***** 子年の展望 No.49 *****
流行り病や農民の離反など、
様々な災厄に苦しむ崇神天皇に対し、
最初にコンタクトを取ってきたのが
「大物主神」とも呼ばれる三輪明神でした。
しかし、「自分を祀れば国の乱れは治まる」
と告げられた崇神天皇が、
神の意思に従って手厚く祀ったにも関わらず、
凶事は治まらなかったと聞きます。
恐らく、このときの崇神天皇の祭祀には、
どうしても見過ごすことができない
大きな過ちがあったのでしょう。
その後、崇神天皇は「大物主神」だけでなく、
「天照太御神」や「倭大国魂神」に関しても、
「自分以外の祭祀者」に頼らざるを
得なかったところを見ると、
「神祇が何たるかわかっていなかった」のは
ある意味で事実なのかもしれません。
大物主神の立場に立ってみれば、
祟りを成した「張本人」である自分を無視し、
「天照太御神」や「倭大国魂神」ばかり
気をとられている崇神天皇に、
強い憤りを感じていたとも考えられます。
もしかすると、大物主神は自分を軽視する
崇神天皇への報復として、
「天照太御神」や「倭大国魂神」を
外へと追いやるよう促したのでしょうか……。