***** 子年の展望 No.40 *****
崇神天皇は「疫病」を治めるため、
皇居内で奇異を起こしていた
「天照太御神」と「倭大国魂神」の二神を、
二人の皇女に命じて皇居外へと移動させました。
これは、「政治という穢れ事」を行う皇居内に、
上記の二神をお祀りしていたことが、
「神に対する不敬」に当たると
崇神天皇が解釈したからでして、
それまでは天皇の居室に、
天照太御神(を宿す鏡)を安置するという
「同床共殿」が行われていたと言います。
その後、「天照太御神」の御魂を宿す
八咫鏡(および剣も?)は、
豊鍬入姫命と倭姫命の手により、
伊勢の地に安住することができましたが、
「倭大国魂神(ご神体は剣とも勾玉とも言われる)」
を託された渟名城稚姫命は、
神の力を抑えられず身体を壊してしまったのです。
恐らく、最初の時点では崇神天皇自身も、
「疫病」をもたらした神が、
どの神であるのかわからなかったのでしょう。
そこでまずは、神々の「祭祀」を
皇女に任せるべきだと決断し、崇神天皇自身は
「祭祀」から距離を置かれたのかもしれません。
そして結果的に、今の世に至るまで三種の神器は、
「バラバラ」に安置される形となったのでした。