連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

食がすすむ すすまない 味

2014-01-25 15:40:11 | 日記・エッセイ・コラム

排水管損傷事故で、院内調理が停止。

その間の”検食”は、加工済み食品と使い捨て食器。

2口までは、アルファー米に対して、思ったよりおいしいと感じたのでしたが、

3口目からは、感触がもさもさ。

炊き立てのご飯の、もっちりした軽い粘りの噛みごたえとは異なることに気が付き、

食が進まない。ふりかけでごまかそうと思っても、限度あり。

副食の、ビーフシチュウは、肉のにおい、感触すべてに、加工品特有のくせが感じられて、

口に入れた一口目から、舌の上にある短時間さえ苦痛に感じた。

食品保存による変化なのか?、原料産地がいつもとは異なっているためか?

洗浄ができないので、生野菜、半生野菜メニューがなく、

野菜の力を再認識することとなった。

高度障碍者の食生活は、咀嚼力の低下、嚥下力の低下対応が求められている。

そのために、健常時とは異なり、記憶の呼び戻しから遠ざかる。

機能回復にとっては、マイナス要件のように思えるし、

食べる楽しみを増すような対応になっているかははなはだ疑問だった。

体調不良時に経験するのは、

お米の甘み、牛乳の甘みなどで、

人工甘味料は,受け入れがたい味を私は覚えた。

生産ラインに乗った、大量生産の、

まだまだ、メニューが限られている高齢者向け食品で日々の食をまかなっている現状では、

食欲はさらに減退しそうというのが、美食家にはほど遠い私の感慨。

自分の意志を達成できる、実力;

すなわち、実行できる体力、意志を伝えられる話術、

他力本願としても命令を実践してもらえるに足る経済力は、必須だなと思う。

愛を持って接し、処遇してくれる人が無い身としては

経済優先で進行している社会の接遇を受け入れざるを得ないのだと実感する。

一日生涯、満足にいく一日に感謝し、明日を思い煩わない、

解放された心の有り様こそが幸せの根源かもしれない。

でも、でも 体調変化に対応した、ささやかなおいしいものは食べ続けたい

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