石原プロの元専務である小林正彦さんが10月30日にご逝去なされたことが発表されました。
80歳。
石原プロの金庫番としての役割、「興行」や「ビジネス」という部分で良い部分も悪い部分も背負って、裕次郎さんや渡さんや石原プロのブランド力を維持するのに懸命になってダンプカーのように活躍した印象が強く残っています。
他の芸能人が社長のプロダクションが次々に店じまいする中で、今でも石原プロが存在しているのはまさにコマサさんのおかげだと言っても良いのではないでしょうか。
裕次郎さんは太陽には「一出演者」という御立場だったので、表向きには石原プロの関与は無いことになっていますが、裏舞台では裕次郎さんなどのマネージメントや、企画やキャスティングなど影響力はあったと思います。
太陽では発言力としては裕次郎さんが大きい部分があったようですが、裕次郎さん大病中からの太陽側の交渉はコマサさんが窓口になっていたようなので、西部署との出演調整とか、出演時間が限られる裕次郎さんのスケジュールの割り振りに奔走なさったのは容易に想像できます。
確かに、コマサさんが石原プロを辞められてから、作品のソフト化が加速して、今では大都会がBS11でほぼ毎日放送されています。(先日から早朝で『大都会・闘いの日々』が再放送されています。)
これが良かったのか悪かったのかは、今はまだ判りませんが、対メディアの戦略としては有効な部分もあったと思います。
しかし、大掛かりな事をやり遂げてきた方々が亡くなっていくのは寂しい限りです・・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
80歳。
石原プロの金庫番としての役割、「興行」や「ビジネス」という部分で良い部分も悪い部分も背負って、裕次郎さんや渡さんや石原プロのブランド力を維持するのに懸命になってダンプカーのように活躍した印象が強く残っています。
他の芸能人が社長のプロダクションが次々に店じまいする中で、今でも石原プロが存在しているのはまさにコマサさんのおかげだと言っても良いのではないでしょうか。
裕次郎さんは太陽には「一出演者」という御立場だったので、表向きには石原プロの関与は無いことになっていますが、裏舞台では裕次郎さんなどのマネージメントや、企画やキャスティングなど影響力はあったと思います。
太陽では発言力としては裕次郎さんが大きい部分があったようですが、裕次郎さん大病中からの太陽側の交渉はコマサさんが窓口になっていたようなので、西部署との出演調整とか、出演時間が限られる裕次郎さんのスケジュールの割り振りに奔走なさったのは容易に想像できます。
確かに、コマサさんが石原プロを辞められてから、作品のソフト化が加速して、今では大都会がBS11でほぼ毎日放送されています。(先日から早朝で『大都会・闘いの日々』が再放送されています。)
これが良かったのか悪かったのかは、今はまだ判りませんが、対メディアの戦略としては有効な部分もあったと思います。
しかし、大掛かりな事をやり遂げてきた方々が亡くなっていくのは寂しい限りです・・・・。
ご冥福をお祈りいたします。