殺人犯、酒飲み運転による殺人に対しては、徹頭徹尾、容赦なく、永年に断罪すべきで、悔いても、許されない罪と思う。
しかし、
国母選手の服装に抗議殺到し、”全日本スキー連盟(SAJ)から出場を辞退させる申し入れがあった”:ファッションセンスの問題で、全否定するほどのことだろうか? (オリンピックには予定通り出場;橋本団長の英断に拍手)
東京女子医大冤罪事件で無罪が確定した佐藤一樹医師への行政処分を言い出した厚生労働省官僚 (医師にとっての厚生労働省は生命線を握られている)
菅谷利和さんの冤罪。検察の断定的な取り調べで17年間、殺人犯として収監されていた(再審で検察からの無罪論告は1分間)。
政治家 小沢一郎氏の、政治献金がらみの、検察当局は嫌疑不十分としたにも拘らず、市民団体が、検察審査委員会に起訴を申し立てたという。これって、人は全能ならず、疑わしきは罰せず という法の精神からは真っ向に対立する行動ではないかしら。
仕事関連で自殺した人に対して、何も死ななくたって、と後で言っても後の祭り。そこまで追い込んだってこと。
人が死んだ事件を起こした人は、徹底的に容赦なく追及、断罪すべきと思うが、それ以外は、寛容、見守りがあってもいいんではにだろうか。
戦時中の、隣人同士の密告、逮捕、獄死(映画母べえを思い出す)に匹敵する時代に、今はなっているのではないかと危惧する。
日本中にはびこっている容赦ない追及、断罪病には到底、承服できません。その点では、この記事にまったく同感です。
ただ、「殺人犯、酒飲み運転による殺人に対しては、徹頭徹尾、容赦なく、永年に断罪すべきで、悔いても、許されない罪」という言葉は少し気にかかります。
国母選手の服装は、個性の表現で批判すべきものではないと思いますが、たとえ誤った行為でも人は常に正しく生きられるわけではありません。性的暴行を続けていた父親を娘が殺し事件や介護疲れから殺人に発展した事件。事件の背景には様々な事情や弱さがあります。そうしたことへの理解と共感こそが必要なのではないでしょうか。断罪病の背景には、他人を理解しようとしない頑さと怠慢があるように思います。
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