たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

特殊な経緯

2020-03-11 09:09:55 | 一年の展望

 

***** 子年の展望 No.48 *****

大国主神とともに国づくりに励んでいた

少彦名大神が常世に去ったとき、

大国主神の前に現れ「私を倭の青垣の東の

山の上(三輪山)に祀れば、国造りは上手く行く」

と告げたのが「大物主神」でした。

その際、大物主神は「私は大国主神の和魂である」

と名乗ったことから、「大国主神=大物主神」

という説が一般的になっておりますが、

崇神天皇の祟りの経緯などを踏まえると、

両者が「別物」であった可能性も否定できません。

 

恐らくは、「天照太御神」「倭大国魂神」

そして「大物主神」という、超強力な三柱の神が

混然一体となって祀られていたのが、

当時の「三輪山」だったのでしょう。

もともと「倭大国魂神(地主神)」

の所有地だったこの場所に、

大国主神の時代以降「大物主神」が鎮座し、

さらには天孫族ゆかりの「天照太御神」

を皇祖として祀るという、

「特殊な経緯」があったと考えられるのです。

 

「天皇」という立場に就いた者は、

これら毛色の違う神々を

祭祀する能力が必要不可欠であり、

どこかひとつにでも不敬があれば、

すぐにその役を解かれる(短命になる)

運命だったのでしょうか……。