***** 子年の展望 No.53 *****
『日本書紀』には、持統天皇が即位する際の記述として、
「忌部宿禰色夫知(いんべのすくねしこぶち)
が剣と鏡を捧げた」という内容が載っております。
また、斎部広成が記した『古語拾遺』にも、
「神璽(みしるし)は鏡剣の二種であり、
矛・玉は二種の神器に従属的に従う」
という一文が見られました。
これらのことを踏まえれば、
『日本書紀』が記された8世紀前半までは、
三種の神器ではなく「剣」と「鏡」の
二種の神器だった可能性が出てきますね。
ちなみに昨日、「崇神天皇は出雲とも
深く関わる大物主神への祭祀を強化するために、
出雲由来の神宝である勾玉を神器のひとつに
加えたのかもしれない」という内容を記しましたが、
「八尺瓊勾玉」が登場するのは、
文武天皇の即位(697年)以降
との話も聞くことから、「大嘗祭」の形式が
徐々に整えられる中で、「勾玉」を追加する
必要が出てきたとも考えられるのでしょう。
いずれにせよ、「勾玉」をいう神器を語るには、
「出雲」を避けて通るわけにはいかないため、
後の機会にでも改めて考察してみるつもりです。