***** 子年の展望 No.47 *****
ちなみにですが、以前ご紹介した
但馬国一の宮・出石神社の宮司家は、
「倭大国魂神」の奉斎者となった
市磯長尾市の子孫と言われております。
出石神社のご祭神は、例の天日槍命
(あめのひぼこのみこと)でして、
市磯長尾市は天日槍命が渡来した際、
播磨国で出迎える(尋問する)役目を
垂仁天皇により命じられたそうです。
天日槍命は大国主神と同様に、
「領巾・比礼(ひれ)」と縁ある神様であり、
来日時には「玉津宝(たまつたから)」と称する、
4種の「ひれ」を含む宝物を持参したと聞きます。
諸々の経緯を踏まえれば、市磯長尾市自身も「ひれ」
の呪術を熟知していた人物だったかもしれません。
それはさておき、崇神天皇の時代に
都を震撼させた「流行り病」が、
「倭大国魂神」の祟りだと仮定すると、
気になるのは「倭大国魂神」とともに、
怒りの託宣を下ろしたとされる
「大物主神」の立ち位置です。
そこで、再度文献を読み直してみたところ、
実は崇神天皇に直接干渉したのは、
「大物主神」だけだったという
事実が浮かび上がるのでした。