キタハマ猫がそわそわとしきりに窓の外をみていた。
それが、今日の猫日和の始まり。
一心不乱に見ているので、近寄って同じように外をみた。
なにも見えない。
キタハマは、じーと見ている。
今度は、外に出て見ている辺りを観察しに行くと、いたのです。
こんな小さな子猫が・・・。どうもお母さん猫とはぐれてしまった様子。我が家の周りは、野良猫の多い地域で珍しい光景ではない。子猫をひょいとつかみせめて、お腹だけは一杯にと思い、キタハマの餌場に連れていった。
かつお節を食べ終わったら、隣のキャットフードのカリカリを食べるのに必死!
ウォー、ウォーと唸りながら食べている姿が不憫である。あと、水を飲ませて一丁上がり。旅の支度は出来たというわけです。
まわりでうろつくキタハマの顔には、敵意が満々だ。頭のいいキタハマは自分のポジションが危うくなっているのではないか?と頭が働くみたい。猫なりに「嫉妬」がメラメラと燃えてきているのが分かる。
ヒロク二さんは、猫を飼ってから猫好きになってしまって「こいつは、強そうだな」「顔が可愛いねぇ」「こいつと写真撮って」ということで撮影。わんぱくそうな顔の猫だ。この猫は雄猫でした。
抱き上げる猫ちゃんをアップで。
ヒロク二さんは、なかなか離そうとせずジーパンを干している所まで持って行き、撮ってくれと。わたしは撮影係りであり、飯の係りであり、洗濯の係りであり、話相手であり、買い物の係りであり、家計を預かり、ヒロク二さんの話をインタビューしてテープに吹き込み、それを起こしたり、喧嘩相手でもあり、文句も聞く。今日は、太宰治の話を聞いていた。以前のわたしは、太宰治は毛嫌いしていたけれど「女友達」という短編集を読んでから、思い違いをしていたのに気がついた。太宰治文学の毒が怖かったのは確かだけれど、その中にある独特の楽しさにまったく気がついてなかったのが解かったのです。だから、嫌だったのだ。ヒロク二さんは「太宰も死なずに、ここまで生きて(自分が72歳だから、72歳まで生きて)小説を書けば良かったのに」とよく言います。
最後にこいつが来た。ちょこちょこ顔を出す猫なのですが、ここしばらく来なくて、「ガギーちゃんは最近来ないね」と噂をしていたのです。鳴き声が「ギャギー」なのでガギーちゃんと呼んでます。「僕、来たよー」という感じで、ドカッと庭に横たわる。猫のえさ「カリカリ」が目当てです。この猫は、何故かキタハマの友達猫。重くて抱けない!腕からずり落ちるのです。