***** 子年の展望 No.59 *****
「疫病」というキーワードを軸に、
古代の三輪山の様相をシミュレーション
してみましたが、これらの流れから、
「天照太御神」と「倭大国魂神」が
去った三輪山には「大物主神」だけが残り、
「大田田根子」を祭祀者とする大神神社の
原型が出来上がったことがわかります。
恐らく、崇神天皇という人物は、
大国主神の時代から「恫喝」を
始めていた三輪山の神に対し、
「天照太御神」や「倭大国魂神」
への祭祀が疎かになるほど、
過剰な配慮をしていたのかもしれません。
そのような後ろめたさがあったからこそ、
「疫病蔓延」の原因をまずは
祭祀が手薄だった二神の祟りと判断し、
皇居から遠ざけようとしたのでしょう。
しかしながら、「伊勢」という遠地に
隔離された「天照太御神」とは異なり、
「倭大国魂神」はごく近隣の地に鎮まった上で、
あたかも「崇神天皇の御陵」と
「三輪山」を監視するかのごとく、
静かににらみを利かせているような
雰囲気が漂ってまいるのです。
もしかすると、「倭大国魂神」
こそが真の国津神であり、
三輪山の周囲で起こる出来事や、
崇神天皇の祭祀に対する態度を、
陰から冷静に観察していたのでしょうか……。