机の上に並べられた作品群
左の空間で制作中。
アトリエから見える、花。
土のままになっている所は、球根を植える予定。
切り戻しをしたサルビアが赤い花をもう一度咲かせています。公園などでサルビアをよく見かけるけれど、自宅で少し植える方が綺麗に感じました。深緑の葉と赤い花の対比がいいなぁと思います。スーパーで半額で50円で買った苗で期待せず育てていたのですが、綺麗だなと何度も思いました。黄色い花は、よく行く花屋さんが、少しボロくなっているからと言って、オマケしてくれたものですが、たくさん花を付けています。花を育てる心構えとしては、「さらっとした気持ち」が大切なのでは?と思います。「花咲かんか!!」と昔話にある、花咲か爺さんの「隣りの欲張り爺さんのように欲が渦巻く気持ち」で花に接していると、育ちが悪くなるのかもしてません。
そんな花を巡っての出来事がありました。
ヒロクニさんに三度も踏みつけにされたジギタリス。
大きさが分かるように、靴と一緒に写しました。
カモミールの種から育てた苗が大きくなったので、植え替えをしていたら、ヒロクニさんは庭に出てきて草取りを始めた。いつも一緒の空気を吸いたいヒロクニさん。一緒に庭仕事をしている気分になりたいらしい。「可愛い人と思おう」と思い「草取りしてくれてありがとう!」と言って、現場に近づいて行った。7月12日に植えつけた「ジギタリス」が踏みつけられて、葉っぱがちぎれている・・・・。隣りに植えた「アルセア」というフリルのような花をつける30cmもの大きさになっている苗も踏みつけられ、横に倒れていた。「ジギタリス」は5苗植え、3苗は暑さで死滅してしまっているのだ。それに、二年草で咲くまで時間がかかるのだ。「ジギタリス」に、わたしは執着していて、そのジギタリスの姿を見た時、涙が出そうになった。
「なんで、草取りなんかするの・・(怒)」
「これで3度目よぉ(怒)」
「なんでここまで大きくなっている葉を見てわからんのぉ!(怒)」
「もう何も手伝わないで(怒)」
「無神経すぎる(怒)」
「何回注意したら、わかるんや(怒)」
本の題名は忘れたが、太宰治の小説の中で、太宰が幼少の頃、思いやりからお百姓さんの畑の草引きをしたら、所詮お坊ちゃんの真似事で役に立ってないから、全然感謝されず、迷惑がられ「そんなこと、してくれるな」。と言われる箇所があった。高校生だったわたしは、その気持ちだけでもくんであげることを、何故お百姓さんは出来なかったのか?わたしだったら、「ありがとう」の一言ぐらい言うと思うけど・・・。と長く思っていた。
しかし、ジギタリスが踏まれた瞬間、お百姓さんの気持ちがわかった。きっと、こういう感じよね。
罵倒しまくっていたら、フッと変な感情がおそった。「夫婦はしょせん他人だから」とよく言う人がいるが、罵倒していると他人ではなく「肉親」のような感情がこみ上げてきたのです。親子喧嘩や兄弟喧嘩のような感じで、ヒロクニさんは、わたしにとって「肉親」になってしまった。この感情は、新しく感じた感情である。とても、不思議な感情です。
私達は、あと3年したら「銀婚式」を迎えるらしい・・・。