***** 子年の展望 No.38 *****
昨日、奈良・東大寺の大仏が建立されたきっかけが、
「疫病」だったというお話をしましたが、
さらにそれ以前の崇神天皇の時代には、
同じように疫病が大流行し
多くの国民が亡くなりました。
そのとき、崇神天皇が取った手段は、
ずばり「祭祀」の強化でして、
当時の皇居があった三輪山から
「天照太御神(伊勢神宮のご祭神)」と
「倭大国魂神(大和神社のご祭神)」を
別の場所に移動させる決断を下したのです。
以下、その時期の大まかな流れを
Wikipediaより引用いたします。
●崇神天皇5年
疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。
●崇神天皇6年
疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた
天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を
皇居の外に移した。
●崇神天皇7年
2月
大物主神が倭迹迹日百襲姫命に託宣。
8月
倭迹速神浅茅原目妙姫
大水口宿禰(穂積臣遠祖)
伊勢麻績君の3人がともに同じ託宣を受ける。
11月
夢の通りに大田田根子を大物主神の神主とし、
市磯長尾市(いちしのながおち)を
倭大国魂神の神主としたところ、
疫病は終息し五穀豊穣となる。