***** 子年の展望 No.55 *****
崇神天皇の「疫病対策」を考察する中で
感じたのは、天皇祭祀というものがいかに、
「天津神」と「国津神」だけでなく、
その地ゆかりの神々をも含めた
すべての神のバランスを取ることを、
絶対条件としているかということでした。
本来であれば、今も昔も天皇自身が
祭祀を取り仕切るのが筋なのでしょうが、
この崇神天皇の時代に、宮中の神々がバラバラに
離散した(せざるを得なかった)結果、
後の世の「災厄への対策」が
難しくなった側面もあるのだと思います。
と同時に、このときに宮中の神々を
「それぞれの祭祀者」へと一任したことで、
天皇祭祀に不具合が生じた場合の
バックアップ体制が整ったとも言えるのでしょう。
しかしながら、各地の神社を
巡っていて時折気になるのは、
「国津神」をお祀りする宮司家の多くが、
長い時代の中で「天津神」の系統に
代わっているということですね。
もちろん、神社側に非があるわけではないものの、
「疫病」という災厄を抑えるための秘策が、
「祭祀者の選別」であるならば、
このような傾向は少々気がかりなところかもしれません。