***** 子年の展望 No.45 *****
もともとは皇居内でお祀りしていた
「倭大国魂神」でしたが、
神の神威を恐れた崇神天皇は、
皇女である渟名城稚姫命に祭祀を一任しました。
しかし、渟名城稚姫命が
祭祀を継続できなくなったため、
再度奉斎者を選び出そうと占った結果、
倭大国魂神から「市磯長尾市に祭祀を任せよ」
との神託が降りたのだとか……。
実は、これらの内容を記す
『日本書紀(の一書)』には、
倭大国魂神が崇神天皇の子・垂仁天皇に対し、
「父親は神祇の何たるかがわかって
いなかったので短命になった」と告げた
という文章が追記されているのだそうです。
何でも、領有地をめぐる「神との契約」を
崇神天皇が破棄したことが、
「倭大国魂神」の怒りを買った原因だと言いますが、
もしそれが本当なら崇神天皇という人物は、
天皇祭祀の「掟」を破るような
ミスを犯したということなのでしょう。
そのために「祭祀者」の資格を奪われ、
自身がお祀りしていた「天照太御神」
「倭大国魂神」を、宮殿の外へと
出さざるを得なくなったとも考えられます。