「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

どこの世界でもあることかも。

2011-09-20 21:58:44 | 回顧
太陽でも俳優として活躍なさった高瀬将嗣氏率いる高瀬道場が40周年だそうです。
今や技斗集団として高瀬道場の存在は大きくなりましたね。
でも、高瀬さんって太陽ではアクションに関係ない「アパートの隣の住人」役が相当多かったので、ちょっと後になってバリバリのアクションを披露していたのを目撃した時はビックリしました。


話題変えまして、

先日、ボギーに対しての登場当初の葛藤を書きましたが、想い出してみるとまだ同じようなことはあったと思います。
ボギーの時はタイミング的にもインパクト的にも強烈だったので記憶にハッキリ残っていましたが、多分私の最初の葛藤というか違和感を感じた新人刑事が、
スニーカーだったわけです。

ボン・ロッキー「政権」が長かったので、その変化への拒否反応とボンを亡くした寂しさからくるものと、メインテーマ変更のインパクトがかなり強烈で、しばらくドンヨリとしていたのを憶えています。
多分その拒否反応が無くなってきたのが「右往左往」辺りだったと思います。

次はラガー。
あの押し出しに拒否反応(^_^;)
当初は慣れなかったスニーカーもすっかり好きになっていたので、尚更なんですよね。

ボギーの後はマイコンだったと思います。
先入観は捨てていたはずなんですが、それでもと云う感じだったと思います。

いろんな面で「露骨」な人事だったので、あるTV雑誌は新刑事に対しては異例の皮肉記事を載せたり、正直これで良いのか?と思いましたが、良純さんは西部署よりご本人の特性を生かしてマイコンに挑んで個人的にはすっかりそんなことなど忘れてしまいました。
多分1985年初頭あたりは全く気にしていなかったと思います。

後はDJでしょうか。
実質的に言えば山さんの後任が新人刑事ということ、そして欽ちゃんファミリーという「狙った」感じの人事ということで、太陽に必要なキャラクターなのかと疑問に思ったものですが、登場編で吹き飛びました(^_^;)

ゲンキンなもので、これらのキャラクターは後にすっかり「愛すべき」になってしまっていました(^_^;)

「好き」と「嫌い」は紙一重。
人間、ことごとく修業です(^_^;)

しかし、太陽人事というのは巧みなんですよね・・・本当に。
ちゃんと太陽に溶け込ませるんですから、凄いです。


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夜中にあの横並びを見て、目が覚めた。。。

2011-09-20 12:33:20 | その他の放送
21日の同窓会SP

TBSも毎日放送のレギュラー番組には叶わないというところでしょうか・・・関西1時間短縮版というのは結構キツイですね・・・。

ところで本日未明に、予告編が流れてまして・・・・

横並びに、竜さん・小野寺さん・ショーケンさん・勝野さん・木之元さん・神田さん が腰かけていました。
今田耕司氏はもうかなり興奮状態。
そりゃ、興奮しますって。

今回のその他のゲストの方々でも、市川森一さんに秋野暢子さんは太陽経験者だし、濃厚な話が聞けるような期待はあります。
それに、やさしい殿下&鮫さんの生みの親の市川さんが殿下について語るというのも観てみたいですね。
石田純一さんも優作さんとは共演しているので「俺たちは天使だ!」等にご出演だったので(「探偵物語」と勘違いしていました・・・)、変な話や茶化し方向には運ばないと思いますし、藤井隆氏は相当緊張するのではないかと・・・・・さてどうなるでしょう。

明日です!

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恩人・ボギー

2011-09-20 00:17:57 | 回顧
9月。

この時期になると毎年、画面に映るボギーへの葛藤を想い出します。

1982年の今頃は、太陽変革の渦の中で生粋の太陽ファンはもがいていたのではないかと思います。
それこそ、太陽から卒業しようかどうしようか。
それだけ、カナダ編の高揚感と長さんとロッキーが去ったことは非常に終末感(祭りの後のなんとやら)がありましたが、まだゴリさんが居たので辛うじてという部分もあったりして、ゴリさんの殉職を知った段階で、太陽に対しての不安というのが湧きあがってきました。

不満というのは無かったと思います。既にその辺りの人が変わることに対しての受け手として視聴者として、ユーザー的心理的欲求なんていうものは裕次郎さんの入院時に完璧に無くなっていました。なので、もう完全に観続けるというのは頭にありながらも、あの劇的な変化に対する自分自身のストレスを一体どこにぶつければいいのか、と云う部分で、ボギーはその私の不安心の矛先になりました。

確かに#521は面白かった。

それでも非常に終末感を感じていたのは、2人の縁の下の力持ちが居なくなったのもありますが、ゴリさんの落ち着きが妙に寂しかったり。
ボギーはちょっと力が入り過ぎた感じで、これまでのチームワークの流れから比べると非常に異端に感じたものです。

これが「狙い」だというのは解っていました。スコッチとは方向性の違う異端。
やっぱりどうしたって、観ているこっちは不満と云う部分とはちょっと違った、
「何なんだ?この新入りは?」的な目線があるわけで、今までの世良さんのイメージとは違った、「見た目」カッコ悪いボギーの姿に不安を感じたものです。

ちょっと作り過ぎてない?
正直、そんな不安を抱えながら話は進んでいきますが、正直ボギーよりゴリさんを見逃さないという意識の方がはるかに高かったと思います。
ただ、ボギーは観たく無くても眼に入ってきたので(^_^;)
それが功を奏したのか、ボギーにも急激に「慣れて」行くわけです。
ただ、違和感は払拭出来なかった。
#523ではゴリさんのことをキザと云ったボギーにも驚きました。
ゴリさんがキザ・・・考えもしなかったことで。
この頃からある側面ではボギーに注目していた感じはあったかもしれません。不器用だけれども泥臭く突進する彼の姿に感銘を憶えていたのかもしれません。
ただ、異分子的な拒否反応はまだあったと思います。
これがもしゴリさんとボギーの絡みが無かったら、ひょっとするとボギーに対しての見方は最後まであまり変わらなかったかもしれません。
それだけ、ゴリさんとの関わりがその頃の私にとっては重要だったと思います。
#524辺りになると、前回の流れからかボギーに対してあまり違和感を感じなくなっていました。
ただ、ゴリさん殉職後はボギー関係なく太陽視聴が非常に重かったのは事実でして、辛かったです。

この辺りがきっかけで、太陽を卒業なされた方がかなり居られるのは事実、私もあの流れであれば太陽から離脱していたかもしれませんが、別なターボ(写真集の一気買い等)があったため惰性で走っていた感じもありました。それに、私には明らかに画面からも無理や疲労が感じられた山さん・ドック・ラガーを置いて離れるのはちょっと出来なかったですが、正直、太陽は大丈夫なのかという疑問は湧いていました。

そういう蟠りというか不安というか疑問を払拭してくれたのが、「検問突破」でした。

ボギーのカッコ悪さというか不器用さがクローズアップされる話なのですが、登場当初の作られた感じがかなり無くなっていて、世良さんご本人的の素のカッコよさが出ていた感じがして、かなり引き込まれて観ていました。
そしてあのクライマックスの「あんたら汚ねえ、利口すぎるんだよ」を聞いた時にビクっとしたんですよね。

当時のメンバーは皆器用だったし、優等生的な面子が揃っていた中でのボギーは非常に異端だったし、それを不安視すらしていましたが、そもそも太陽に登場するメンバーというのは、性格的に様々で、それが化学反応を起こして話が面白くなると言うのが醍醐味だったはず。
それを考えるとボギーは正統派の太陽キャラなんですよね。
それが結局長年馴染んだメンバーの相次いだ降板劇によってすっかりそちらの方に神経が走っていたわけで、そういう色々な事柄を引き摺ってボギーを色眼鏡で観てしまっていたということに気付きまして・・・。

多分、それは作り手もある程度は解っていたんじゃないでしょうか。
そうでなければ、こういう話はもうちょっとボギーが落ち着いてから作ったのではないかと。

そこからもう偏見や先入観で太陽キャラクターを迎え入れるのは止めました。
それが損だと言うのにも気付きましたし。

それからボギーは急に好きなキャラになりました(^_^;)
まあ、ゲンキンなものです。。。。

太陽を観続けることが出来たのは、ボギーと「検問突破」のおかげです。

・・・

異端新刑事への反応というのは、恐らく年代の問題なのかもしれません。

スコッチの頃は正直幼児だったので、カッコイイとしか感じませんでしたが、諸兄姉の一部の方はやっぱり違和感を覚えたと聞いたことがあります。

多分思春期にこういうキャラクターに当たった場合は葛藤というのは付いて回ったのかもしれません。

私の場合運よくあの変革時期でボギーに当たった為にその強烈さが逆に太陽視聴的には良かったのかもしれません。

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