***** 子年の展望 No.54 *****
「三種の神器」が宮中から
離される原因となった最大の要因は、
「疫病の蔓延」だったと言われております。
ただし、それと並行するかのように
「農民の離反」や「大陸からの渡来者の急増」
など問題も発生していたようで、
崇神天皇の祟り騒ぎがあった当時、
日本の人口比や人種構成の割合が急激に変化し、
国内情勢が不安定になっていた様子が伺えるのです。
恐らくは、国民の半数が亡くなったとも
言われるこのときの「流行り病」も、
「大陸人」により持ち込まれた
可能性が高いのでしょう。
インバウンドの増加により
訪日外国人が増えた昨今の日本との状況と、
崇神天皇時代の日本の状況は
どことなく似通っているというわけですね。
そこで、崇神天皇が講じたのは、
宮中で祀られていた「天照太御神」を
三輪山から極力離すこと、同じく宮中で
祀られていた「倭大国魂神」の祭祀を
国津神の子孫に任せることでした。
さらに自身は、「大物主神」の祭祀を強化すべく、
神から名指しされた「大田田根子」
という人物に神仕えを命じたのです。