***** 子年の展望 No.48 *****
大国主神とともに国づくりに励んでいた
少彦名大神が常世に去ったとき、
大国主神の前に現れ「私を倭の青垣の東の
山の上(三輪山)に祀れば、国造りは上手く行く」
と告げたのが「大物主神」でした。
その際、大物主神は「私は大国主神の和魂である」
と名乗ったことから、「大国主神=大物主神」
という説が一般的になっておりますが、
崇神天皇の祟りの経緯などを踏まえると、
両者が「別物」であった可能性も否定できません。
恐らくは、「天照太御神」「倭大国魂神」
そして「大物主神」という、超強力な三柱の神が
混然一体となって祀られていたのが、
当時の「三輪山」だったのでしょう。
もともと「倭大国魂神(地主神)」
の所有地だったこの場所に、
大国主神の時代以降「大物主神」が鎮座し、
さらには天孫族ゆかりの「天照太御神」
を皇祖として祀るという、
「特殊な経緯」があったと考えられるのです。
「天皇」という立場に就いた者は、
これら毛色の違う神々を
祭祀する能力が必要不可欠であり、
どこかひとつにでも不敬があれば、
すぐにその役を解かれる(短命になる)
運命だったのでしょうか……。