「ナジャ」と名付けられた作品。
アンドレ・ブルトンは、シューリレアリズム運動の第一人者である。
そして、アンドレ・ブルトン集成1に「ナジャ」という文章があるのです。
それをちょっと読んでから文章を書こうと思っていた。
読み終えると強烈な睡魔に襲われ、昼寝してしまい夕食の準備の時間が来てしまった。
次の日、文章を書こうと「ナジャ」について思いをめぐらしていたら、睡魔に襲われ
また、少一時間寝てしまっていた。頭の中は真っ白な空白。
前半はナジャにあうまでの出来事が淡々とつづられ、その文章がとても風変わりなのです。
ナジャが登場するのは、後半の部分。
部分を引用すると・・・。
『あなたがパリで何をしているかあやしいものですよ』って。かわいそうなお母さん!もし本当のことを
知ったら!」ナジャがパリで何をしているのか、それは彼女自身にもわからないのだ。
そう、晩の7時ごろ、彼女は地下鉄の二等客室にいるのが好きである。彼女はそんな乗客のなかに腰を
おろして、彼らの顔つきから、何がいま彼らの関心になっているのかを見抜こうとする。
(中略)
彼女の目と私の目には、折りしもきらきらと光に映えている河の流れを覗き込む。
「ほらあの手、セーヌに移っているあの手、どうしてあの手は水面で燃えているのかしら?
本当に、火と水とは同じものなのね。でも、あの手は何を意味するのかしら?
あなたはどう解釈する?いやよ、もっとあの手を見せて。どうしてあなたはそんなに先に
生きたがるの?何が心配なの?
(中略)
数ヶ月ほど前に人が来て、ナジャは気が狂っていると私に教えた。自分の住んでいるホテルの廊下で
常軌を逸したふるまいに出たらしく、その結果ヴォークリューズの精神病院に入れられることになったと
いうのだ。
一部の抜粋ですが、ナジャとブルトンの会話が一種独特な感じが繰り返され、ナジャの正体不明の存在、
彼女を、子悪魔的なイメージと妖精のようにとらえるブルトン。
別れは、ナジャの精神病院への隔離。
ブルトンが残したナジャの記憶の文章は、謎は謎のまま究明されず、不思議な空気を漂わせた物語なのです。
そのフワフワと奇妙な物語を読んでいくのは快感もありますが、夢物語のようでもあり、
読んでいるうちに身体から力が抜け、睡魔に襲われる。
いま、抜粋する文章を読んでいましたが、やはり眠気がちょっとしてきました。
ヒロク二さんは「ナジャ」の文章がすごく好きらしく、
ヒロク二さんの「ナジャのイメージ」が上記の作品です。
「ナジャ、何じゃ?」というジョーダンもよく言う、武内ヒロク二です。
「オヤジ・・・・・」と思う妻。
ブログを書こうとは思って、寝ていたので更新が遅くなり、私はあせっていたのです。
しかし、やっと今日書けて良かった。
日本でアングラが終わったとたん、アンドレ・ブルトンを捨て爽やか系になったアーティストが多い中、
ヒロク二さんは、全集をいつも側に置いています。
この花は4月2日の日に飾ってあった花です。
ちょうど桜の写真になっていて、
ニラ花が咲いたころブルーのヒヤシンスとビオラを組み合わせた小さな花たち。
今年は、ニラ花が咲き始めたころ長雨になった為、ニラの花は庭一杯に咲き誇りませんでした。
ちょっと寂しかったかな?