***** 子年の展望 No.51 *****
昨日は、「天照太御神」が
三輪山を離れた理由について、
「三輪山との相性の問題だったのではないか?」
との見解を示しましたが、
「倭大国魂神」に関しては、また異なる事情が
隠されているような気がいたします。
一般的に、三輪山の「大物主神」も「倭大国魂神」も、
「国津神」として一括りにされ、
崇神天皇の一件に関しても、「神の祟り」
といったざっくりとしたニュアンスで、
私たちの耳には伝わってまいるもの。
しかし、厳密には大物主神は
三輪山を支配する「三輪明神」、
倭大国魂神は一帯を所有する「地主神」でして、
これらの詳細が記される『日本書紀』の中でも、
それぞれの神がそれぞれの主張を
している様子が伺えるのです。
例えば、大物主神が訴えていたのは、
「自分に対する祭祀のやり方への不満
(および全面的な祭祀者の変更)」でしたが、
倭大国魂神に関しては、巫女を通じて
「二番目の祭祀者への変更」を指示しただけでした。
つまり、倭大国魂神という神は、
大物主神ほど崇神天皇には
干渉していなかった可能性もあるのですね。