夕暮れのアトリエ。
現在、武内画伯は入浴中。
絵にも夜の絵、昼の絵があり、夜も制作するせいか、昼間にいつも入浴をします。
夜のしじまの時間の絵と昼間に描く絵は、違うらしく、
夜の絵は内省的な絵が出来上っています。
武内はエスキースなしに(下絵なしに)絵を仕上げていくタイプなので、
描いている途中でうまくいかないとその絵を放棄します。
その中で、うまく完成に持ち込めたものが完成です。
アトリエを見ていると試行錯誤の奮闘している姿が思い浮かび、
「頑張っているのね」と思います。
その横で、古典にはまっている私は、松尾芭蕉集(全発句)を読んでいます。
台所で本を読んでいると、何故かヒロクニさんはくっついてくる。
制作の合間だから、息抜きに来ていると思われるが、
本を読んでいるのに、やたら話しかけてくるのです。
こっちも、‘本を読みながら話をするという技術’で応対しているが、
なんか途中で頭がくちゃぐちゃになりそうである。
ヒロクニさんも私に合わせて、「芭蕉は句会で忙しい一面もあるだろう」と言い、
以外に物知りである。
私も変な読み方をしていて、晩年から時間を遡って読んでいっているので、
読むに進むにつれ、芭蕉の年齢が若くなる。
まだ「奥の細道」の旅に出ている頃の所に至っていない。
そんな中、ヒロクニさんに丁度いい句かも?という句を発見して、
声に出して読んで挙げた。
『月花の 愚に針たてん 寒のいり』
この俳句の意味は、
財産もなく、家庭もなく、だだ月よ、花よと優雅に浮れ過ぎしてきた愚かなわが身に、
今年も「寒の入り」の季節がめぐってきた。これからは当分は厳しい寒さの日々が
続くことである。世間の人びとは、厳寒を迎えるにあたって灸を据えたり、鍼を立てたりして、
身を養っているが、私は愚かな私の心に鍼を立てて、厳しい人生の思いを新にしよう。
という意味。と、解説にあります。
私は、絵に打ち込み芸術にいそしむヒロクニさんの姿を重ねて、
「この句があなたには似合っているわ」と言ったが、
後半の句は、寒さに不平不満を言う愚かな愚痴に対して、
ヒロクニさんを戒めるのみぴったりと思ったのです。
「ほら、芭蕉のこの自分に厳しい態度は、すばらしい句を作る、孤高の精神は素晴らしいじゃないか」と、
言うと、ヒロクニさんアトリエにすぐ戻って行ってしまい、私の側から離れて行きました。
ヒロクニさんは、食事中に「オンナで、松尾芭蕉を読む奴はあんまりいないんだ」。とばかり言います。
古典の読書に、松尾芭蕉を選んだのは、
日本画家なのですが「小野竹喬氏晩年の作品、奥の細道シリーズ」というのがあり、
特にその絵が好きであったので、読むことにしたのです。
いつも絵画から触発されて、好奇心の赴くままの読書をします。
小野竹喬氏のその作品を1枚紹介します。↓
句は、「五月雨をあつめて早し最上川」
日本画の中でも、たいへん粋な作品と思い、いつも心にあります。
ヒロクニさんは、ハチャメチャな作品を描くのですが、芸術は芸術性において等価であると考えていて、
好き嫌いはともかく、「こーいう奴には、なかなか勝てない」と漏らすことがあります。
実は、芭蕉の句には、よく最上川が登場します。
流れが急で、雨などが降ると川が増水して、川が渡れなくなると宿でもう一泊となることが多いようで、
とてもよく渡った川であったようで、その船頭の様子の句などもあります。