梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

黒衣、お役御免!?

2007年02月10日 | 芝居
「四段目」には、石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門を、<高合引>に座らせるために出てくる2人のほか、黒衣の後見は出てまいりません。いくら<黒衣はいないつもり>とは申せ、あの場あの雰囲気の中で裏方としての仕事を<公然と>するのは大変緊張いたしますし、どうすればより目立たないですむか、あれこれ考えながら勤めております。
ところがこのひと幕に、後見を全く出さないやりかたがございまして、それが関西に残る演出となっております。後見としての仕事を、全て<諸士>が演技としてやってしまうもので、私が過去携わった『忠臣蔵』はみな関西演出でしたから、実際その演出を拝見しておりますので、ご参考までに紹介いたします。
諸士、つまり裃姿の侍が、上使が腰掛けるときの介錯をするのですが、<高合引>ですと、見えないつもりということになってしまいます。役を演じる者がそういうモノを扱うのは矛盾してしまいますので、<葛桶(かずらおけ)>を使いまして、これに上使2人がが腰掛けることになるのです。同じような例では、『伽羅先代萩』で栄御前が、やはり腰元が差し出す葛桶に座ります。
銀襖に囲まれた空間で、黒尽くめの後見が動くよりも、最初から<上使のための用事をする>侍が立ち働いたほうが、ある意味では合理的かもしれません。また一方では、大仰に過ぎるという考え方もありましょうから、これはどちらがどうとはいえないものでございまして、演出方針の選択肢、どれが選ばれるかは公演ごとの主旨、意向によるわけです。

ちなみに関西演出では、いざ切腹という段になりますと、上使2人は白緒の草履を履き、刀の柄に懐紙を巻きます。これは、死穢を避けるという意味だそうですが、そういう風習が実際あったのでしょうか。このとき使う履物、懐紙も、諸士が予め懐中しておき、履かせたり、柄に巻いたりさせることになります。
さらに関西では、石堂が退席する際、上意書を判官の亡骸にのせるときに、持っていた扇子(天地金の中十間)のカナメを壊して骨をバラバラにし、その上に上意書を置いてのせることが多いです。関東の演出では、普通にひらいた扇子にのせるだけか、扇子を使わず上意書のみ遺骸にのせることがほとんどです。

それぞれの演出に、理由があるわけですが、見た様も、うける印象もだいぶ変わることでしょう。そういう色々なやり方があるのが歌舞伎の面白さだと思います。こと『忠臣蔵』は東西の違いがはっきりしていますので、また日を改めてご紹介させて頂きますね。