べて人馬が往来できるようにし、増水時には敷板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて、「川止め」にしたもので、明治7年(1874)に木橋の明治橋が出来るまで存続しました。舟橋跡は歴史的に貴重な事から昭和41年(1966)に盛岡市指定史跡になりました。

 

 


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