【ファミ劇日誌 ミニ】
うん・・・
やはりあの2作は連続して観るものじゃないですね・・・
ジーパン殉職編の余韻をたっぷり一週間味わいたかったというのはあります。
それに、太陽の歴史的にもこの2作は終わりと始まりですから、何となく何かがうやむやになっちゃった気がします(^_^;)
2話連続の欠点かと。
第111話 ジーパン・シンコ、その愛と死
先にも書いたように、太陽第一期の終焉、キャラクター自体もこの作品で最後(とりあえずも含め)はジーパン・シンコ・宗吉・たきの4名ということになり、何れも主要メンバーとして太陽の一時代を築いた面々ばかりか、番組の主役がこぞって消えるというある意味マカロニの死の52話以上の終末であります。
さらに、太陽の歴史の中でも1982年に次いでの変革期だったということになると思います。
大人の事情様々あったようですが、太陽が当初の企画を色濃く継承していた部分のある意味かなりの部分をここで一区切りつけた記念すべき作品という位置付けも忘れてはならないところだと思います。
ジーパンとしても、刑事としての本格的な出発がここで描かれているわけですが、最終的に残った「腕っ節が強い」部分の誤解と、刑事として人間として、犯人にどう向き合うかというせめぎ合い、それを暖かく見守る同僚。
何となく安定感があります。
マカロニと確定的に違うのが、危うさが無いこと。
観る側も、一係のメンバーもジーパンの行動に安心感を持っているというか・・・それなので、助けた男・会田に撃たれるという最期が強烈に栄えるんだと思います。
解っているけど、やっぱりジーパンが死ぬというのがあまり実感がわかないというか。
その安定感はシンコにも言えることであって、彼女もある意味腹を括っているところがあるので、安心して観ていられますが・・・。
優作さんも軽快に演じている部分と、銃撃戦からの鬼気迫る演技と、バランス良く演じられています。
無論殉職シーンはその最たる「結果」ではあると思います。
ラスト、ボスがシンコに対して何も言えないというのは、視聴者をある意味「代弁」している感じがします。
あまりにも意外だし、解ってはいるけど言葉には成らない、悲しみというよりは唖然としてしまっているというか・・・。
この作品は、その後の殉職編に多大な影響を与えます。
テキサスの殉職はある意味ジーパンの銃撃戦に対してのアンチテーゼだし、誰かを必死に助けると言う部分はボンや他の殉職に繋がります、最たるものはゴリさんの殉職で、急遽構想されたためか本作と「ダーティなゴリ」とそのアンチテーゼをベースに置いている感じがします。
さらに選曲のイメージもこの作品がベースになった感じ(青春のテーマバリエーションを積極的に採用)もあります。
いや、改めてこの作品の大きさを思い知りました・・・。
宗さん、現役時代は「犯人はあくまでも犯人」という考えだったんでしょうか。
それを、殺意をもって拳銃を人に向けた時に思い知って、飯屋のおやじになったんでしょうか。
いろいろ、考えさせられます。
しかし、画像が綺麗で良いです。
本来であれば日中に撮影を終えるところが、日暮れまで撮影が押してしまったためにジーパンの最期は真っ暗でしたが、それもまた無情さに輪をかけます。
ラストとの整合性がとれていませんが、それを忘れさせるほどの画面からの力を感じます・・・・。
ちなみに本作は石原プロからも応援「悪役」が登場、苅谷さんと大都会シリーズでお馴染みの森正親氏(額に切り傷の男)が出演、他にも大宮幸悦氏、新井和夫氏、小坂生男氏、壇喧太氏と豪華絢爛です。
第112話 テキサス刑事登場
新生太陽(第二期)の始まり。
それまでのスター性重視的な部分から、本格的にオールスター性に移行したと言ったら解りやすいかもしれませんね。
レギュラー皆人気が出て、さらに番組を継続していくのであれば、道はこれしかなかったと思いますが、それにしても方法が巧みだと思います。
普通の感覚であれば、視聴率さらなる向上に人気スターを投入するところですが、演技の経験が殆ど無い勝野さんを入れることにより逆に活性化を図るというある意味バクチ的な攻めは、周りの地盤が固まって、かつ頭に裕次郎さんが居る太陽ではないと難しかったと思います。
押し出し全開のテキサス、それを補うゴリさんと他のメンバー。改めてマカロニ登場編と同じように「おのおののやり方」を披露する一係のメンツ。
そこにスポ根の要素を入れてアクション全開という、しばらく登場編の基本になるような展開がこの作品で再整理されている感じがします。
テキサスはコンプレックスが無いように見えますが、初期の意固地な部分と不器用な部分がその代わりといっても良いと思います。
前任の2人は固執するところはあってもある程度は柔軟でしたが、テキサスはその柔軟さを備えるのにちょっと時間が掛かります。しかし、その不器用なぶつかり合いがテキサスの魅力でもあると思います。
とは言いつつも、逮捕術に関しても拳銃の腕にしても既に安定しているんですが・・・。
テキサスはゴリさんにぶん殴られていないのはなぜか・・・
多分、あの復讐心メラメラで本来の自分を半ば失っているテキサスを一発二発殴ったところで、彼は目覚めないとゴリさんは察したんでしょうね。
柔道場でのシゴキはある意味殴られるより辛いですよ・・・・。
それに今回はボスの一言もかなり効くし。
前任者2名とは違い、陰の部分はかなり無くなりますが、テキサスは陽の部分でのぶつかり合いと悩みというところで新味を出している部分があります。
太陽の優等生新人刑事の始まりな部分はありますが、それだってかなり紆余曲折していたわけですから、そういう部分を経て変化して行くテキサスというのをリアル感覚で見守るという観方もオツだと思います。
うん・・・
どうしてもジーパン殉職に意識が引っ張られています(^_^;)
来週は名作「虫けら」なので、テキサス側に向かうと思いますが。。。
ところで、覆面車カリーナ。
休演したのは恐らく#109で右テールランプが割れていたのでその修理と、もしかするとフロントガラスの交換も行ったかもしれません(車検シール無)。
車検の時期(12月)ではないし・・・。
しかし、今回右フェンダーも凹んでいる(^_^;)
あれは多分フロントの角をぶつけた凹み方だと・・・。
クジラクラウンと共に、カリーナも生傷が絶えなかった。。。。
うん・・・
やはりあの2作は連続して観るものじゃないですね・・・
ジーパン殉職編の余韻をたっぷり一週間味わいたかったというのはあります。
それに、太陽の歴史的にもこの2作は終わりと始まりですから、何となく何かがうやむやになっちゃった気がします(^_^;)
2話連続の欠点かと。
第111話 ジーパン・シンコ、その愛と死
先にも書いたように、太陽第一期の終焉、キャラクター自体もこの作品で最後(とりあえずも含め)はジーパン・シンコ・宗吉・たきの4名ということになり、何れも主要メンバーとして太陽の一時代を築いた面々ばかりか、番組の主役がこぞって消えるというある意味マカロニの死の52話以上の終末であります。
さらに、太陽の歴史の中でも1982年に次いでの変革期だったということになると思います。
大人の事情様々あったようですが、太陽が当初の企画を色濃く継承していた部分のある意味かなりの部分をここで一区切りつけた記念すべき作品という位置付けも忘れてはならないところだと思います。
ジーパンとしても、刑事としての本格的な出発がここで描かれているわけですが、最終的に残った「腕っ節が強い」部分の誤解と、刑事として人間として、犯人にどう向き合うかというせめぎ合い、それを暖かく見守る同僚。
何となく安定感があります。
マカロニと確定的に違うのが、危うさが無いこと。
観る側も、一係のメンバーもジーパンの行動に安心感を持っているというか・・・それなので、助けた男・会田に撃たれるという最期が強烈に栄えるんだと思います。
解っているけど、やっぱりジーパンが死ぬというのがあまり実感がわかないというか。
その安定感はシンコにも言えることであって、彼女もある意味腹を括っているところがあるので、安心して観ていられますが・・・。
優作さんも軽快に演じている部分と、銃撃戦からの鬼気迫る演技と、バランス良く演じられています。
無論殉職シーンはその最たる「結果」ではあると思います。
ラスト、ボスがシンコに対して何も言えないというのは、視聴者をある意味「代弁」している感じがします。
あまりにも意外だし、解ってはいるけど言葉には成らない、悲しみというよりは唖然としてしまっているというか・・・。
この作品は、その後の殉職編に多大な影響を与えます。
テキサスの殉職はある意味ジーパンの銃撃戦に対してのアンチテーゼだし、誰かを必死に助けると言う部分はボンや他の殉職に繋がります、最たるものはゴリさんの殉職で、急遽構想されたためか本作と「ダーティなゴリ」とそのアンチテーゼをベースに置いている感じがします。
さらに選曲のイメージもこの作品がベースになった感じ(青春のテーマバリエーションを積極的に採用)もあります。
いや、改めてこの作品の大きさを思い知りました・・・。
宗さん、現役時代は「犯人はあくまでも犯人」という考えだったんでしょうか。
それを、殺意をもって拳銃を人に向けた時に思い知って、飯屋のおやじになったんでしょうか。
いろいろ、考えさせられます。
しかし、画像が綺麗で良いです。
本来であれば日中に撮影を終えるところが、日暮れまで撮影が押してしまったためにジーパンの最期は真っ暗でしたが、それもまた無情さに輪をかけます。
ラストとの整合性がとれていませんが、それを忘れさせるほどの画面からの力を感じます・・・・。
ちなみに本作は石原プロからも応援「悪役」が登場、苅谷さんと大都会シリーズでお馴染みの森正親氏(額に切り傷の男)が出演、他にも大宮幸悦氏、新井和夫氏、小坂生男氏、壇喧太氏と豪華絢爛です。
第112話 テキサス刑事登場
新生太陽(第二期)の始まり。
それまでのスター性重視的な部分から、本格的にオールスター性に移行したと言ったら解りやすいかもしれませんね。
レギュラー皆人気が出て、さらに番組を継続していくのであれば、道はこれしかなかったと思いますが、それにしても方法が巧みだと思います。
普通の感覚であれば、視聴率さらなる向上に人気スターを投入するところですが、演技の経験が殆ど無い勝野さんを入れることにより逆に活性化を図るというある意味バクチ的な攻めは、周りの地盤が固まって、かつ頭に裕次郎さんが居る太陽ではないと難しかったと思います。
押し出し全開のテキサス、それを補うゴリさんと他のメンバー。改めてマカロニ登場編と同じように「おのおののやり方」を披露する一係のメンツ。
そこにスポ根の要素を入れてアクション全開という、しばらく登場編の基本になるような展開がこの作品で再整理されている感じがします。
テキサスはコンプレックスが無いように見えますが、初期の意固地な部分と不器用な部分がその代わりといっても良いと思います。
前任の2人は固執するところはあってもある程度は柔軟でしたが、テキサスはその柔軟さを備えるのにちょっと時間が掛かります。しかし、その不器用なぶつかり合いがテキサスの魅力でもあると思います。
とは言いつつも、逮捕術に関しても拳銃の腕にしても既に安定しているんですが・・・。
テキサスはゴリさんにぶん殴られていないのはなぜか・・・
多分、あの復讐心メラメラで本来の自分を半ば失っているテキサスを一発二発殴ったところで、彼は目覚めないとゴリさんは察したんでしょうね。
柔道場でのシゴキはある意味殴られるより辛いですよ・・・・。
それに今回はボスの一言もかなり効くし。
前任者2名とは違い、陰の部分はかなり無くなりますが、テキサスは陽の部分でのぶつかり合いと悩みというところで新味を出している部分があります。
太陽の優等生新人刑事の始まりな部分はありますが、それだってかなり紆余曲折していたわけですから、そういう部分を経て変化して行くテキサスというのをリアル感覚で見守るという観方もオツだと思います。
うん・・・
どうしてもジーパン殉職に意識が引っ張られています(^_^;)
来週は名作「虫けら」なので、テキサス側に向かうと思いますが。。。
ところで、覆面車カリーナ。
休演したのは恐らく#109で右テールランプが割れていたのでその修理と、もしかするとフロントガラスの交換も行ったかもしれません(車検シール無)。
車検の時期(12月)ではないし・・・。
しかし、今回右フェンダーも凹んでいる(^_^;)
あれは多分フロントの角をぶつけた凹み方だと・・・。
クジラクラウンと共に、カリーナも生傷が絶えなかった。。。。